サントリー天然水工場(白州)との井戸水問題・他:白州の森

白州の森が綴る、「サントリー白州工場との井戸水問題」等の「森からの便り」

介護雑感

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「山が呼んでいる!」

「山が呼んでいる!」

"山が呼んでいる"なんて、陳腐な形容だが・・・。

今までの天候不順を取り返すように、ここ数日の好天。
今日などは、気温もぐんぐん上がって、もし残雪の3000m級の稜線に向かえば、きっと新緑の里から春の花咲く谷間、そして爽やかな風が吹き上がる雪渓、稜線の上の抜けるような青空。
稜線に上りあがれば、見渡す限りの残雪を抱く山、また山!

あぁ、行きたいな〜、山が呼んでるよ〜!

*   *   *

立ち上がれなくなった膝の痛み。
水抜きして、関節注射して、炎症を抑えても、最初の2日間は"痛い"、"痛い"の連続。何度も様子を見て、湿布薬を張り替える。ベットから起き上がれないのだから、毎回大変。

ここ数日は、電動ベットを入れ替え、山のようなビデオやカセット、漢詩の文献、金融機関のパンフレット、通信販売のダイレクトメールの山を整理。
40年間貯めに貯めた、周りの3つの本箱、机、椅子の上満載のそれらの物を少しづつ片付けて、取捨選択、廃棄、そして肘掛の付いた携帯便座、電動ベッドと対の差込型テーブル、座敷用車椅子を置くスペースを造る毎日だった。

毎晩、寝静まった夜中に、突然呼び鈴で眠りが破られる、
やれ「膝が痛いから、医者に連絡を」(親父)、
「今は、夜中の3時だから、先生も往診しないよ・・・、膝のシップ薬を張り替えてやるから」(もちろん、毎食後痛み止めの錠剤は飲ませている)(私)、

やれ「メガネがない、探して・・・、銀行の通帳を記帳して来て、年金が振り込まれているから」(親父)、
「年金振込みは偶数月だよ、今は夜中の2時、しかも週末、銀行やってない!」(私)。

やれ「便が出ないから、浣腸買ってきて・・・」(親父)、
「3日毎なんだから、一昨日どっさり出たんだから、大丈夫、夜が明けたら買ってくるから・・・、取り敢えず植物性の顆粒状便秘薬を・・・、膝の湿布薬を張り替えて・・・」(私)

明けて、月曜の早朝7:00、燃えるごみの収集日。
1日に1パックは消費するティッシュ(目を拭ったり、口元を拭ったり、痰を吐いたり)、食事のこぼした物を拭ったり、湿布薬の残骸やらで、3個のダスト・ボックスは満杯。これを処理、更に桶バケツ一杯の紙おむつの処理、そしてディスポーザル・トイレ袋(凝固材と消臭液掛け処理した)の始末。
俺は3・4時間しか寝てないのに、朝飯を食べたいとか、言い出す。

「お陰で、排便はできた、よかったよ・・・。」(当然、またディスポーザル・トイレ袋の処理)、「便秘薬は効果があったんだね」、「でも喉が渇いたから、お茶でもジュースでもいいから・・・」
それから朝食の用意。
終わったら、起き上がっているうちに、紙おむつを含め下着、パジャマ(トレーナー)の着替え。

最近、とみに聴力が弱り、ここ半年に3種類もの補聴器を試みたが、結局どれも駄目だと・・・。
白内障が進み、近所の眼医者から大学病院に検査に回るが、「お年が、お年ですから、手術はお薦めできません」で、最も倍率の高い点眼鏡をあちこちに置いて使っていたが・・・。最近はテレビもラジオも自ら進んでは見ようとも、聴こうともしない。好きな野球や、お相撲が始まっているのに・・・。
かと言って、夜中、最大ボリュームにして、テレビやラジオを鳴らされては、居間に居て、家族でテレビを見ていることもできない、困ったもんだ。ヘッドホンは頑として使おうとはしないし・・・。

