おぉ、全能の神よ、我が渇きを癒し給えぇ〜!!!ロンドイ(5870m)、イリシャンカ(6094m)、イエルパハ(6617m)から落ちる氷河の水が、二段の氷河湖を形成する。上は、ソルテラコーチャ湖と呼ばれ、下はヤワアコーチャ湖と呼ばれていた。
キャンプサイトは、下のヤワアコーチャ湖の流れ出し口の狭まった深い流れの畔の両岸に出来ていた。
二つの氷河湖を経て来た流れは、それでも冷たかった。
何時間も袋に入れて棒杭につるされ、流れに浸されていた瓶ビール、「クリスタル」は良く冷えて美味しかった。
キャンプサイトの管理人から分けて貰った瓶ビールだった。
(続く)
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リマ国立博物館(MUSEO DE LA NACION)にてペルー滞在最後の1日をリマ国立博物館 National Museum (Museo de la Nacion)を是非訪れたいと、事前に予定を組み、幾らかは理解可能な英語で案内の出来る市内観光ガイド氏を依頼してあった。
プレインカ、インカの貴重な遺産・展示物を自分の目で観たかった。
プレインカ時代から始まって、インカ時代、スペイン侵攻後の所謂植民地時代、近代・現代へと階を上がって行って観賞した後、一旦ロビーに戻り、次にエレベーターで、着いたのが6階常設展「YUYANAPAQ」であった。
「YUYANAPAQ」?
展示場の入り口で、入場者名簿に記帳する仕組みになっていた。
「何故、ここだけ記帳?」
「YUYANAPAQ」(ユヤナパック)と聞いても、観光について事前に調べてもいない我々に判る筈もなかった。
ケチュア語で「追憶のために」と言う意味だ、とガイド氏から説明されても、ピンと来ていない二人だった。
もちろん、展示内容は全てスペイン語表記だったし、我々に文字の読めよう筈がない。
しかし写真画像は、雄弁に語りかけて来た。
最初の画像を観て「がっ、がぁ〜ん!」
ガイド氏の言葉は、私達にも馴染みのある言葉「テロ」、「ペルーのテロの時代だったのです」
ほぉ〜、ペルーにもそんな時代があったのだ。
日本大使館がテロ集団に占拠されて、時の大統領の名「フジモリ」が知れ渡った、その事件のことは記憶にあるが・・・。
そうか、日本だって左翼過激派の赤軍派迦葉山事件や浅間山荘事件があったから。
しかし、その年代・時代を聞いて、また「がっ、がぁ〜ん!!」
「えっ、えっ、えぇ〜、そんな最近だったの・・・!!!」
陳腐な形容であるが、しばらく開いた口が塞がらなかった。
まさに目から鱗の「がっ、がぁ〜ん!!」なのである。
1970年代から、ことに1980年から1992年までの間の、テロや軍(軍事政権時代も)による暴力の応酬の歴史。
それが、東京で言えば、上野の博物館の中で常設展示されているようなものだ。
それって、日本が右肩上がりの経済成長を続けた、バブル経済の時代じゃないか!
1970年って、えぇーと、<解く風呂敷から昭和が出>だから、昭和44年か、45年!
大学を卒業して、親の事業を手伝いながら電気の事を学ぶために夜学に通い、結婚して、長女が誕生、その年だ。
1980年って、昭和55年だから、その時代にペルーでは左翼ゲリラ組織が容赦のない無差別暴力テロを繰り返していたんだって!
私たちは、己の無知さを思い知った!
