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ジェネーブからツエルマットに入って先ずすることは、アルパイン・センターに行ってマッターホルンを登る為のテスト山行、”ブライトホルンのハーフトラバース”の予約をすることであった。 それが済めば、高度馴化をすることであったので、翌日は登山電車、Gornergrat Bahnを使って、高度3089mのゴルナールグラートへ上がることにした。 画像説明1:終点ゴルナルグラート駅、標高3089m、右側がブライトホルン(4164m)、左がリスカム(4527m)、真ん中のコブ二つがツバイリンゲ(カスツールとポリュックス) 画像説明2:ホテルの天体ドームの奥にマッターホルン、雲がピークを隠し始めた 画像説明3:モンテローザ(4634m) 画像説明4:ホテルの横からマッターホルンを 画像説明5:ホテルの窓のガラスに写っていたブライトホルン 画像説明6:ホテルとチャペルの間に小さく見えていた、遥か遠いバイスホルン 画像説明7:駅から下りかけたら「アイッベックス!」 画像説明8:子供を3匹連れた母親も居た。 画像説明9:岩場を遠ざかる子供のアイベックス |
欧州アルプス登山
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ユングフラウ・ヨッホ行きの登山電車が薄暗い「アイスメール駅」でとまる。 ここからいよいよアイガーがスタートするのだ。 登山者だけが通り抜ける小さなトンネルの手前で、ガイドが待っていた。 ドアを押し開けると、光が差し込み、屈むようにして雪の上に降りた。 写真説明1:ミッテルレギ稜(東山稜)への取り付きポイントの岩壁 私に付いたガイド、マーティンのリードで登り始めた。 穂高の岩のように浮石への注意は必要ないほどがっしりした固い岩だった。 これはマッターホルンのヘルンリ小屋上の取り付き点の岩も同じだった。 写真説明2(近藤さんの画像です):最初のクライムダウンの場所 マーティンが確保OK、で私が下り出した。先に下っていた近藤さんが下に降りたのを確認すると、近藤さんと組んだガイドのブルーノーは、私の横を追い越すように前向きの姿勢でクライムダウン。 写真説明3:ミッテルレギ小屋下の大スラブ 初めてヒュッテが見えて来た。 首を上げて見る、かなりの高さの所にあった。 長い時間、常にある一定の歩幅で上に押し上げる歩き方が続いた。 きつかった! マーティンの歩幅が憎かった! 写真説明4:アイガーの東山稜はまるで楔のようだった。 北壁から駆け上がる風がガスを巻き上げて、「うぅっわ〜、これ登るの〜!」って感じだった。 写真説明5:数時間後天気は回復し、アイガーの山頂から続くアイガーヨッホ稜・メンヒが見えて来た。 山頂からの下降路になるアイガーヨッホ稜の様子が見えて来た。 メンヒは雪で真っ白、雪煙を上げている! 北壁が、西日を受けて輝いていた。 写真説明6:西の空は真っ赤な夕焼けで、明日の好天が約束された。 写真説明7(近藤さんの画像です):最初のコブ、ジャンダルム1の岩場。 綱引きに使うような太いロープが掛かっています。 写真説明8(近藤さんの画像です):アイガー山頂直下の雪稜を登る筆者。 背後はベッターホルン。 アイゼンを履いて岩、氷、雪を歩いてどのくらい経ったろうか、後から「次のピークが山頂だよ」とマーティンが言ってくれた。 写真説明9(近藤さんの画像です):アイガー山頂ではにかみながらも万歳をする筆者。 背景、左がメンヒのピークで、右がユングフラウ。 やっとの思いで最後の高見に上がった。 狭い場所であった。 前方には下降ルートになるアイガーヨッホ稜からメンヒに続く尾根が延びていた。 マーティンと握手した。 一段低くなった場所に下りて、後続のパーティに山頂を譲った。 近藤さんがカメラを向けたので、立ち上がって、両手を上げた。 「ハリンコおやじ」(大垣の久世さん)のブログ;('09年7〜8月にかけての約1ヶ月、マッターホルン、アイガーの登頂に成功、60歳とか。
http://blogs.yahoo.co.jp/ogaki1182 |