*   *   *

「あぁあ、山が呼んでるよ〜!!!」

まいっちゃたなぁ〜

明治45年生まれの親父の、5/7から4泊5日のショートステイ。
最終日の前日、5/10の夕刻、入所した施設から私の携帯に電話。
発信番号を見て嫌な予感。

連絡は、『この夕刻から「膝が痛い」と言って、ベットで休んでいる』と。

40年前にくも膜下出血で倒れてから、左半身の自由が利かない。
そのため最近は左足、主に左膝が炎症を起し、数ヶ月に1回位の頻度で、水が溜まり、炎症を抑える処置をしてもらっていた。
半年ほど前までは、「俺は200mもあるけたんだぞ!」と威張って喋っていた御仁(左足が利かないので、「そんなに頑張ることないよ」と応じていた私)。

今回は、ちょっとした数メートルの歩行リハビリをやったらしい。

翌日5/11、退所手続きに出向くと、ベットに横になっていた本人、「右膝が痛くて、左足をかばうから・・・」と。
退所手続きが済んで、自宅に戻って、抱きかかえて部屋のベットに。

数時間後に予定していた在宅診療医師(月2回、主に膝の治療を受けていた)が往診に来てくれた。
「ちょっと腫れていますね」
いつものように注射で水抜きし、炎症を抑える薬を注射。
「これで少しは楽になると思います、あさってもう一度様子を見に伺います」と。

翌日、すなわち今日になって呼び鈴が鳴る(親父のベットの傍と、隣の私の部屋とを繋ぐ呼び鈴を付けてある)。
あわててベットの傍に行くと、今度は「左膝が痛い、医者に電話して、来てもらいたい」と。
予定では、明日(5/13)に往診に来てくれる予定だったが、「それまで待てないから、電話して」と。

何とか都合を付けて医者が往診に来てくれ、右膝にも炎症を抑える措置をしてくれた。

両膝が同時に炎症を起したのは、今回が初めて。
片方だけだった今までのケースでは、治療後翌日には痛みが治まり、何とか伝い歩きが出来るようになったのだが、今回はどうもそうは行きそうもない、もう少し長期戦になるかも・・・。

午前中は、長期戦に備えて、その準備に介護用品店や雑貨屋巡り、そして午後ベット周りの片付け。

まいったな〜、つい先日は、山行の最終日の前の晩、自宅からの緊急電話で、翌早朝、一人一足先に帰らせてもらことがあり、その時は大事にならなかったのに、今回は施設のショート・ステイ中にとは・・・。

イメージ 1


昨夕、夕食時の我が家の会話

登場人物;

親父-----98歳(明治45年=1912年):半分入れ歯、耳はかなり遠い、
我輩-----68歳(昭和17年=1942年):そろそろ介護されたい側に回りたいと・・・
山ノ神----67歳(昭和18年=1943年):同上
娘-------40歳(昭和45年=1970年):今を生きている感じ
孫-------15歳(平成07年=1995年):毎日パソコンと遊んでいる???

そう我が家は四世代同居の家族。

何時もは親父の主食はお粥、今夕は切れてしまったためパン食。
いつもはお粥に砂糖を大匙2杯は掛けてやらないと不満げな親父。

山ノ神  「オジイチャン、お粥を炊いている時間がなかったから、今晩はパンでね」

と食卓にお菜と共にお盆に乗せて差し出す。
親父は、先ずヤクルトをストローで飲んでからこのパンを食べ始める。

親父   「このアンパンは美味しいな〜! この小さなアンパンが一番美味しいよ・・・」
山ノ神  「季節柄、餡の中に桜の葉の香りが入っているのよ」
親父   「このパンが、甘くていいよ・・・」

山ノ神  「オジイチャン、そのシャケ、身をほぐしてあるから、食べられるでしょ、
      そのお野菜もみじん切りにしてあるから」
親父   「シャケか、いいな〜」
山ノ神  「どう、そのシャケ、美味しいでしょ!」

孫も娘も私も黙々と食べていた(主食は普通のご飯、シャケにサラダ、そしておみおつけ)

親父   「子供の頃はな、こんなシャケ、食べられなかったんだよ・・・、
      みんな貧乏だったから、片田舎の百姓だったから、魚なんか滅多に・・・、
      たまに食べられても塩に浸かったような、塩の吹いた"鱒"の切り身だった・・・」

皆、始まったな、と言う感じで

私    「一体、何時頃の話をしているんだい、尋常高等小学校に入学する前の話だろ」

高校生の孫は黙々と食べて、もう自分の部屋に引き上げる用意をしている。
他の3人は誰ともなく、

     「90年以上前の話ね・・・」(そう、もう何十回となく聞いている話・・・)