日本のバブル時代じゃないか、朝、ぎゅう詰めの電車に乗り込んで、夜、終電の駅に駆け込む日々の。その地球の裏側のペルーで、こんな惨たらしい日々が続いていたなんて。
案内氏は、「我々のテロの時代」を繰り返し使った。
決して「コミュニスト集団が」と、決めつけはしなかった。
が、これでもか、と言う位に惨たらしい数多くのモノクロの写真の中に、見慣れたチェ・ゲバラの顔写真が小さめに掲げられていた。二人とも、カストロと袂を分かった医者であったチェ・ゲバラがボリビアで処刑されたことは知っていた。
「我々のテロの時代」の殆どが、毛沢東主義を信奉する極左ゲリラ組織「センデロ・ルミノソ」(ペルーの輝ける道)の惨たらしい無差別暴力テロと軍の応酬、暴力の繰り返しの歴史であった、と後から知った。
「鎌と槌」のお馴染のマルクス・レーニン主義を象徴するマークもあった。
そんな時代があった、ついこの間のことを”忘れまい!”。
その誓いの「追憶のために」(YUYANAPAQ)、だった、と。
最も政治的に脆弱な時代で、付け入る隙を与えた時代であった、と。
その責任は皆にある、それを忘れないために、と。
☆ ☆ ☆
博物館の表に出て、階段を下りながら、二人が交わした会話は;
日本にゃ「三日坊主」って言葉も、「人の噂も75日」って諺があって、忘れっぽくて、しかもずっと長いこと総無責任時代がまかり通っていた、いると進行形?
3.11の後のあの原発の悲劇を、あの安全神話への怒りを忘れ、憲法問題・集団的自衛権、憲法9条の是非、靖国の合祀問題、東京裁判と戦争責任問題、終戦直前の沖縄戦の軍の命令有無の問題、インパール作戦の責任問題、226や511や盧溝橋や、ノモンハンの責任所在、等々、皆々、曖昧に・・・。
それにしてもプレインカのあの遺産、文化の高さを証明する遺物の素晴らしさ、縄文文化・弥生文化の比じゃないねぇ。
BC何百年のあの時代に、日本でやっていた絞り染の技術と同じような技術を持っていたとは、驚いたね。
日本じゃインカ、インカって、アンデスは全てインカで一括りにしちゃう傾向があるけど、プレインカの方が遥かに長く、その文化度の高さは目を見張るよね。
それにしても、そんな高度の生活文化を備えた文明社会が、その先何百年とそれほど進化せず、スペインのピサロが大航海時代にパナマから攻め込んで来た時、西洋の銃に対抗する武器としてパチンコの親玉のような投石器やこん棒の様な武器しか無かったとはねぇ、びっくりだねぇ。
何で、そんな長い期間、争いの道具としての武器開発が停滞していたのかねぇ?
☆ ☆ ☆
人口数十万のワラスから車で数時間、ガタピシャに揺られながら辿り着くことになるアルパマヨ登山の登山口、カシャパンパの集落に着くまでの道中でも、そしてワイワッシュ山群トレッキングの終着点ポクパからワラスに戻るための数時間、大きめの集落や、町の中で、垣間見たお揃いの制服を着た小学生・中学生の清楚さ、仕草の礼儀正しさ。
都会から遠く離れた山岳地帯、山間部の谷あいに育つ子供達への教育の確かさを感じた。
☆ ☆ ☆
アルパマヨ・アタック・キャンプ(標高約5000m弱)への4泊5日のトレッキングで高度順応を終えた二人は、6月11日からワイワッシュ山群トレッキング+ディアブロ・ムド峰(5350m)登頂を目指す10日間の山旅に出た。
ワールドカップ・サッカー・ブラジル大会は、この旅に出てからスタートを切った。
一緒に行っていたケチュアの血を引くような顔だちの馬方(ロバ使い)のアジェも、キッチン方のシリロも、
ブラジルが勝って大喜び。<ネイマールだってよぉ、寿司食いねぇ、酒飲みねぇ、江戸っ子だってねぇ、そうだってねぇ・・・>
メヒコが勝って大喜び。<ドスサントスだってよぉ、寿司食いねぇ、酒飲みねぇ、江戸っ子だってねぇ、そうだってねぇ・・・>
チリが勝って大喜び。<サンチェスだってよぉ、寿司食いねぇ、酒飲みねぇ、江戸っ子だってねぇ、そうだってねぇ・・・>
だが、強豪スペインが大差で負けたら、おどけて大喜び。
そうか、ピサロの敵討ちか!
