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【菊拘街】

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◆◆◆◆
 選抜学生―久島宇宙は、錆びて朽ち果てているのが逆に重厚で威厳を感じさせる扉を、《教授》に続いてくぐった。
 呆然としているのは自分でも自覚してしまう。

 湿度、温度、空調のすべてがうららかな春そのもののように感じられ、人工太陽が見下ろす敷地は十二畳程度のはずの部屋に鬱蒼と茂る木々の立体映像が壁を消すほどに完璧に鮮明だ。宇宙は本当にここに植物が覆い茂っているのではないかと疑う。

 そしてそこに―ベンチから眠たげに身体を起こした男がひとり、いた。
 形のいい手が病的に白いのは手だけではなく、顔も腕も頸も色がぎょっとするまでに白い。ベンチにしおりを挟んだ分厚い六法全書が広げられ、革靴の足元にも分厚い本が積まれている。

 男の服装はありがちなことに白いシャツにグレイの適当な刺繍のついたネクタイであり多少ネクタイがゆるめられているが、唇に浮かんだ笑みも眼差しも切れそうに鋭く宇宙を見た。
 その双眸が真紅であることに不気味さを感じるものの、宇宙はすぐアルビノだと察する。

「ああ、…懐かしいですな。まだ生きてたんですか。愛しい愛しい、るい教授? 
 そっちの青年は君の助手ですかね? 部下か? 息子か? 彼氏か? 猫か? まさか上司ってことはないですよね」 
「お久しぶりです」

 《教授》が他人にまともな挨拶をするとこを始めて見た宇宙は圧倒されて凍りついたが、背後の学生のことなど視野にもいれず彼女は笑う。
 遺伝子光学の権威として世界で名を知らないものはいない天才科学者であり人間嫌いと毒舌と我儘で知られる佐川るい教授とは思えない笑みだった。

「まだるいのことを覚えてるなんて驚いたわよ、ホント」
「忘れてたのはそっちでは、……う、ふぁああ」
「眠いなら寝て結構だけど」

 《教授》は先ほど徹夜した宇宙が欠伸をかみ殺したのを見て舌打ちし、「科学者に寝る時間はないものと思いなさい! 税金で研究しているものが何のつもり!」と怒鳴ったばかりとは思えない呑気な調子で言う。
 このチガイは何だろうと宇宙が一瞬思った直後に《教授》はくるりと振り向き、ギクリとした宇宙に「おまえは駄目よ」ときっちりと言ってきた。
 視線が宇宙より頭三つ低かろうがその眼差しは自分の優位を微塵も疑わずにこちらを見下している。

 と、男がおもむろに笑みを漏らした。

「そうそう当たっては駄目ですぞ、るい。一応なりと貴方の後継者でしょう?」
「まだまだよ。研究者がナンたるかも知らない子供の癖に、親が勘違いして『宇宙』と書いてコスモと読むと言う名前負けしないほうがおかしい名前をしてるし」

 この教授は学会で鍛えた美しい声で毒舌を吐き他人を他人とも思わずに踏みにじっておいて、自慢の黒髪が本日も美しかった。
 その妖艶なまでの美貌は無茶苦茶な中身とは違い数々の才能ある男を呼び寄せるらしく、二十四の女に向けるとは思えない誹謗中傷がそこかしろで妬みとともに飛んでくる。
 が、男は宇宙のほうにやわらかに信頼の混ざった笑みを浮かべてきたのでたじろいだ。

「こりゃあ君は期待されますな、宇宙君。この偏屈な教授は後継者しか私には紹介しないと何年も言ってはばからなかったんですぞ。この子は判りにくいですがなかなか素直でイイ」
「あ、はい。確かに《教授》は素直です」
「ちょっと宇宙、何様のつもりなの。誰が会話していいって言ったのかしら?」


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