山ノ神  「オジイチャン、そろそろ一世紀前の話になっちゃうのよ・・・」

イメージ 2


こんな食事どきの会話がここ10年近く続いている・・・


こうして、椿の花のシーズンは、今年も過ぎ去って行った・・・


手首骨折の最終診察

最終診察を受けに、9月に救急で運び込んだ病院に付き添った。

9/18に骨折、三週間おきに通って、レントゲン撮影で事故後の手首の癒着状態を診察してもらっていたが、4ヶ月と10日になるが、完全には癒着していないらしい。

親父は、この1月で99歳になるのだから時間のかかるのはいたしかたないらしい。
くも膜下出血で60歳の時に倒れ、それ以来、左半身に麻痺が来ていて、左手も思うようには力がはいらないでいた。そんなこともあって、治癒が遅れているらしい。今年に入ってからは、殆ど痛みもないらしい、それまでは、時たま「まだ痛い・・・」と言っていたが。

そんな折に、年が明けてから、週二回通っているデーサービスで、入浴後に吐き気が生じ、2回目は朝食をとったものを嘔吐して、施設のズボンを拝借して帰って来た。(下着上下、上着シャツ、靴下は、入浴後の着替えとしてもたせている)
2度続いたので、施設では「熱は、無いようだけど、風邪の引き始めではないか?」と。
本人も参っている様子で、車椅子から立ち上がることも出来ず、自宅のベットに潜り込ませるまでだけでも難渋。息苦しいと本人は訴える。背中をさすったり、背骨付近を軽く叩いたり。
叩いている間は、「気持ちいい・・・」と、だがそう長く叩き続けられるわけではない。

早速、その日に近所の医者(本人が昔昔からの馴染み)に連れて行ったが(階段が3段、玄関から更に1段上がらせないと、診察室に行けないので、最近は本人が嫌がるので定期的な診察には通っていなかった)心電図を観て「心筋梗塞の心配はないですね、若干の不整脈は見られますが、心配はないでしょう、熱もないし・・・、年が年ですから、念のために血液検査はしておきましょう」
数日後の検査結果でも、悪い所見は何処にも無い、と言う見立て。

本人はその間、2週間ほど、「息苦しく、吐き気がする・・・」と、夜中に何回も訴える。
今まで何とか自分でやれていたいた着替えも全くだめ、電動ベッドの布団を捲って、布団の中に潜り込むことも上手く出来ない。
そんな状態が、ここ2週間続いていたが、先週末頃からやっと伝い歩きが安心して見ていられるようになった。

そんなこともあって、手首の癒着も進んでいないのだろう・・・。

そんなこんなで、ブログもずっと、お休みでした。

再診に連れて行った。

9/18は、急患として特別な救急患者の夜間駐車場(6、7台分)を用いることが出来たが、再診の今朝は、一般患者の有料駐車場を用いなくてはならない。スペースがなかったら、やっかいなことになるな〜・・・。
家の前で車に乗せるまでも車椅子だし、病院の駐車上に着いてからも車椅子だから、駐車スペースがないとドライバーは車を離れられない、予約時間も決まっているし・・・。

でもこれは取り越し苦労だった。30台分ぐらいのスペースの2/3位は既に埋まっていたが、朝一番、8:45分と言うこともあって、すんなり車を置くことが出来た。

地下1階の放射線科でレントゲンを撮って、1Fの整形外科へ。
当直で救急対応してくれた医師が再診をしてくれた。
出かける前に、本人も「今日になったら大分痛みが和らいできた」と言っていたから、安心はしていたが、医師は「順調に回復しています」、「副木は下側だけにしましょう」と。
「では10/8日と10/22日に予約を入れておきますので、いいですか?」
もちろんOKと答える。

この間、約1時間半。

診療費用は¥880円。駐車場代金が¥800円。

週2回のデーサービスはしばらくお休み、医者は「痛みが和らんだら、デーサービスは行ってもらった方がいいですよ」と。でも本人は「2,3ヶ月、断ってくれ」と。
もともとデーサービスもショートステイも行くのは、嫌だ、とごねていた本人、困ったものだ。

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