(注:<>は、初代・広沢虎造の十八番、森の石松・金毘羅代参・三十石船より)
(続く)
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ワラス、Andeles Inn での一期一会ワラスで宿にしたアンデレス・インのオーナーのサウルさん(中央)とシルビア(右)御夫妻。
今回のトレッキングのすべてのアレンジをSaulさんにお願いしました。(SaulさんはNHKのグレートサミットのワスカランの編でガイドを務めたマックスさんの兄弟です)
左は、この旅の相方、近藤さん。
(備考)Sol Andino:Andean adventures, Cultural Travels & Hotel Services
ワラスを訪れる日本の岳人で、知らない人はもぐりと言われる位、アンデスの山に精通されている現地在住の谷川さん。
広島、三次の出身で、おんとし87歳とか。
ニュヨークから来られた岡本さん(左)と、アラスカ・マッキンリー山を登られた後、アンデスに回って来たと言う若き岳人、富山の山田さん(右)。チョピカルキ、他数座を今回登られたとか。
右の方が、白石プロ?眼鏡してたかな・・・。 右に座っておられるのは、フリースに着替えた白石ガイドだったかな・・・?
長岡ガイドと一緒に来られた方の画像はないなぁ・・・。
大事な方の画像がない、常連の佐藤さん。
いろいろお世話になりました!
また、どこぞでお会いすることあるかもしれませんね。
(続く) |
ペルー・アンデスの旅:ワイワッシュ山群一周の旅ーその10第10日目(最終日) 2014/6/20 起床 5:00、朝食 5:45、出発 6:15
このトレッキングの最終日だ。
天気、良し。
名残惜しいが、去る日が来た。
最後の峠、マンカン・プンタ峠(4580m)を越えてポクパ集落に下る。そこが今回のワイワッシュ山群一周の旅の終着点。
キャンプサイトの標高が4050mだから、約500mの登り。
登り上がるに連れて、昨日前山に隠れて見えなかったロンドイ(5870m)やイエルパハ(6617m)が頭を出して来た。
マンカン峠では更に良く見えた。
我々が挑戦したディアブロ・ムドが画面に収まらなかったのは残念だった。
「ギヨさんが、これで見納めだよ」
じゃんけんで負けた私のタクシー利用は、今日は後半の下り坂であった。
鋭い棘を沢山付けたサボテン科の植物が生えた山腹を蛇行しながらポクパへの道は続いていた。
はるか下に、この旅の終着点、ポクパの集落が見えて来た。
11:00 馬に乗ってポクパ着
11:30 近藤さん、ギヨさん着
素晴らしい10日間の山旅でした!
ロバ方のアジェさんとはここでお別れです。
マルコさんが、また車で迎えに来てくれました。
14:30 ワラス、Andeles Inn 着
(続く) |
ペルー・アンデスの旅:ワイワッシュ山群一周の旅ーその9昨夕、くたくたになってこのヤワコーチャ湖畔(インカワイン)のサイトに到着したのが16:50分であった。
シリロさん、アジェさんが満面の笑みで迎えてくれた。
そしてガイドのギヨさんと改めてがっしりと手を握り合った。
ヤワコーチャ湖と、その上流のソルテラコーチャ湖と、二連の湖の奥には、この山群の主だった山々が連なっていた。
左手前の尾根に隠れてニナシャンカこそ見えないが、ロンドイ(5870m)、ミツラフ(5750m)、イリシャンカ(6094m)、イエルパハ・チコ(6089m)、そしてイエルパハ(6617m)が屏風のように連なっていた。
そう、この旅の3日目、カルワク峠で見損なった山々を、今、裏側(西)からみているのだ。あの日生憎の天気模様で、東からの眺望は碌に得られなかったが、その真逆からその山々を見ているのだ。
シリロさんがワイラパの集落で手に入れて来た缶ビールで、ディアブロ・ムドの登頂を祝った。
