サントリー天然水工場(白州)との井戸水問題・他:白州の森

白州の森が綴る、「サントリー白州工場との井戸水問題」等の「森からの便り」

山野跋渉(山行記録)

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「北の国から」(麓郷の森):ぶらぶら旅・北海道・三陸:その15
 
今回の北海道・三陸の旅、ここだけは見逃せない場所が、其々二人にはあったが、私の中にも幾つかあり、その一つに、倉本 総の連続テレビドラマ「北の国から」の舞台になった「麓郷の森」がありました。
 
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私のホームページ、ブログ・サイトに、立ち上げ(1997/3月)直後からお立ち寄り頂いてる方々は、「はは〜ん」と気付かれると思いますが、この「北の国から」がスタートしたのが1981年(S.58)です。
 
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当時の私は、ログ・ハウスの神様と言われていたアラン・マッキーに傾倒し、多感な少年時代から青年時代に掛けて読んでいた「周はじめ」の著作や、「坂本直行」や「更級源蔵」の描く「北」の世界に魅せられ、影響をどこかで受けていて、いつか自分の"手"で山小屋を作り上げたいと思うようになっていました。
 
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そんな頃でしたから、「北の国から」の中で、倉本総が描き、田中邦衛演じる黒板五郎の「自分一人の手で造るんだ・・・」の意志に、強い共感を覚えていたのでした。
 
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そんなことや、異国の地で、実際に同じ年頃の青年がこつこつと何ヶ月も何年もかけながら、自分の住む家を作り上げた、その家を実際に見る機会を持てば、「いつかは、俺も、やってみたいなぁ〜」と、密かに思い続けていたのでした。
 
 
 
イメージ 201998年(S.64)11月から山梨県白州町(現・北杜市・白州)の山林の一角を手に入れ、平日は都会で猛烈サラリーマンを、そして週末はテント暮らしを続けながら、伐採を6ヶ月。
 
 
 
 
 
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キット・ログの組み立て、内装・外装を6ヶ月。
 
一年の間、チェンソーを振り回し、ハンマーを叩き、電鋸を回し、レンガを積んで、7mx7m、約49平方メーターのログハウスを完成させました。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
  
 
 
イメージ 5森の中に設営したテントと囲炉裏小屋をベースに、1年間のほとんどの週末を費やして、搾れるだけの汗を搾りながら、造り上げました。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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コールマン・ランプを灯しながら、たった一人で過ごす夜は、囲炉裏の脇で「たった一人のウィルダネス(アラスカ森の生活)」(リチャード・ブローンネク著:吉川竣二訳)を読みふけっていました。
 
 
 
 
 
 
 
イメージ 7そんな私でしたから、ドラマになった「麓郷」の五郎の眺めた景色を、純や蛍が歩いた野を、一度は、自分の眼で見ておきたかったのです。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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最初のログは、火事で燃やし、二度目の計画で苦労して集めたログ材は、「誠意」を示すための紙幣に換金し、それでもめげずに三度目は、そこらに転がって無尽蔵にある石で積み上げようと。
五郎にとってはそれしか方法がなかったのだろうが・・・。
 
 
 
イメージ 9むろんこれは単なる架空のドラマ。
でも、五郎や純、蛍の気持ちは痛いように伝わってきていた;
 
「電気はありません」
「夜はどうするのですか?」
「夜は、寝るのです」
 
 
 
 
 
 
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何にもない荒れた赤松林の中、私も、やり始めた頃は、電気無し、水道(井戸)無し。
「夜は寝るのです」を地でいった。
 
裏の川からバケツに水汲んで、電動ドリルや電動鋸が必要な段階に差しかかったらガソリン発電機を使っていた。
汗みどろになった、おがくずだらけの身体は裏の河原に出て、川の水で洗った。
 
 
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だから、倉本総の脚本が言わせる彼等のせりふの一つ一つが痛いほど突き刺さってきていた。
 
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今は、NHK大河ドラマのセットが観光地化するのと同じように、富良野のラベンダーなどとセットになった観光コースの一つに過ぎない。
 
でも、いいじゃないか、これをこんな風に捉えている中年ジジイが、おっと高年ジジイだった、が一人居るってことで・・・。
 
(続く)
 
