|
昨年10月下旬にネパールから帰国後、俄かに体調を崩した在宅介護していた親父の入院、そして100歳と6日での他界、葬儀後の雑事。それらに取り紛れて、すっかりネットから離れていた。 只、帰国後、こちらも体調が何となくおかしく、普通の状態に戻るまで数週間を要していた。その間に、ネパールに出かけたNさんと何度か連絡を取り合い、カトマンズからバンコック経由の帰路、俄かに体調の変調を訴えたヤブさんの状況を心配していたが、約1ヶ月後には回復し、正常に戻った、と。 その後は、上に記したような私事で、疎遠にならざるを得なかったが、先日山友達のKさんから、「こんな記事が裾野市のYさんから届いたから・・・」と、画像添付でメールが舞い込んだ。 日本農業新聞に掲載された記事の画像であった。 このブログのメラ・ピーク遠征記事の中でも何回も触れていたが、ヤブさんは当時79歳(私は69歳)。 早速、自宅に電話したら、あの懐かしい声で 『暮れだったかの、八ヶ岳(赤岳鉱泉?)で開かれた研修会に参加されたKさん、そこに参加されたメンバーにこの新聞の記者が居られ、ヤブさんの話を聞いたら、是非インタービューしたい、と話していた、とか。その後、最近になってから、インタービューを受けた結果がその記事になったの。照れくさいずらー。断ったんっだけど・・・。』 もちろん、しばらくぶりの会話だったから、話はあちこち飛んだ。 『胃腸に変調を来たして下痢が続いたけど、病原性大腸菌何とかと言う診断がされて、結局、4週間近く医者にかかったかな。もっとも、O−157のような大層なものじゃないけど。』 私が、トレッキング中、腹の具合がおかしくなり、下痢を起していたのと同じ症状のようだった。遠征メンバー全員が同じものを口にしているのだから、その時の本人の体調いかんで、影響の出方が早かったり、遅かったり、重かったり、軽かったり、のようだ。このような話は、ヒマラヤ遠征隊の記録に何時も出て来る話ですけど。お互い、初めてのヒマラヤ遠征で、初体験をしたようだ。 『その後、暮れに、けつまずいて、肋骨3本折って、3月初旬にやっと医者から山歩きOKの許しがでたところなの。それで、5月の連休に涸沢から奥穂高に上がって来た。良かったよ、歩けて。』 私も、葬儀後の雑事が無ければ、参加したかったのだ・・・。 当然、白馬や奥穂高での事故のことも話で触れた。 遠征中の冗談を想いだしていた。
もちろんこの軽口は、山頂アタックのサクセス後、アタック・キャンプからベースキャンプへ引き上げる下山中の冗談だが 「あの雄一郎さんが、来年80歳に、エベレストの再登頂を計画しているらしいけど、ヤブさんは彼より半年年上だから、来年エベレストに登れば、記録更新になるよ! 酸素スパスパ吸って登れば、ヤブさんなら登れるよ!」、「大層なお金掛かるずら」 って、シェルパ達を交えて、冗談の言い放題であった。 |
過去の投稿日別表示
[ リスト | 詳細 ]
2012年05月14日
全1ページ
[1]
全1ページ
[1]