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ツェルマットの登山者向けの自炊施設の整ったホテル。 CHF 71.00/泊、バス(シャワー)、トイレ、ダブルベッドで。 コインランドリー有、物干しはホテルの裏(隣がレストランの入口なので、気が引ける) 自炊室には、大きな冷蔵庫、四角い箱を並べた棚、食堂、談話室がある。 調理台の下には食器類が、赤外線レンジが4台、流しが2箇所。 名札が用意されていて、そこにサインペンで名前を記入して、各自の保存品に貼り付け冷蔵庫に格納する。棚の箱にも名札を入れるようになっている。 24時間、好きなときに使用できるのはありがたかった。 食料は、ホテルから徒歩で5分程度のところにCoopがあり、必要な物は買えた。 共同利用の自炊食堂では見知らぬ同志が顔を合わすことができ、そこは同じ山好きの同好の士、ということもあって、すぐ言葉を掛け合い、打ち解けて話をし、それまでの旅や、山登りの情報の交換の場になった。 私どもが着いたばかりの7/30から31日かけて居られた二人組みのパーティ、お名前は聞き忘れたが、7/20頃からマッターホルン狙いで滞在され、7/24にトライ、疲労困憊でソルベイでビバーク、翌日下ることを余儀なくされ、その後機会がなく、7/30に再度トライすれども雪が多くて断念、と語られて、8/1には帰国の為ジェネーブに向かわねばならないと、無念そうであった。 内堀さん、伊豆大島と横浜に住まいを持たれ、毎年ヨーロッパのアルプスなど歩かれていて、日本ガイド佐々木さんと、我々の翌日だったか天候のあまり良くない中をブライトホルンのフル・トラバースをされて来たとか。 大村さんは、某重工業のエンジニヤで世界中の山を駆け巡り、世界100名山のうち既に20も登られているとか、トレーニングを兼ねてユングフラウをやっつけて、二日後にマッターホルンをやったら、ばてて駄目でした、と。もっと間隔を開けるべきだった、ユングフラウを舐めていました、と。 写真説明4:大村さんから頂いた画像です。 浅野さん、ニューヨークから来られたご夫婦、マッターホルンを狙っていたのはご主人。我々と同じ7/31にブライトホルンのハーフトラバースを登りに行ったが、彼らのガイドはロープウェイを降りた途端に「今日は雪が多くて無理、中止!」と宣言、翌々日の8/2に再度ハーフトラバースを申し込み、首尾よく歩き、我々がグリンデルワルドに移動した後、8/3にヘルンリ小屋に入り、8/4にマッターホルンを狙ったが、ソルベイ小屋の手前で断念、と言う話である。その後は北欧のフィヨルドの旅に向かわれた、とか。 談話室で奥様を交えていろいろ情報交換させていただいたのに写真を撮るのを忘れていて残念。 アルパインセンターの担当者が、今年の7月の天候は不順で、お気の毒、と言った言葉を、上記の話が裏付けている。例年より早い段階からアイゼン登攀になり、足への負担も高く、ガイドもより慎重になっているのだと推測している。 |
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ブライトホルンのハーフトラバースも雪が多く、ハーフトラバースの取り付き点もデブリが大きく流れ出ているため、ガイドは中止する、と。それでノーマル・ルートからのブライトホルンになってしまった。 同じ日に同宿のニュヨークから来られた浅野さんと言う方も別のガイドがついてアメリカ人と一緒に(このコースではガイド一人に客2人)ロープウェイでクライネ・マッターホルンまで上がったが、頂上駅を出たところで中止を宣言したようでした。私達のパーティは取り敢えずブライトホルンの頂上には立ちましたが、ガイドの言動はどうもすっきりしない。 写真説明1:ブライトホルンで 近藤さんは昨年もモンブランに登っているし、アルパインセンターで掛け合っても、ヘルンリ小屋から何とか出かけても、ソルベイまで行かずに戻ってくるケースが多く、殆どがヘルンリで待機の状態。岩稜に雪が付いて状態は悪い。登れるようになるまで待て、携帯を持っているなら連絡するから、と。そして待っている間にポルックスのトレーニング登山をしないか、と進めてくる始末。 7/31のブライトホルンの帰り道、8/1の朝とアルパインセンターと掛け合うが、この状態では難しい、今年の7月のマッターホルンの状態は悪く、お気の毒だが、と。 ホテル・バーンホフ同宿だった人も7/20頃から狙っていたが、7/24に一度トライチャンスがあったが途中まででものに出来ず、その後は天候が悪くて・・・、と。別の日本の方は、7/30にチャンスがあってソルベイの少し手前まで行ったが、ガイドからストップがかかってしまったと、話してくれた。自炊室でいろいろ話を聞いた限りでは、誰も登れていなかった。 