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2001年、北極で一人の冒険家が遭難し、捜索の末に遺体で発見されました。
冒険家の名は河野兵市(こうのひょういち)さん。1997年に日本人初となる北極点単独徒歩到達を達成し、2001年に「リーチングホーム」プロジェクトをスタートしました。
河野さんは、スタートしたその年、北極海で亡くなりました。
「リーチングホーム」は、北極点から河野さんの故郷である愛媛県の瀬戸町まで、徒歩とシーカヤックで帰ってくるという計画でした。
鮭がふるさとの川に帰るように、世界中を旅してきた河野さんもその足で故郷を目指す旅に出たのです。
私が河野さんと出会ったのは、2001年3月。私は前年の初めての北極の旅を経て、衝動に突き動かされるように初めて一人でカナダ北極圏のレゾリュート村に出向いた年でした。(その辺りの詳しい経緯は8月27日からのブログを読んでみてください)
その年、河野さんはリーチングホームをスタートするべくレゾリュートにやってきました。私はそこで河野さんと出会い、同じ宿で3週間に亘って直に接しました。
世界中を20年以上駆けまわってきた河野さんは、広く大きな心と夢を抱いているとても面白い人でした。
何事にも動じないようなどっしり感を持ちながら、人に対して細かい気配りを欠かさない繊細さも持ち合わせているように感じました。
当時、北極に関しては素人同然であった私は河野さんの遠征隊に金魚のフンのようにくっついてまわり、「どんな装備を使っているんだろう?」「どのように準備を進めているんだろう?」と観察をさせてもらいました。いまでもあの時の体験は貴重なものだったと思います。
河野さんのリーチングホームプロジェクトのスタートを見届けて、一足先に日本に帰ってきた私の携帯電話が5月の中旬に鳴りました。レゾリュートで一緒だった愛媛の新聞記者の方からで、その第一声は「河野さんが行方不明なんだよ」というものでした。
数日間河野さんからレゾリュートのベースキャンプへの連絡が途絶え、緊急事態と判断したベースキャンプでは捜索のチャーター飛行機を飛ばしました。
河野さんと最後に交信した地点から南に進んだ海氷上に、河野さんのソリとスキーだけが氷上に残され、本人の姿はありませんでした。
その後、河野さんの遺体はソリの下の海中から発見されました。河野さんは何らかのアクシデントで薄い海氷を踏み抜き海中に転落。這い上がることができずにそのまま亡くなったのです。ソリを引くためのハーネスが装着された状態だったので、体は流されることなくその場に留まっていました。
その出来事は私にとってもショックでした。3週間同じ宿で寝食を共にした人物が、また北極点まで一人で到達した実績のある人物が亡くなってしまったという事実。自分もそんな北極での冒険を目指そうとしている一人であるということ。
2002年、河野さんをサポートしていた遠征隊事務局ではレゾリュートに河野さんの記念碑を立てました。
設置の式典を行った時、私は初めての一人旅でレゾリュートからグリスフィヨルドまで歩いている最中でした。あとから聞いた話では、レゾリュートの住人のほとんどが式に参加し、長年レゾリュートに通っていた河野さんがどれだけ現地の人々と交流し、親交があったかを感じさせるものだったという事です。
ツンドラの荒涼とした海岸線で、河野さんの碑はこれからもずっと北極の海を眺めながら立ち続けるのでしょう。
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