真西を向いている山々は、この旅のフィナーレに相応しい茜色に染まって、我々オジン部隊の登頂を祝してくれた。
その晩は、緊張から解放され、もう睡眠導入剤を飲む必要はなかった。
「明日はレスト日です。朝の起床は、何時でも良いけど、朝食は取りあえず8:30からとしておこう」と、ギヨさんは告げた。
標高4050mのこのサイトでも、缶ビールの酔いは、早めに回った。
第9日目 2014/6/19 レスト日:ヤワコーチャ湖畔(インカワイン)のキャンプ・サイト
熟睡できた朝の目覚めは早い。
もうすっかり明るくなった頃には、二人共夫々のテントの中でごそごそしていた。
外に出てみれば、草原の中にテーブルが置かれ、テーブル・クロスの上にはナフキンとホーク、スプーンが揃えられ、雄大な景色の中でのブレックファーストが準備されていた。
今日、一日は、全員自由時間。
朝食の片づけを終えると、シリロさんとアジェさんは、いそいそと支度を始めた。
昨日のうちにサイトを引き上げる他のパーティの仲間から長い棒切れ(2mばかりの)をもらっていたらしい。それに持参したみち糸を結び、ガン玉をつけて、釣り針を結び付けていた。
こんな仕掛けで本当に釣れるのかいな・・・。
訝しがる二人をしり目に、湖に流れ込む小さな流れのポイントに餌を付けた針を投げ入れる。
アジェさんなんかは、棒切れも使わないで、糸の先に針を結んで、どこから手に入れて来たか知らないが、イクラのような卵を刺して、湖面に投げ入れる。
ぱっと、しゃくりあげたかと思うと、糸の先でトゥルーチャ(trucha)が踊っている。
あらら、なかなかやるもんだね。
中にはこんな30cmクラスのいい形もあった。
ちょっと黒味がかった丸い斑紋が明瞭に見えてる奴もいた。
鱒と言うか、日本の山女魚に近いのかな・・・。
シリロさんなんかは、47歳の子持ちのおっさんであるが、嬉々として釣りに興じているのである。前からこのサイトに着くのを待ちかねていたかのように。
膝まで、ズボンの裾をたくし上げ、ゴム草履で葦の中まで踏み込んで、一心不乱に棒切れの竿(?)を差し出しているのが、遠目からでも判った。
彼らはポイントからポイントを求めて、湖の先へずんずん進んでいく。
ずんずん進んで、湖の最奥の方までいくつもりかなぁ・・・。
ギャラリーは、付いていくのは諦め途中から引き返す。
結局、彼らは、2時間半ほどかけて、周囲6〜7Kmあるヤワコーチャ湖をぐるっと一周して、ビニール袋一杯のトゥルーチャ(trucha)を釣って戻って来た。
最終的な釣果は12,3匹。
さばいて内臓を取り出せば、イクラのような卵を抱いた奴もいた。
ランチの下ごしらえを始めた二人に代わってギヨさんが近くの流れに棒切れを差し出すが、そうは問屋が卸さないのが釣りの面白さ、かな・・・、手慣れたシリロさんやアジェさんのようにはいかないらしい。
そのうち草原のランチ・レストランがオープンし、もちろんテーブルに並んでいたのはトゥルーチャ(trucha)のフリット。
こんな雄大な景色を借景にしたレストランがあるだろうか!
今しがた釣り上げた新鮮なトゥルーチャ(trucha:鱒)のフライ。
わが生涯で、最高のランチではないか!!!
その後は、もちろん祝杯ビール!
ほろ酔い気分で、見上げる青空には、コンドルが、弧を描き、
「あぁ、何という素晴らしき空間、至福の時間よ!」と、熱に浮かされた私は天を仰ぐ。
流れるそよ風が小鳥のさえずりを運び、時折響く轟音が雪崩の起きたことを知らせる。
流れの対岸では去りゆくパーティのロバ隊が。
そして、今日もこともなく暮れて行く。
宵の明星が、シルエットになったイリシャンカの上で、輝きを増す。
明日は、最終日、マンカン峠(4272m)を越えて、最終地、ポクパ(3470m)集落に降りる。
(続く) |