『ホームページもご参照下さい』
 
http://hoshinokoya.world.coocan.jp/frame_LargeSlide.html 「大型スライドショー」でお楽しみ下さい
 
http://homepage3.nifty.com/morikaranotayori/shin_tayori/frame_shin_tayori.htm 「森からの便り」(21編) :ログハウス建設当時の詳細や井戸水問題・環境・原発問題が掲載されています。「続」(26編)、「新」(25編)とエッセイは続いています。
http://hoshinokoya.world.coocan.jp/index.html 「山野跋渉」 :私、「白州の森」のアルプス遠征(2008年)や、北鎌、北方稜線、前穂北尾根等の山行記録
http://hoshinokoya.world.coocan.jp/index_hoshi.html 「星の小舎便り」 :MWV OB会のページ
http://www.geocities.co.jp/Outdoors/1227/index.html 「オールドローズ」 :「山ノ神」の趣味、オールド・ローズ、イングリッシュ・ローズ、Xmasローズ等
 

 
 
八戸港・久慈・小袖海岸道・野田村・田野畑・田老・宮古・山田・大槌・釜石・三陸町・大船渡・碁石海岸・陸前高田・唐桑半島:ぶらぶら旅・北海道・三陸:その14
 
苫小牧発八戸行きのフェリーの乗船手続きは22時半からだから、余裕をみても22時にフェリー埠頭に着けばよい。
この北海道の旅ではどこの地域・区間も走った経験は無いのだからナビが頼りのドライブである。
最終目的地と経由地をきちんと整理して、朝出発前にセットして動き出せばいいのだが、決めた所で、そのコースを忠実に辿ることは出来る訳ないんだからと、取り敢えず次のポイントを、とセットして動き出す。適当にセットすると、セットしたナビ・ポイントが意図した場所ならハッピーだが、たいがいずれていて、うろうろ。
そんなことも、ままあった。
岩内を出て、ニセコの道の駅で休み、次は真狩を過ぎた辺りだったろうか、アイスクリーム屋さんの屋外テーブルで遊んでから230号線を洞爺町に向かい、サイロ展望台付近から洞爺湖畔に降りて、温泉街とは湖に浮かぶ中島を挟んで対岸にあたる湖畔の武四郎の像(?)だったかがある静かな場所でゆっくり休憩。
シーズン前の閑散とした湖畔。観光客の姿もない場所に、どこのTV局のクルーだろう、お笑い漫才芸人2人を至近距離から追うカメラとマイク。誰もいないのだから2人だけしか画面に入れないのだろう。二人の空々しい馬鹿会話が離れた私達の耳元まで響く。
 
噴火湾沿いの37号に出た。
 
室蘭市内にちょっと寄って、それから道央自動車道に出て、とナビを苫小牧埠頭に入れたはいいが、室蘭ICの料金所を過ぎて本線に乗ろうとすると、ナビは左へ行けと指示する、ピンと来ない地名。右は札幌。えぇ、こちらは苫小牧に行きたいのだが・・・。
ままよ、とナビの指示に従ったが、何となくおかしい。どうも逆方向へ向かって走っているらしい。次のSAで駐車している若者に聞いてみた。やっぱり逆方向へ来てしまった。よくよく考えれば、ナビに入れた前の目的地が消去されていなかったのが原因らしい。
 