写真説明2:ヘルンリ小屋の道で 仕方なく第二目標にしていたアイガーを確実にする為、当初のグリンデルワルドへの移動日を1日繰り上げて8/3に移動することにした。 写真説明3:取り付きポイントで じゃ、今日はあまり天気は良くないと言うが、ヘルンリ小屋まで行って、取り付きポイントまで行ってみよう、となった。 写真説明4:取り付きポイントの固定ロープ 取り付きポイントの下には厚い残雪。昨年よりずっと多いと言う。 岩壁に手のひらを当て、そして固定ロープを思い切り引っ張ってみた。 登ることが出来ないなら、せめてそれくらいして帰りたかった。 固い、がっしりした、アイゼンの歯もしっかり受け止める岩だった。 この雪の状態なら、アルパイン・センターの担当者だったかが「ヘルンリ小屋からアイゼンを着けて登ったらしい」と言っていたのが、数日前の状態に巻き戻せば嘘ではないようだ。 写真説明5:取り付きポイントのマリヤ像 写真説明6:マリヤ像を指差す「あそこ!」 帰路は、途中から雹と大粒の雨に遇い、すっかり濡れてシュワルツゼーの駅に飛び込んだ。 やはり午後にストームが来た。ツェルマットに来てから、毎日午後になると雨に遇ったが今日の空模様はそれに輪を掛けていた。 一時持ち直したが、夕暮れから、雨脚はひどくなり、建国記念日の花火も雨模様の中で見ることになった。 写真説明7:一時は持ち直し、こんな綺麗な青空を見せる時もあったが、やはり棚引いてる雲が曲者だった。1時間としないうちにまたおかしくなってきた。先ほどのストームがまたマッターホルンを白くしてしまった。 |
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Zermattでの宿は、あのHotel Barnhof(バーンホフ)。 今はシャモニーのお墓の中で眠られている中野 融さんの書いた「HIKING IN THE ALPS」の中で、「ツェルマットのホテル」の項でクラス:☆、星ひとつにクラス分けされている安宿だけど、かの有名なモン・セルバン・ザイラーハウスの「☆☆☆☆☆」星五つと比較できない思いがあることは、著者自身も知っていて書いたに違いない。 写真説明:ツェルマット駅の真ん前に立つホテル・バーンホフ 1代目のベルハト・ビューナー氏時代には松方三郎、黒田初子、2代目のパウラの時代には北壁を試みた芳野満彦、小西政継など多くの岳人が利用させてもらった宿。 「われ北壁に成功せり」の著書の中で服部(芳野)満彦は「ツェルマット」との章の中で「愛すべき街と山と人」で書いている「輝けるサイン帳」、そして「宿泊料をとらないホテル」の中では「パウラがこのガストンレビュファや高名な登山家が記念にサインしたサイン帳を持って、サインして下さい」と、そして「兄の遺志で、北壁登攀者からはルーム・チャージは受け取れない」 そのページには「ホテル・バーンホフの棚(地下自炊食堂)」のスケッチ画が添えられていた。 写真説明:バーンホフの前に立つ筆者(同行の近藤氏の撮影)、壁にはめられているのが記念のレリーフ 小西政継は、「活躍の舞台を支えてくれた、異郷の地のオッカさん」で書いている『シャン、シャン、シャンと駅前のメインストリートを走る馬車の鈴音が町中に響き渡っている。期待に胸をはずませて見上げた紺碧の空に、マッターホルンが華麗な姿で堂々と聳え立っている。なんと神々しく美しい峰であろうか。「かっこういいなあー!」。僕は思わず感嘆の声を放ったほどである。「どんな高い理想を持ち、どんな大きな期待を抱いて登ったとしても、マッターホルンは決して失望することはないだろう」のウィンパーの言葉は本当だった』、と。 写真説明:ホテル前のレストラン「Casa Rustica」の屋外席から見上げたバーンホフ 写真説明:多くの日本岳人がお世話になったパウラ・ビューナーへの感謝を表す日本岳人が贈ったと言う有名な記念プレートがホテルの壁にはめ込まれている チェックインを済ませて、シャワーをつかって、外に出ると、先ず数メートル先のベランダに出てマッターホルンを見上げた。そして入口に戻って、壁にはめ込まれたレリーフの上に手のひらを当てて、「登らせてください」と祈ってみた。 もちろんそれから長い時間が経っている。ホテルの改装を重ねてきただろう。でも「自炊食堂」や「乾燥室」、「談話室」は地下に健在だった。 そして、部屋は清潔で快適だった。 写真説明:私が泊まった3Fの12号室 「山野跋渉(山行記録」のホームページも併せてご覧頂ければと存じます; |



