ペルー・アンデスの旅:ワイワッシュ山群一周の旅ーその32014/6/13
6:00 起床
7:20頃 出発
目指すは、今日の峠・カルワク(4620m)
歩き始めて3、40分、吾がロバ隊が追いついて来た。
早速、近藤さんが「タクシー!」と、手を挙げる。
白骨化した動物の骨が綺麗に残っていた。
峠付近では、化石探し。
みんな同じ小石に見えて、宝探しは空振り。
スペイン・パーティが追い抜いて行った。
チェコスロバキヤ・カップルは、まだ来ない。自分たちで重い荷物を担いで来るんだから、ゆっくり上がって来るのだろう。
峠も過ぎて、カルワーコーチャ湖も近いところの、たぶん地図に名前があったインカワインの耕作地。痩せた畑のように見えたが、そうでもないらしい。
農民夫婦二人で収穫したポテトを選別していた。
ギヨさんは、我々とは英語でコミニュケーションをとり、普段周りの人達とはスペイン語で会話し、地元の山岳民とはケチュア語でも話ができるようであった。
何やら話をしていた。
多分、「この新鮮なジャガイモを分けて欲しい」、とでも言っていたのかな、と勝手な想像をしていた。
彼がザックの紐を空け、取り出したのは、財布のソル紙幣ではなく、毎朝、「今日のお八つスナックだよ」、と渡されていた小袋。
中には、クラッカーやチョコバー、オレンジ、マンゴジュースの紙パックが入っていた。
何と何と、驚いた、物々交換である!
代わりに受け取ったのはビニール袋に詰め込んだ約1Kgのポテトでした。
キャンプサイトに着く頃、またまた、雲行きが怪しくなって来た。
また、雨か…。
12:45分着。
厚い雲は過ぎ去ったようである。
薄日が差して来た。
日没、西の空は、夕焼けであった。
時間はたっぷりあった;
1:ウノ、2:ドス、3:トレス、4:クアントロ、5:チンコ、6:セズ、7:シェタ、8:オーチョ、9:ヌエデ、10:ディアス
とトレッキングの間も、思い出したように、スペイン語の1〜10を繰り返すが、いつもチンコまでは辿りつくが、「6,7は何だっけ?」、「8はオイチョだったよな・・・」、「9は忘れた」、「10はディアス」。
シリロがソニーの携帯ラジオを聴いている、もちろんワールドカップの中継。チリがオーストラリアに3:1で勝ったとか。
アナウンサーの「ゴ〜ーーール!」が偉く長い。
「日本の結果について、何か言ってなかったか?」と聞いたが、「No News」だそうだ。
3日目の夜は更けて行った。
(続く)
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ペルー・アンデスの旅:ワイワッシュ山群一周の旅ーその2第2日目:2014/6/12 マタカンチャ〜カカナン・プンタ(峠:4690m)〜チンカナ峰(4618m)のコル〜ミツコーチャ(湖)北端の丘〜リオ・ヤンカ・キャンプサイト(ミツコーチャ・キャンプ・サイト)標高4200m弱
昨夜のキャンプサイトは、イスラエル人の7〜8人パーティ、ポクパから徒歩で歩いているところを私たちのワゴンが追い抜いて来たチェコスロバキヤからの若いカップルパーティ、それともう2パーティが宿泊していた。
ポクパの集落でこの山域に入るための入山料をギヨさんが払っていた。
それに、マタカンチャのキャンプサイト利用料を地元コミュニティの管理人が徴収に来ていた。チェコスロバキヤのカップルの女性は、ポクパで入山料を払ったのに何故又ここでキャンプサイト使用料を払わねばならないのかと、英語で管理人と口論をしていたが、管理人は現地語(スペイン語)でしか話さないから、ややこしい。
見かねたギヨさんが間に入って、最近この地域のキャンプサイトの管理方法が変っていることを英語で説明してやって、やっと納得して使用料を払ったようだ。
彼女達の携えて来たトレッキングの情報はちょっと前の古い情報らしく、各テントサイトで個別にサイト使用料を払うようにはなっていなかったようである。
しかも、ガイドやロバ方を付けない大型ザックを背負ったトレッカーで、食料も全行程分自分たちで背負って来ているようである。若いから出来るのだが、良くやるなぁ、と感心させられる。
後で、ギヨさんから聞いたところでは、このワイワッシュの山域は三つの州(