次のICで一旦降り、改めて陽が暮れ始めた高速を苫小牧に向かい、途中で食事してゆっくり時間を使っても21時過ぎには埠頭に着いた。
 
7/3 早朝6時、八戸港着。
混雑した久慈市内を抜け、通勤の車で混雑する45号線を南下する。
種差海岸の標識は、今日の行程の先の長い事を考え通り抜ける。
自動車専用道路もあるらしいが、できるだけ在来の45号線を辿ることにした。
久慈駅前に出て、今、テレビ・ドラマの舞台になっている小袖海岸の道に入る。
「週末、混雑解消のため観光自動車は入らないで下さい」
さもありなん、小型車同志でもすれ違いが困難なような狭い場所のある細い道。
対向車が来てないことを確認しながら、景色も楽しみながら、なかなか難しい運転を強いられた道だった。
あの看板を除けば「あまちゃん」の騒ぎのかけらも伺えないような小袖海岸の佇まいだった。
野田村の中心街を抜ける、「Kの実家はこの辺だったのだろうか?」
田野畑近くまでくると、道は内陸の山の中。田野畑の中心地は急な曲がりくねった道を大分下った先にあった。
ダンプをはじめ、工事用車両が行きかっていた。
邪魔にならない場所に停めて、黙祷。
田老の道の駅でしばしの休憩。
海岸線に近づけばどの地域もまだ何もない広がりに、夏草が立ち、ダンプや大型トラックが泥水を跳ね上げていた。雨が降り始めたのだ。
浄土が浜のサインが眼に入り、躊躇したが、寄らなかった、もう直ぐ先が宮古だから。
 
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陸中山田、大槌とその都度立ち止まり、目で確かめた。
釜石の手前、鵜住居の宝来館を訪ねたかったが、45号線から脇道に離れなくてはならず、雨も続いているので遠くから「あの辺りかな?」と左前方の松林を見やる。
助手席の山ノ神は、ナビの地図を「詳細」にしたり「広域」にしたりの操作もだめ、ましてやスマホの地図アプリを開く事も、地図帳を確かめるのも「酔うからダメ」。
一人運転手は事故を起さぬように控えめのスピードで、只黙々と、出来るだけ浜に近い道路を選んで降りてみるだけ。
 
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釜石、三陸町、大船渡市に入って碁石海岸に向かう脇道に入る。
昔々、子供たちを連れてオートキャンプした場所だ。キャンプ場は、シーズンに合わせるべく、丁度改装工事中であった。台風の後で、浜で昆布を拾って、松林の中に綱を張った物干しに掛けて乾燥させたことの思い出話が、山ノ神との会話だった。
あの時は、女川の方から北上して来て、碁石海岸でキャンプして、宮古に出たかったのだが、台風の雨で足止め食って、その先は釜石手前の小さな浜の民宿泊まりとなり、夏期休暇の日程切れとなって旅を終えたのだった。
 
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陸前高田に出てしばし佇み、唐桑半島の道に入る。
 
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今宵の宿は「リアス唐桑YH」。
半島の先端に出る手前が目的地だった。
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宿は、震災直後は、被災者の宿泊所になっていた。
その当時からボランティアで和歌山から来ていた若い女性は、2年経って幾らか落ち着いた今、そのままこのYHのスタッフとしてボランティア活動に参加しているとのこと。頭が下がる。同宿者は、埼玉・大宮(?)から来続けて、もう1年以上とかになる集団高台移転のコンサルタントをボランティアでされている方だった。丁度、埼玉自宅へのトンボ返りで、一人での運転は辛かろうと、息子さんが運転されて来て、今夜泊まって明朝、車を置いて新幹線に乗って帰るのだ、と。
私達の旅の行程を知って、オーナーは、聞いてきた;
「帯広・十勝では”池田北のYH”」に泊まりませんでしたか?」
「実は、津波直後、物資が欠乏している頃、池田北コタンYHのオーナーが、自分の車一杯の物資を積んで、このYHまで駆けつけてくれたんですよ〜!」
私も、テレビ・ニュースでその話は聞いたようにうろ覚えていたが、どこのYHで、どこの仮設宿舎だったかまでは、覚えていなかった。そうだったのか、ここだったのだ。
 
そのような人たちの中に、私達は飛び込んだ(?)のだ。
 
明日は最終日、出来るなら、メンバーになっている雄勝町の「そだての住人倶楽部」の漁師「オーガッツ」に寄ってみたいし、女川の原子力発電所、石巻市内にも寄ってみたいが・・・。
 
