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午前2時起床 2時半、お粥の朝食、ダイアモックスとビオフェルミンを、ホット・ミルクで流し込む。 3時出発予定。 テントの前を先行のパーティが通り過ぎていく足音を聴きながら、用意を整える。 ゴーグルは入れたか、予備の薬は・・・、と気は急く。 結局、3時半近くなってました。 キッチン・スタッフのチーフ、ミン・バートルも今回は一緒に登って来て、嬉しそうです。 ひとりの登山者がシェルパに伴われて下って来ます。 あぁ、こんな苦しい思いをするなら、俺もgive-upをしようかな・・、と弱気が頭をもたげる。 兎に角、息が苦しい、のだ・・・。 山頂を諦めて、下って来るようです。 傍らをすれ違いながら、「さぞ、残念なことでしょう・・・」と呟いてる自分が居る、ハーハー、ゼーゼーしながら・・・。 「エベレストが綺麗だよ!」とヤブさん。 「調子は、どう?」に「ぼちぼち、です」と応えるのがやっとの私。 でも、今朝は、山頂に笠雲が掛かっていますね、天気は峠を越したのでしょうか・・・。 ハイ・キャンプを出てから、もう5時間も経っている。 ヤブさんパワー・ジェルを取れ出してチューチューしています。 79歳と数ヶ月、素晴らしいです! 肺が苦しくて、苦しくて。 ここまでの急斜面でも、10歩歩いては立ち止まり、10歩歩いては立ち止まりの繰り返し。 息ができな〜い・・・、肺の細胞が飛び出しそうです。 この"今の感じ"が、6500mの高度の酸素量なのですね。 平地の44%の酸素量だとか。 僅か数十メートルの距離なのに・・・。 今まで、どこの山でも体験したことの無い、苦しい、息が苦しい、うごきたくな〜い・・・、じっとさせておいて下さ〜い・・・、って感じでした。 |
ヒマラヤ メラピーク
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5780mのハイ・キャンプに入りました。 到着したときには見えていた、エベレスト、ローツェ、ローツェ・シャール、マカルーなど、昇ってきたガスに遮られて夕刻には眺望が得られませんでした。 陽が翳ると途端に寒くなります。 到着したらすぐやることは、着替えです。ここまではトレッキング・シューズで上がって来ました。 下着から、ズボンまで、明日の登頂に備え、高所用に着替えます。 高所用の装備は、高所用のダッフルバッグに詰めてありますから、そこから高所用の靴を出し、冬山用下着上下、厚手シャツ、羽毛インナー上下、目出帽、皮グローブ、毛糸手袋、オーバー・ミトン、アイゼンを取り出します。ヘッド・ランプは、新しいリチウム電池に入れ替えておきます。ピッケル、バイルは必要なし、但しハーネス・セット、ユマール、エイト環は、取り出して、テントの隅に並べて置く。靴下セットも新しい物に替えました。 頭の中の血の巡りが悪いのか、高度の影響でしょが、動作が緩慢で、何かと時間が食ってしまいます。 素晴らしいです。 もっと沢山シャッターを押したかったのですが、兎も角かったるくて、動くのが億劫でした。 小用も、昼間からP・Pを使う始末です。一旦、テントに潜り込んで、シュラフに入ったら、チャックを開いてシュラフから出て、テントのチャックを開けて、更に靴引っ掛けて外に出る、それだけの動作をするのが億劫で、苦しいのです。 それに、眼が痛み出し始めました。軽い雪盲になったみたいです。頭は痛いし、風邪気味なのか空咳きが出ますし、食欲はないし、でこれがきっと高度の影響なのでしょう。立ち上がったり、しゃがんだり、かがんで靴紐をいじったりは、息が弾んで、苦しくて仕方がない。 明日の行動に支障がないか不安です。 兎も角、出来るだけ、身体を休めるように、シュラフに潜り込みます。 夕方、衛星電話で、「今日ハイ・キャンプに入り、明日山頂に向かう」ことを山ノ神に伝えた。 夜中に、何度か小用をしたくて、シュラフを開けて、中腰になって、P・Pを充てがって、用をたす。こぼさないようにしっかり蓋をして、またシュラフに潜り込み、チャックを上まで引き上げる。 これだけするのにも一苦労。これを2時間置きぐらいに、4、5回繰り返さなくてはならないから、とても熟睡などしていないであろう。 |