アンカッシュ、リマ、それにワヌコ)の入り組んだ山域で、それぞれのキャンプサイトが地元のコミュニティの管理下で運営されていて、従って各サイトで個別に管理人が使用料の徴収にやってくるのだと。
その件が、落着したので、これから先の彼らの行程を聞くと、私達と同じ工程で進むらしい。
明日は峠から、一般ルートは取らず、バリエーション・ルートを辿ってミツコーチャ・キャンプ・サイトに出る話をすると、「後を付いて行っていい?」、「Why not?」
5:00起床、モーニングティ、5:15アブ、5:30朝食、6:30出発。
カカナン峠(プンタ:4690m)まで、イスラエル人若者パーティと前後しながら登った。
ギターを背負って軽装で登っている者や、かなりの装備を詰め込んだザックで山慣れた格好をしている屈強な若者も玉石混交のパーティのようだ。
峠で大休止を取っていると、チェコスロバキヤのカップル・パーティが上がって来た。
蛇足だが、南北に長大に連なるアンデス山脈、西は太平洋に面し、東は大河アマゾンに面してる。ここは、その分水嶺の一つ。ってことは、ここで小用をすれば、太平洋と大西洋に分かれて行くってこと・・・。
一般道は、峠から見下ろす上の画像に見えている道まで降りて、それを辿ることになるのだが、それじゃ面白くないから、この峠から続く主脈に沿ったトラバース道を途中のちょっとしたコルを抜けて、目の前のチンカナ峰の肩を捲くようにしてミツコーチャ湖の脇に降りるようだ。
峠からガシャ(4880m)峰に続いている岩稜。
チンカナ峰(4618m)は、この稜線の左側に独立して突き出た岩峰だった。
その間のくびれ、コルに向けてトラバースして行く。
馬を引いて先に進んでいたシリロが腰を下ろして休んでいた。
ここでランチらしい。
ここがコルらしい。
一面この緑のスポンジのような苔、植物が敷き詰められていた。
サンパと言う名だそうだ。
これは棘が無いので腰かけることができるが、もう一種類似たような苔(?)があって、そっちは腰かけたらえらい目に合うそうだ。掌で触ってみないと判らないぐらい似ている。
(峠で、遊んでいる間にチェコPが上がって来た)
ランチを摂ってる間にチェコスロバキヤ・カップルが追いついて来た。
女性が、貝殻の形をした化石を幾つも拾ったと、嬉しそうに見せてくれた。
これに味をしめたのか、又同じ場所に引き返したのか、戻って行く姿を目にしながら、我々はミツコーチャへ下る斜面の緑の苔の上を、苔から苔に飛び移るように下って行った。
眼下にミツコーチャの湖が見えて来た。
ニラシャンカ(5607m)、イリシャンカ(6094m)が見えているのだろうか、山頂に雲がまとわりついてるので、いまいち判らない。
どこまでもサンパが続いている。
ミツコーチャ湖は、目の下だ。
湖畔のテント・サイトは、使用禁止になって、新しいミツコーチャのテントサイトは、この湖から流れ出るリオ・ヤンカの下流にあるらしい。
たまたま子牛の死骸に出くわした。
キツネにやられたらしい、とギヨの説明である。
死後、1〜2日、母牛が傍に佇んでいた。
更に山腹を左に左に捲いて、ミツコーチャから続く北端の草原に向かって降りていった。
中央の双耳峰がロンドイ(5870m)かな、 右がニナシャンカ(5607m)、左がイリシャンカ(6094m)かな。ロンドイ北峰は、1961年6月に、あのワルテル・ボナッティが登った山だ。(「わが山々へ」白水社、1966年発行)当時、チクワンの町からこのミツコーチャのキャンプ・サイトまで徒歩で5日かけて入ったと書かれていた。もう半世紀も前のことだ。
新しいミツコーチャのキャンプサイト。
14:00 ミツコーチャのテントサイト着。標高約4200m。
スペインからのパーティが先着していた。
我々と前後してカカナン峠に登ったイスラエルパーティは、この先のテントサイトまで進むということで、正面の丘を遅れ気味の数人が上って行くのが見えていた。この先、まだ4時間ぐらいはかかるだろうと、ギヨは言っていた。
別なイスラエルの若者パーティが到着していた。
3:00 頃、テータイム。
とっておきの紙パックの赤ワインを開ける。
