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そう思わせる女一人の約6ヶ月に渡るチベット、チャンタン高原一周の馬による旅の紀行文である。しかも、1995年の事である。 私は、社会に出たての頃、山歩きを少しでも齧った多くの若者が夢見ていたヒマラヤの高山に登りたいという夢、それはあまり思わず、蒙古から西に向かった大草原の旅に憧れていた。多分、当時読んだ京都大学山岳部の今西錦司等の大興安嶺探検、オロチョンを求めて行った探検の旅の記録や、隊員だった加藤泰安の「森林、草原・氷河」(茗渓堂)を手にしていたからだろうか。 今まで、アジアの西域に関してどの位の本を読んだろうか。 スウェン・ヘディンの「中央アジア探検紀行」や、河口慧海の「チベット旅行記」の何冊かのシリーズに始まって、津本陽の「大谷光瑞の生涯」、橘瑞超の「中亜探検」、多田等観の「チベット」、比較的新しい時代の酒井敏明の「旅人たちのパミール」、田島正の「中国国境8000Km」、藤原新也の「西蔵放浪」、ちょっと毛色は変わるがハインリヒ・ハーラーの「チベットの7年:Seven Years in Chibet」に目を通し、その映画も観た、等々。 沢山あるが、読んだと言っても流し読みした程度の数冊もある。いずれは再読してみたいと思いながら手つかずのままになっている。 この「チベットを馬で行く」であるが、本の背にあるタイトルが眼に入って著者の名前・"一枝"で、?、?、? 男なのか、女なのか、単純な疑問を持った。 私は、巻末にある後書きを見てから本を買う癖があるから、この時もご多分に漏れずあとがきを開いた。そして知った。「1996年4月 またラサで」で結ばれた"あとがき"の文章の中に「夫も元気で忙しい日を送っている」とあったから、著者は女性で、"一枝"(いちえ)と読むことを知り、表紙の裏に「著者紹介」があることに気付いた。1945年ハルピン生まれで、1987年春まで18年間東京の近郊の保育園に保母として勤務していたことを知った。 『子供のころの渾名が「チベット」だった。・・・口ぐせのように「チベットに行きたいな」と言っていたらしい。なぜチベットが心にとまったかも、記憶にない。中学2年の時「ダライ・ラマ、インドに亡命」という新聞記事をみた。小学生のとき何かで「チベット」がインプットされて以来、チベットに関しては敏感な中学生だった。それから数年して川喜多二郎さんの「チベット人 鳥葬の民」を読んだ。ますますチベットに憧れた。』とあった。 読み進めていくうちに凄いじゃないか、素晴らしいじゃないか、ここまで溶け込み、チベットの人、風物を愛して!、と。 夢の実現のためにチベット語を学び、たった一人での騎馬の旅。もちろん現地、チベットの随行者、案内人も同行しての旅ではあるが。子供の頃の憧れを実現しに。 所々で出てくる「岳」の名が気になっていた。 そう、著者は、「岳物語」や「わしらあやしい探検隊」の作家、椎名誠の伴侶なのだ。 さもありなん、と変な納得をしてしまった、本の内容とは何も関係もないのに。 |
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2012年12月05日
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