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メラ・ラ(峠、5415m)までやって来ました。 ハイ・キャンプまで、あと標高差300mです; ムービーです(エベレスト方向の眺望)(You Tube)「10/19正午過ぎ、メラ峠付近からエベレストを望む」 何とか遅れずに登って来ることできました。 このチリンさん、エベレストを北側から、無酸素登頂を含め、11回も登頂している経歴の持主です。 カトマンズに帰ってから、彼のオフィスに寄ったとき、見せて貰った、彼の宝物の登頂証明ファイルの中に、1996年神奈川の登稜会隊(隊長:石川清、登攀隊長:三村雅彦、杉山敏康、有川博章)に加わったシルバー・タートル隊(石川富康、小西政継)に同行し、マナスル登頂の登頂証明書があったのには、びっくりして、手持ちの携帯で画像を残しました。彼が、22歳の時の事で、この隊の中で最も若いシェルパだったようです。 この経緯は、小西政継の生涯を記したドキュメンタリー作家・長尾三郎の「激しすぎる夢」(山と渓谷社)の第10章「マナスルより永遠に」に詳しく書かれており、ニマ・ドルジェと並んでツェリン・ドルジェ(22歳)の名で書かれているが、しかし、彼の持つ登頂証明書に列記されている上記各氏の名前に並んで8番目にMR.PEMBA CHHIRING SHERPA、、9番目のMR.DORJE SHERPAと記載されていたから、このどちらかが、チリンさんのことであろう。 七年前に独立して「Rolwaling Excursion」を起こした、そうだ。 |
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10/19 ハイ・キャンプ5780mに向かい、メラ氷河の舌端に登り着いたあたりまで、前回で紹介しましたから、今回はその続きです; クリックで、大型のパノラマ画像になります。 遠くから見ている時は、「一体、何処を登って、あの氷河の上に出るんだろう?」と考えてばかりいました。 段々、近づいて来ると、斜面のトレースが見えて来ました。 出発前の打ち合わせで、靴も今まで通りのトレッキング・シューズでOK、アイゼンも必要なし、とのチリンからの指示であった。「えぇ、氷河の上に出るのに・・・」と不安げな顔に、「大丈夫、いざ必要になったら荷物の中から出すから」と。たぶん、下って来た同じシェルパ仲間からの情報交換で、天気は良いし、その必要はない、と知らされていたのだろう。 それを怠ったばかりに、この晩は、軽い雪盲になってしまいました。 ムビーで見てください:(You Tube)「10/19正午近く、メラ氷河の上に出る」 先行しているパーティや、ポーター達の姿が蟻のように小さく見えますから、あぁ〜、遠いなぁ〜!です。 |
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その行程の画像をアップする前に、メラ・ピークが大凡ネパールのどの辺に位置するのかをお知らせしておきます。 最初の難関は、Thuli Kharka(Big Bolder:4300m)のキャンプに出る手前の4610mの峠(ザトルワ峠)越えでした。私たちは、ルクラから2日目で峠を超えましたが、COSMO TREKパーティは、1日早く出て3日かけてこの峠を越えて来たそうです。その方が高度順応にとってはいいのかも知れません。 では、いよいよメラ氷河への行程を紹介します; 温暖化の影響で、この舌端も随分と後退しているのでしょうが、その痕跡を確かめようとする考えさえ浮かばないほど、只々出来るだけ負担を少なく次の一ステップをどこに置こうかと、薄くなる酸素濃度の気配を感じながら、前を行く、チリンの足元を見つめていた。 ムービーで見てください:(You Tube)「10/19朝、メラ氷河の舌端をハイキャンプに向かって登る」 動画を見る限り、やはり高度の影響を受けているような足の運びですね。 登っている自分は気付いていないだけで。 それにしても、ポーター達がすいすい登っていくのを見て、ヤブさんと2人、「彼らの肺の構造はどうなっているんだろうね、いやはや感心するのみですねぇ」と、こちらは青息、吐息なんです。もう、高度5300m近くなってます。 すぐ後ろを、キッチン・スタッフの3人が登って来ました。 この日はちょっとした失敗をしました。と言うのも、普段、日本の雪山では、遠近両用の眼鏡の上に被せるサングラスをしています。今日もそれと同じサングラスを掛けていたのですが、夜になったら眼が痛くて、涙ポロポロ。眼鏡の脇の隙間から紫外線が入り、雪盲になったようです。 5月、残雪一杯の槍沢や白馬大雪渓、6月上旬の双六などの光量と桁違いのようです。 眼をしっかり覆うサングラスやゴーグルも持っていたのですが、横着して、掛けませんでした。高度障害で気分が優れない上に、その報いは辛いものでした。 |