携帯ラジオは、ブラジル対クロアチア戦。得点が入る毎に「ゴー〜〜〜ル!」の絶叫と、周囲から歓声が上がる。「Who got a goal ?」、「ネイマール」の得点とシリロがにんまり。彼らもブラジルは強いと予想してるのだ。「どこの国のレフェリー?」と聞いてみたら、しばらくして「日本のレフェリーだよ」と(後で、帰国してから調べたら、西村レフェリーがこの試合をさばいたようだ)。
カップ1杯のワインが効いて来た、この標高だから。
早々に、シュラフに入って昼寝。
18:07 霰交じりの雨になった。
雷鳴がなって、1時間以上強い雨がテントを叩いた。
風が強くなりテントをばたつかせた。
雨に遭わずに次のテントサイトにたどり着けただろうか、イスラエルの若者パーティは・・・。 ディナー・タイム。
傘は持ってきてないので、レインギヤに身を固めて、篠突く雨の中をダイニング・テント(キッチン・テント)に向かった。
二人とも、快食、快眠、快便、いいことだ!
残照のニナシャンカ(5607m) ギヨさんが各テントのペグ、張り綱を点検に回っていた。
この山塊の東側は、アマゾンに続く高原。取り立てて高い山がある訳でもないから東側の気候の影響を受け易いのだろう。
いかに草原の芝生の上にテントを張るような好条件の設営環境でも、あれだけ強い雨に叩かれるとテントの底の芝生の方にも水が回って来て、エアーマットの下がびっしょりだ。
強い雨は1時間半程度で過ぎ去ったから良かったが、一晩中だったらやばかったかな・・・。
直ぐに寝入っちゃったから判らないが、夜半に小用で外に出たら星も幾分見えてたから安心した。
(続く) |
ペルー・アンデスの旅:ワイワッシュ山群一周の旅ーその1第一日目:2014/6/11
8:05 ホテル出発。
慌ただしく木箱や樽などの荷物を車に積み込むと、ドライバーのマルコさんが、「さぁ〜、出すよ!」
キッチン方は、アルパマヨの時と同じシリロが担当することになった。
ガイドは、もちろんアルパマヨの時と同じギヨさん。
ワラス=コノコーチャ峠(4050m)=モール峠(4268m)=チクィアン=ラマック=ポクパ=パルカ=ロンドイ=マタカンチャまで車で6時間の行程である。
古い街、チクィアンまでは舗装道路だが、その先は正に千尋の谷底に突き落とされるかのようなダートの山道であった。
4268mのモール峠で止まってくれた。
眼前には、チクィアンの町のあるリオ・アイニン谷を深く切り込んで、その先遥か遠くワイワッシュの山々が我々を迎えてくれた。
山肌があばたのようになって見えるのは、一つ一つの耕作地の囲いの石垣である。
すべての山肌、標高3000mであろうが、4000mであろうが、営々と石を積んだ囲いが先祖代々造られていったのだろう。
300mmズーム一杯に拡大すると、中央にコルディレア・ワイワッシュ山群の盟主、ペルー・アンデス二番目の高峰イェルパハ6634mがくっきりと見えていた。
一番大きいのが盟主イエルパハ(6634m)だろう。
今日は幾分雲が出かかっている。
あの山脈の向こうは遮るものとてないアマゾンの源流地帯。
4268mの峠から約1000m下ったチクィアンの街に入った。
キッチンのチリロが足りないものを色々探している間、町の中をぶらついた。
こんな内陸部の山の中の辺鄙な(?)町に、魚マークのお店が。
中に入ってみればよかったと、後で後悔した、ざんねん。
きっと、魚介のマリネ:セビッチェの店だったのでは・・・、と。
食品雑貨商。
道端で装飾品を並べていた露天商。おばちゃんがたむろしてたので、覗いてみた。
街中の道は細く迷路のようで、マルコも曲がる角を間違えて引き返したり、正しい渓谷沿いの道に出るのに苦労していた。
羊が豆粒のようだ。
石で積んだ石囲いがしっかり造られている。
14:15 マタカンチャのテントサイトに着いた。
標高4159m。
三井金属の鉱山開発のため、北のワアランカに向かう道路は良く整備されていて、大型のトラックがかなりの頻度で走っていくのが、遠くに見えていた。
頭の部分が見えているのがロンドイ(5870m)、ニナシャンカ(5607m)かな。
チャックを開けると、草原の向こうに山が。
いいねぇ〜!
