北極冒険家荻田泰永のブログ 北極点を越えて

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あしたのジョーの美学

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【あしたのジョーの美学】
私はあしたのジョーが死ぬほど好きです。なので、このあとの文章は多分長くなるので、あしたのジョーになんの興味も無い、あしたのジョーって何!?という人は最初から読まなくて良いです。多分、時間の無駄にしかならないので、読んでいただくのが申し訳ないです。
いま私は、多少のお酒が入った状態で、多少の興奮状態のままに想いのたけをぶつけたくて勢いで書いています。
なぜいきなりこんな事を書きたくなったかというのは、今日、東京に出てきて、私の本「北極男」の担当編集者である講談社の方と飲んでいる中であしたのジョーの話しになりました。
その方は、50代で子供の頃にあしたのジョーのまさにど真ん中世代、あしたのジョーの洗礼を大いに受けて育った世代のかたでした。
私はまったくその世代からは二世代くらいあとの、あしたのジョーとは基本的に無縁の世代なのですが、私は高校生のときに「あしたのジョー」をなんのきっかけかは忘れましたが読み、衝撃を受け、心が震え、何か正体の分からない深さと悲しさと、大いなるメッセージの存在の気配に感動しました。
そのあと、あしたのジョーは何十回何百回読み直したか分かりません。ストーリーは最初から最後まですべて諳んじる事ができますし、矢吹丈が誰と対戦し、どうやって戦って勝ち、もしくは負け、という事も全部暗記するくらい読み込みました。
あしたのジョーという作品は、私は一つの道を行くものの「業」というようなものを表現した作品だと理解しています。
イバラの道を敢えて行く者、行くからには引き返す事のできない一歩を踏み出してしまった者の悲しさ、そこに命をかける者の美しさ、その弊害、それらを矢吹丈という一人の少年の生き方に表現させた、日本が歴史上に誇るべき作品であると思います。
最初に矢吹丈がひとつの道を行く者の覚悟というか、戻る事のできない大きな業を負った瞬間というのは、ウルフ金串の顎をトリプルクロスカウンターで破壊し、そのあとにボクサーとして復帰する事が不可能になったウルフが引退したという事を聞かされたときのジョーの無言の一コマだと思います。
読んでいない方や、読んだけど記憶に無い方にとっては何のこっちゃ分からない話しがこれから続きますので、分からない方はここで読むのをやめていただいたほうが賢明です(笑)
ウルフ金串の顎を砕いた事への贖罪をジョー自身が語るのは、全編を通しての最終版です。白木葉子がパンチドランカーになりつつあるジョーに対して、あなたはもう引退するべきだと迫る場面、ジョーはそれを否定します。なぜ否定するのか?死んだ力石や、顎を砕いたウルフに対して、いま自分が自分の身のかわいさにおめおめと引退する事は、彼らに対して申し訳ない。それはジョー自身の美学の中で許されない事であると、暗にジョーは言うのです。
もどることのできないイバラの道を歩き出したことは、最後のホセ・メンドーサ戦でも現れています。
それまで、ジョーの試合には必ず会場に応援に来ていたドヤ街の人々、子供たちが、一番大切な世界タイトルマッチには来ていません。それは、ジョーがすでに大いなる応援を受け、期待を一身に背負ってきたドヤ街の人々すらも置き去りにせざるを得ないほどの覚悟と、世界最強の男を倒さなければいけないという狂気のためには、あらゆる事を切り捨てる必要があるという、残酷な現実の表現だと思います。
それは、ホセ戦の前のハリマオ戦直前に、ランニングするジョーに対して道ばたで出会ったドヤ街の子供たちが、どこか素っ気なく、ジョーに対して距離を置き始めている表現で表しています。
ドヤ街の子供の一人のサチが、一言「でも、最近のジョー兄ぃ、なんか怖いや」という事をジョーに言います。それを聞いたジョーは、そのあとのランニングの最中に「なんか怖いや、か」と、サチの言葉を反芻しながらも、どこかその一言を「やっぱりな」という感じの納得の表情をするのです。
明らかに自分は戻る事のできない道を、歩いていることをジョー自身が理解し、納得し、パンチドランカーの症状に冒されている事も自覚しながらも、それでも自分のために、そして自分が超えてきた沢山のライバルたちへの贖罪の意味も込めて、ホセ・メンドーサに立ち向かって行くのです。
私が最初にあしたのジョーに出会ったのは、おそらく小学生のときでした。
実家の近所で毎回髪を切ってもらっていた床屋さん、林理容室の本棚にあしたのジョーがあったのです。
そのときは、幼い自分には何の話しなのかもよくわからず、床屋の待ち時間にちょっと手に取ったくらいなので読破するわけでもなく、それでもジョーが鑑別所の独房で丹下段平からのハガキで立てかけたベッドを相手にジャブの練習をする場面は克明に記憶していました。
その刷り込みがあったせいで、高校生のときに何かのきっかけであしたのジョーを手にとり、完読したところ、訳の分からない心の震えを覚えました。
きっと、私はあしたのジョーに猛烈な影響を受けています。
いま、自分が北極に向かうにあたって、その動機や一つの道を行く者の覚悟やどうしても負ってしまう業みたいなものは、あしたのジョーを通して考える事でいろんな事が腑に落ちてくる気もします。
それでも、ジョーは最後に白木葉子に対して感謝を述べるのです。ジョーの人生の大事な場面で常に白木葉子が登場し、ジョーの人生をある意味では狂わし、ある意味では救ってきた白木葉子が、命をかけてホセ・メンドーサに立ち向かうジョーに実は自分はあなたを愛しているのだと、打ち明けます。
ジョーは驚き、戸惑いますが、それでも自分が負っている業のためには、きっとジョー自身もどこかで屈折した愛情を抱いていた葉子も置き去りにして「ありがとう」という言葉を残してホセ・メンドーサの待つリングに向かいます。
そして最後、戦い終わったジョーは自分のグローブを白木葉子に渡します。「あんたにもらってほしいんだ」という一言は、ジョーの感謝であり、葉子の愛の告白への返答であり、自分が負ってきた業への決着であった気がします。
あしたのジョーという作品には、人が生きる上での教訓や、生きる事の罪深さが詰まっている気がします。
高校生の私は、あしたのジョーに打ちのめされました。その後、何度も何度も読み返し、生きる事について真剣に考え、自分自身の現状に対する怒りや憤りを抱え、自分にもジョーの様に一つの道に覚悟を持って生きるほどの熱情を持ちたいと願っていました。その熱情を体現して私の前に偶然現れたのが、大場満郎さんであり、北極でした。
いつも私の心の片隅にはジョーがいます。自分は矢吹丈のように生きているのか?生きられるのか?それは正しい事では決して無いかもしれません。世の中の一般常識から言えば、まったく道から外れた行為なのかもしれません。
でも、自分は矢吹丈に憧れ、矢吹丈の生き様がうらやましくもありつつ、危うさも感じながら、最後のジョーの微笑みを帯びた真っ白な姿を永遠の目標としている気がします。
あしたのジョーは、漫画という枠だけに収まらない、日本の歴史上に輝く偉大な作品であると思います。

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全く同感です。私はあしたのジョーを連載で読んでいた、リアルタイム体験者です。毎週次の号が待ち遠しかった。力石の葬儀なども行われた時代でした(参加はしませんでしたが)。とても深く読み込まれていることに感心しました。目標を成就されることをお祈りしています。

2015/12/28(月) 午前 11:29 [ inking ]

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> inkingさん
ありがとうございます。頑張ります!^^

2016/1/5(火) 午後 2:58 [ 荻田泰永 北極冒険家 ]


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