(続く)
『積丹〜岩内〜ニセコ:ぶらぶら旅・北海道・三陸:その13』
 
さて、どうするか・・・。
今日は7/2日、世田谷の自宅を出てきたのが6/22日。
「2週間で戻ってくるから」と、娘親子に伝えて出てきた期日が段々近づいていた。
 
この後、東北の三陸海岸に行って、自分の眼で、復興の状態を見ておきたいのだ。
そのために大間か青森、ないしは八戸にフェリーで渡らなくては。
 
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そんなことに思いを巡らしながら神威岬から229号を南下した。
今日もいい天気。
日本海を眺めながら、と言っても、新しい道路は、古い道の内陸側に新しいトンネルを造ることで、便宜性を向上させた道路になっているから、トンネルばかりがたて続けに続く道になっていて、折角の良い眺めもいたるところで遮断されていて、趣がないのは、襟裳岬から広尾に掛けて続く黄金道路と同じで、ここでは日本海の景色を楽しむ場所、駐車できるスペースを探すのに骨だ。
ちょっと空いた場所には、道路工事の車両が一杯駐車されており、我々みたいな旅人が気侭な思いつきで停める環境にはなってないようだ。
 
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新しい道路は、内陸側に掘られたトンネルで造られ、古いトンネルの入り口は、この画像のようにコンクリの壁で塞がれていた。多いところでは、塞がれたトンネルが二つ並んでいた。私の車は、三つ並んだトンネルの一番内陸側の幅の広いトンネルに導かれようになっていた。
 
人家がない場所が長く続いたが、泊原子力発電所の施設が近づくと、何となく判った、あぁそろそろ原発建屋本体がある場所にちかづくな・・・。
この原発か、加圧水型(PWR)だったか、沸騰水型(BWR)か、どっちだったかなぁ・・・。
現役セールス・エンジニア時代の一時、北大キャンパスや室蘭工大に良く出張したが(輸入専門技術商社に勤務し、電磁波計測装置を扱っていた)、当時、泊原発は建設されていなかったなぁ・・・。
 
 
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そんな事を考えているうちに、「にしん御殿」の案内板が目に入り、浜の方に降りる急カーブにハンドルを切った。
 
道の駅のサインに導かれて岩内の街中に入って行った。
外のベンチに腰掛け、携帯でフェリー会社に明日の予約状況を確認すると、今夜の便も、明日の便も空いていると。
この時間なら、乗船時間は深夜だから、十分苫小牧港まで行けるから、今夜の便に予約しちゃおう。
 
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岩内から更に日本海側を南下するプランは打ち切り、三陸に行く日数を残して、ここからニセコ、洞爺湖を抜けて伊達・室蘭・登別経由で苫小牧に向かう事にした。
 
天気は下り坂で、ニセコに着く頃には雲が広がり、羊蹄山の山頂が見え隠れしていた。
 
洞爺を過ぎて伊達近くを走ってる頃、メールの着信音がした。ハンドルを握っていたので直ぐに見ることは出来なかった。
助手席に座る吾が山ノ神は、自分のガラ携も、よう使いこなせないIT音痴だから、私のスマホを扱うことは不可能。
しばらくそのまま走っていたら、Bluetooth接続のハンズフリー電話が鳴った。
「アパートの新しい店子が部屋にガス湯沸かし器を設置したいので、至急ガス器工事会社の人に連絡取って欲しい。今日、下見に来て、大家さんと打合せしたいから、と何度か電話が入っている」と、留守番の娘から。
 
あぁ、これじゃ、2週間の予定を延ばして三陸ゆっくり旅は、無理かな。
今夜はフェリーで宿泊だが、明日、7/3日、できれば7/4日もと考えていたが。
 
 
(続く)
 
 
 
『積丹半島:ぶらぶら旅・北海道・三陸:その12』
 
石狩港に近づくと、其処は大型トレーラーが連なる工業地帯。
小樽市内の運河通りをゆっくり走り、裏通りを通り抜けてみるが、山ノ神も「人や車が多くてやね・・・」
これ幸いと、「じゃ、積丹半島へ向かうよ?」
 
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余市の5号線と229号線の分岐点までは、結構道路は混んでいた。
229号に入って、積丹半島の先端に向かうに連れて、快適に走れるようになっていた。
 
婦美で913号に入って岬方向に向かった。
駐車場に車を止め、丘の下にあるトンネルを潜って、積丹岬が見える場所に出た。
 
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凪いだ静かな海が広がっていた。
山ノ神は、「ココだったかしら・・・?」
50年前に夏合宿のワンデルングで積丹半島に、彼女は来ていたのだ。
 