雲が赤く染まってるけど・・・。
第一日目は過ぎていった。
(注:携行したオキシ・メーターで常にモニターしていた。目的地に着いてザックを下ろし、数分間を置いてからの計測で、ほぼ80%台の数値を示していた。)
(続く) |
ペルー・アンデスの旅:アルパマヨ・アタック・キャンプへ―その52014/6/9 起床 3:45、モーニングティ、4:00 アブ、4:30 朝食
登山口、カシャパンパの集落まで一気に下るので、今朝はちょっと早起きでした。
ばんばか、ばんばか下りました。
もちろん、交互にタクシー(馬)は使いました。
お陰で、13:10には、カシャパンパの売店でビールにありつけました。
こんな十字架があったのですね、登山口の近くに。
こんな案内板も。
待望の良く冷えた「クスケーナ」(クスコ娘)です。
これが最も人気のあるビール。
ガイドのギヨさんは、結構いけそうですが、キッチンのシリロさんは、「まぁ〜、付き合うか」程度?
左は、この集落のロバ使い、彼の名前はなんだったけかなぁ、忘れちゃった。
たまたま隣の席のおっさんが「クイ」を注文していて、それがテーブルに届いたので写真を撮らせてもらった。
一度は、食べてみたかったが、そう思いながら滞在中食べそびれてしまった。悔い(クイ)が残ります。
「骨ばっかりで、あまり食べるとこないんだよ」、は経験者の近藤さんの解説。
あまりゲテモノ(?)には食指を伸ばさなかったので、二人とも、お腹は順調で、それに少量の睡眠導入剤を服用したのが効果的だったのか、快眠でき、ここまで順調に歩けたようだ。
「クリスタル」は、大瓶ビールの銘柄。これも結構おいしかった。
カシャパンパの佇まい。渓谷の深さが、うかがい知れる。 マルコが車で迎えに来ていた。
2:00 出発、ワラスに向かう。
こうやって、壁にペンキで色々書いてある。
主に、支持政党の名前らしいが(?)
約1時間半で、Andeles Innに。
早速、シルビアさんにピスコ・サワーを注文する。
「乾杯!」
(注:街中のレストランでメニューを見ると、ピスコ・サワーは10〜14ソル/杯です)
そうこうしているところへ山田さん、白井プロ、岡本さんが戻ってこられた。
岡本氏は、ニュウヨーク在住の日本人で、パタゴニアを歩いた経験をお持ちで、ベトナムでは、あの開高 健とお会いになっている、とか。今回は、白井プロに同行されてアンデスを、と言うことらしい。 谷川さんが、きっと顔をだすから、来られたら、皆で食事にでも出かけましょう、となったが、肝心の谷川さんの所在がわからない。きちっと時間を伝えてあった訳ではないらしい。
何か、用が出来て、そちらへ回っているのかもしれない、と。
とにかく、事務所の若い人に付いて来てもらって、レストランが決まったら、そこに谷川さんを案内してもらうことにして、宿近くの定食屋で、地元の人が食べるような定食を摂ってみた。一皿/4ソル(およそ¥150円)。比較的少食の日本人にとっては十分な量であった。それにしても定食¥150円とは、安い。
ちなみに、街中の観光客向けのレストランでは、夕食、約30ソル(¥1200円程度)/人位が相場であった。
今日は、あらたに平岡プロ・パーティが加わった。8月中旬までこちらに居られて、ワスカランを2回登られるとか。
湯沸しポットには、シルビアさんに頼んで煎じてもらったコカの葉のエキスが入っていて、これで42度のブドウから造った焼酎、Piscoを割って飲む。これが結構美味しかった!
