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昼過ぎにカトマンズのフジ・ホテルに旅装を解く、2011年10月10日。 古くから、多くの遠征隊の宿となった、日本人には馴染みのホテル。 早速、中島さんは今回の現地エージェント、Rolwaling Excursionのシュリン・ドルジェ、ナワン・ドルジェ兄弟とメラ・ピーク・トレッキングの打ち合わせ。 打ち合わせが終わったら、兎も角、現地通貨がなければどうにもならないので、知り合いの両替商のもとに、散歩がてら、出向くことにする。 明日は、一番の飛行機でルクラに飛び立つので、4時過ぎに、ホテルに迎えに来ると言う。 今晩は、Rolwaling Excursionのスタッフと共に、カトマンズの日本料理店「古都」で夕食を一緒する。 フジ・ホテルの中庭で、早速、打ち合わせ。 トレッキング代金をUSドルで支払う? 彼らが日常使っているのは英語バージョンの携帯電話、だから定型語の英語は、日本人よりよっほどさっと出てくる。 現地の通貨がないことには・・・。両替商のもとに。 ホテルでも可能だが、こちらの方がお得だとか・・・。 と言ったって、トレッキング中に使う僅かな額をルピーに替えるだけだから・・・、散歩が主体? インド系の女性? 現、王宮(一部ムージーアムになっている?)の前を通って 電線がごっちゃ混ぜに引き込まれている。 狭い路地に露天商が店を広げ、そこをタクシーもバイクも警笛を鳴らしながら、巧みに人を避けながら通り抜ける。 そのけたたましさ、エネルギッシュさ、ごちゃまぜ感がたまらない? 香辛料を並べて。 自転車に、あまり立派に育っているとは思われないりんごを積んで売っている。 人の数が物凄い。 フジ・ホテルの正面。 前の道は細い路地。 ここにタクシーやら、バンが停まるから、しょちゅう車の入れ替えで忙しい。 日本料理店「古都」 ヤブさんは盛りそば、私は焼き鳥盛り合わせ+お握り、中島さんはカツ丼でした。 朝一番の飛行機でルクラへ。 空港の照明もまだ点いていない。 乗り込むべく、滑走路の端に出れば、早暁のヒマラヤの峰々が。 箱型の双発プロペラ機。 12人乗り? 16人だったかな? 到着してみて判ったのだが、ルクラの飛行場は狭く、この手の飛行機が4機までしか、駐機できないのだ。16人乗りとして計算しても16X4機=64人。 これでピストン輸送しているのだから、沢山のトレッカーを運べるわけが無い。 機内の様子。 |
ヒマラヤ メラピーク
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登頂証明書には6654m、現地で購入した「EVEREST BASE CAMP 7万5千分の1 地図では、6461mとなっている。どの標高が正しいのだろうか? いろいろ地図や文献を見ても判然としない。 キャンプサイトの地名なども、貰った計画書の表記と違うので、確認してもあまりはっきりしない。 古い地名だったり、最近測量し直して、訂正されたが、いろいろな印刷物はそのまま古い表記が生きている? 要は、そんな細かなことどうだっていいじゃないのよ・・・、って感じなんだ。 携帯していったsuuntoの高度計をルクラの2840mで合わせ、更に翌日のキャンプ地、チュタンガ3020mで修正していたので、そんなに狂いは無いはずだが、地図上の表記とは100m以上も違っていることも多かった。 出発前から、心配事は只一つ、高度順化が旨く行くか、であった。 先ずは、日程を追いながら、エベレスト街道の入り口、飛行場のある「ルクラ」までを画像を追いながら紹介しましょう; 羽田発、タイ航空TG641便でバンコクへ。 バンコクからカトマンズ行きのTG319便に乗り換える。約4時間近くの待ち時間がある。 コンコースの途中の休憩所にあるリクライニング・シートで仮眠。 仮眠も飽きたし、小腹も空いたので、タイ式ラーメンでも、と。 「でも、タイ・バーツに換金してないよ?」、「大丈夫、カードで支払えるから・・・」 確かに。帰路では、途中でソフト・ドリンクが欲しくなって、「ドルでもいいか?」って聞いたら、「OKよ」って。 TG319便の登場口はC9. カトマンズに着きました。 入国審査。ビザをここで申請する。USドル40-で30日間のビザ。 ナワンさんが車で迎えに来てくれた。 ホテル・フジへ向かう車の中から。 フジ・ホテルは、タメル地区の中央にある。 ナワンさんと、フジ・ホテルのロビーで。 扇風機に掛けた「レイ」、ネパール語では何だったっけ? 抹香臭い、マリーゴールドか何かの匂い。 呼び名、忘れた。「レイ」じゃ、ハワイになってしまう。 私に宛がわれた部屋。 フジ・ホテルの外観。 2011年10月10日 昼過ぎに到着。 時差は、3時間半遅くなります。 日程は; 日数 日付 行程 宿泊