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余別漁港近くにある今夜の宿「積丹YH」の場所を確認して、日没まではかなり時間があるので、そのまま神威岬まで足を延ばす。
入り口の駐車場から丘に登りあがって30分ぐらい歩かなければならない。
岬の先端が見える丘の上までだけは上がってみると山ノ神。膝が痛いから、そこから先にはいかない、と。
 
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「余別の方から、海岸沿いに歩いてきた、あの下に見えている浜にテントを張ったのかしら?」と、記憶を手繰っているが、判然としないようだ。
 
丘の上から明日向かう岩内方面を望と;
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積丹YHでは、ウニの殻むきの実演をしてくれ、殻割りの経験もさせてくれた。
黄色味かかったのが紫ウニ、色の濃い茶色がかった方が馬糞ウニ。
 
殻を割る工具があって、それを使うと簡単に割れ、長細いスプーンのような匙で1片づつ掻き出す。
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画面左に写っているのが殻を割る道具。
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美味〜い!
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ウニ殻割りの実演の後、同宿した富岡のチャライダー・新井さん、小樽の山人洞さんに別れを告げて、229号線を岩内に向かう。
途中、泊原子力発電所の傍を通ることになる。
 
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(続く)
「留萌・増毛・積丹:ぶらぶら旅・北海道・三陸:その11」
 
6/30の朝、美瑛を離れて、旭川の「上野ファーム」に寄り、その後道央高速に乗り、深川JCで留萌・深川高速に入った。旭川のガソリンスタンドで「雨龍沼湿原の入り口の町、雨竜町に出るのに一番良い方法は?」の問いに、「留萌・深川高速の北竜ICで降りて、南下するのが一番早いですよ」
ガラ空きの自動車専用道路を走り、高速を降りて、275号を南下、雨竜町の道の駅「田園の里うりゅう」で雨竜沼湿原への詳しい情報を求めたら、あぁ残念、雨龍沼湿原登山口への林道の開通は残雪のため遅れていて、7/5日が開通とか。
しゃーないな、雨竜沼湿原に入れるなら、数日この辺で費やしてもいいと考えていたが、諦めて、日本海側に出よう。
秩父別へ向かう。途中、バラ園があることに気付き、ちょっと寄り道をしたことは前に書いたので省き、深川・留萌自動車専用道路を留萌に向かった。
 
そして、翌日、7/1、留萌から日本海を南下した。
 
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日本海側の羽幌、天塩とサロベツに向けて北上したい気持ちを抑えて、留萌から増毛へと、日本海を右にしながら南下。
 
ベッタリと残雪を付けた暑寒別の山々が連なって、最高の眺望だ。
暑寒別岳縦走の基点になっている増毛のリバーサイド・パークのキャンプ場を覗いてみる。人っ子一人、影も形もない。登山のベースにするため、キャンピング道具は揃えていて、小さな車だが、トランクに2個のシュラフと共にテントも詰め込んである。2、3日増毛の町に泊まっていてもらうか・・・、と切り出すことはできなかった。恵庭岳、左幌岳、雨竜沼湿原に続いて、暑寒別もダメか・・・。
そのまま、何も言わずに231号を南下する車のアクセルを踏んだ。
 
雄冬に近づいた。 
雄冬漁港の傍から展望台に上がる急坂を登って、車を置き、「ちょっと展望台まで行って来るから」
 
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パイプ手すりの付いた鉄製の急な階段がずっと上まで続いていたので、もちろん山ノ神は、「行かない」、「じゃ、30分待ってて!」。
人っ子一人居ないツヅラ折れになった階段を上っていくと、この看板。
マムシさん出ないでねと、わざとドンドンと叩きつけるように階段を上った。
 
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雄冬港が遙か下に。
 
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画面右が、北、増毛・留萌の方角。
 
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浜益、濃昼、厚田と南下して石狩に近くなると、平野が広がり、北海道の酪農地帯の光景が、牧草のロール巻きがあちこちに見えるようになっていた。
 
途中、何度か海の良く見えるところで油を売ったが、結構早く小樽に行けそうだ。
 
(続く)

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