4泊5日のアルパマヨACトレッキングの汚れ物は、シルビアさんに頼んで、洗濯に出してもらった。翌日(2014/6/10)、レスト日の午前中には出来上がって来て、13ソル/人の洗濯代だった。
2014/6/10は、私たちは、レスト日。白井プロ・岡本さんは、ウィルコーチャへ足慣らし。
そして、ここの常連、パンチョ(?)佐藤さんが明日到着の予定だとか。
明日は、また一段と賑やかになる。
(続く)
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ペルー・アンデスの旅:アルパマヨ・アタック・キャンプへ―その42014/6/8 起床 4:00、モーニングティ、4:30 アブ、5:30 朝食、出発 6:15
棘のあるサボテンの針に気を付けながら、モレーンの丘をゆっくり登っていく。
丁度、モレーンの丘の大きな平らな一枚岩の上に上がった時、後方から人の声が聞えて来た。
標高は約5000m弱だ。
10:10分。
高度差700mに、約4時間かかったことになる。
下から重装備の二人が登って来た。
昨日、遊びに行った湖・アルワイコーチャが、あんなに下に見える。
湖の左上はプルカイルカ・オステ(6039m)のようだ。右側の平らはプクタプクララフ(5780m)、三角錐はリンリイルカ(5810m)、一番右はクルイカシャアナ(5510m)と並んでいるようだ。
その声の主は、ガイドのギヨさん顔見知りの若いガイド二人でした。
今日、ベースキャンプに登って来るお客さんを案内して、明日アルパマヨにアタックするので、今日はその下見に稜線まで上り上がる、ような話を交わしていた。
これで、今回のアンデスの旅の一つ目の目的は、叶った。
今、私たちはアルパマヨ・アタック・キャンプの場所に立っているのだ!
もう少し若ければ・・・、71歳、73歳の私たちにアルパマヨ山頂アタックの計画はない。
このペースで登れば、ワイワッシュ山群一周の5000m前後の幾つもの峠越えも、そして5350mのデイアブロ・ムド(現地名:悪魔の唇)峰も登れる自信が着いた。
アルパマヨをバックに記念撮影。
「来年の年賀状の画像は決まりだな!」
なんて喋りながらポーズをとる。
何となく、いまいちだなぁ〜。
うぅ〜ん、モデルが悪いなぁ〜、第一足が短いよ・・・。
とか、勝手なこと言って・・・。
髭爺は、アップの方が様になるけど、山が映ってないじゃないか・・・。
こちらが、写真に忙しくしている間に、若者二人はアイゼンを付けて、氷河の上を登りだしていた。
もう、彼らの姿も、あんなに小さくなって・・・
氷河末端の氷の状態は
なんやかや、あっと言う間の30分であった。
さぁ、下りましょう・・・、もう二度と来ないこの場所は去りがたいが。
12:30 BCキャンプサイト帰着
昨日、山頂に向かっていた二人、そしてギヨさんの友人二人共、夕方にはこのBCに降りて来た。
明日(2014/6/9)は、3:45起床で、一気に登山口のカシャパンパまで下り、そのまま車に乗り換えて、夕方にはワラスのホテルに入る、と言う。
早く、お休みしましょ。
(続く) |