01 10/9/2011 成田=バンコク(TG661便):ホテル 02 10/10 バンコク=カトマンズ(TG319便):ホテル 03 10/11 カトマンズ=ルクラ:ロッジ 04 10/12 ルクラ〜チュテンガ(3050m):テント 05 10/13 チュテンガ〜ザトルワ・ラ峠(4610m)〜チェタレ:テント 06 10/14 チェタレ〜コテ:テント 07 10/15 コテ〜タナ(4356m):テント 08 10/16 タナ(レスト日):テント 09 10/17 タナ〜カーレBC(5045m):テント 10 10/18 カーレBC(レスト日):テント 11 10/19 カーレBC〜メラ・ラ〜メラ・ハイキャンプ(MHC:5780m):テント 12 10/20 MHC〜メラ・ピーク(6476m)〜MHC:テント 13 10/21 MHC〜カーレBC:テント 14 10/22 カーレBC〜コテ:テント 15 10/23 コテ〜チェタレ:テント 16 10/24 チェタレ〜ルクラ:ロッジ 17 10/25 ルクラ=カトマンズ:ホテル 18 10/26 カトマンズ 休日:ホテル 19 10/27 カトマンズ=バンコク(TG320):ホテル 20 10/28 バンコク=成田(TG640) |
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私達の、今回の遠征の現地エイジェント:Rolwaling Excursion を主催する Chhiring Dorje Sherpa:チリン・ドルジェ・シェルパのホームページ、「News & Events」で紹介されている如く、私達のメンバーの最高年齢者、MIYAZAWA YABUさんは、79歳で、見事登頂に成功されました。 69歳で、10歳も若い私の登頂は、霞んじゃう? 気が遠くなるほど、長いこと続いたなだらかな雪面が、急に傾斜を増してくると、前方に10数メートルの垂直の雪壁。 固定ザイルにユマールを掛け、アイゼンの前歯を効かせて攀じ登るが、息が切れて、苦しくて・・・。 ユマールを手の届く限り高く上げて、次のステップに身体を持ち上げる。 この動作を数回繰り返し、雪壁の上の斜面に張られた固定ザイルにしがみ付いた時は、膝を折って、そのまましばらくそこにへたり込んでいた。 最後の力を振り絞って立ち上がり、固定ロープに導かれて斜面の上に這い上がると、そこが広がりのあるメラ・ピークの山頂だった。 腰を折って、両膝に手を付き、肺が千切れそうになるような息苦しさの中で深呼吸を繰り返す。 すかすかの空気を吸っているように酸素が回ってこない・・・。 (クリックで大型画像になります;筆者は一番左、黒の羽毛ヤッケで毛糸の帽子にゴーグル、私の前でスキーを抱えているのが中島さん、その右に黄色のフードがヤブさん、前列中央がシェルパのアンデュ、右にキッチン・ボーイのミンバートル、若き27歳のシェルパのシュンビ) 後で、笑い話的にした話では、「小川さんは、何であそこまで、苦しそうに喘いでいるの・・・・、ふざけて演技しているんじゃないかって、最初は不思議に思っていた・・・」って、79歳のスーパー・爺様は!!! 確かに、山頂に着いた時、一番しっかりしていたのは、ヤブさんだった。 私達の後ろにエベレスト、ローツェ、ローツェ・シャールが隠れちゃって、残念! スキーは記念撮影のためだけにシェルパが背負い上げてくれました。 垂直の雪壁があって、山頂からは滑り降りできません、少し下って、なだらかな斜面になってから、中島さんは滑降を開始しました。 雪壁を攀っている様子や、懸垂下降で下っているところの画像が自分のカメラにはないのですが、誰かが撮っていたかもしれません、動画なども残されているようでしたから、手に入ったら、アップできるかも知れません。 |
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全ての事柄が、いまでも頭の中をぐるぐる巡っていて、何がなんだか整理のつかない状態が、まるで夢遊病者のような状態が続いています。 取り敢えず、酸欠状態で、喘ぎ、もだえながらも、6654mの山頂に立てましたこと報告申し上げます。 画像右は、コテで手にした「CLIMBING PERMIT」。 左が、カトマンズに下山後にもらった「登頂証明書」です。 いろいろ、いろいろ、ありました。 整理次第、アップいたします。 |
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普段使っているDocomoの携帯の World Wing サービスは、カトマンズ付近でしか利用出来ないようで、ルクラでも使用不可とのDocomo Shop の説明でしたから、ちょっと心配でしたが・・・。 でも、衛星電話を持って行くことになったと、先ほど連絡が入りました。 緊急連絡に用いるのではなくて、山頂から「Success! 無事、登頂です!」と、連絡できれば、いいのですがね・・・、シルバー遠征隊(?)としては。 なんせ、高度は、今まで約4,000m 迄しか経験できてないから。 |


