|
写真はTEDxSapporoのフェイスブックより。 すごいストーリー。 昨日のTEDxSapporoで8名の中で最後のトークをした 出合 祐太さん。 北海道富良野市出身、在住。 野球青年だった出合さんは、10年前、25歳の時に青年海外協力隊のボランティア派遣でアフリカのブルキナファソに派遣される。 「ブルキナファソ」って、どこだ!? というくらいに全く見知らぬ土地に出合さんは「現地での野球の発展のため」という名目で2年間の期限で渡航。「ブルキナファソ野球連盟」へ派遣されるという名目だったため、野球連盟があるくらいならそれなりに野球の土台が揃っているのだろうと期待して行ってみると、グラウンドも、道具も、指導者も、野球選手も、誰もいない何もない、まさになーーーーんにもない「野球不毛の土地」だった。 しかも、ブルキナファソという国は世界最貧国の国の一つに数えられるくらいの貧しい国。国民の暮らしも厳しく、余暇をスポーツで楽しむ余裕などはない土地柄。 それでも派遣されて来たからには、何かしようと思い、子供達が集まる広場や学校に行ってはボールとバットを使って子供達と遊び始める。すると、子供達は見たことのない東洋人がおかしなことをやっているのが面白く、集まって来て一緒に遊び始めてくれた。これは何とかなるのでは?と思っていると、後日、子供達の親がやって来て「子供達に変なことを教えるな」とクレームが入るようになってしまったという。 出合さんが言うには、ブルキナファソの人たちにとって、野球をやるメリットが何一つなかったからだ、と述懐する。子供達が野球をやったら、どんないい事があるのか、聞かれる現地の人たちに対して、出合さんは何の返答もできなかった。「そんなことやっても、腹が減るだけだ。子供達は家で家族の仕事の手伝いでもしていた方がいい」と言われ、何もできない無力感に包まれたという。 完全に居場所も、やるべき事も見失った出合さんは、日本に無性に帰りたくなった。希望が持てなかった。JICAの職員に相談しても「とりあえず、できることからやってみたら」とい言われる。「いや、もうやったんです。でも、ダメなんです」と訴えても分かってもらえない。 そこで、出合さんの運命を変えるような一人の少年と出会う。 出合さんのすぐ近くに住んでいたアミールという少年が、一人だけ毎日出合さんのところを訪ねて来るようになった。彼は、出合さんとキャッチボールをして毎日遊び、そして帰って行く。アミールに「毎日ここへ来て、お母さんは怒ったりしないの?」と聞くと「自分は楽しいから来ている。だからそれでいい」と言う。やがて、アミールが「どうやったらもっと速く球を投げられるの?」と聞く。出合さんは、体の使い方、肘や手首の使い方を教え、その為のトレーニング方法も教えると、アミールはその「理論」に対して「何で?何でそうなるの?」と聞き返して来る。そう聞かれると、答えられなかった。出合さん自身「そういうもの」として理解していただけであって、なぜそうなるのか?まで深く考えた事がなかった。 ブルキナファソの人たちは、とても論理的な考え方をする人たちだと出合さんは言う。そして「これをやったらこうなる」という道筋を見せてあげると、安心して動きだせるのだという。アミールとの出会いによって、深く物事を考えるようになった出合さん。 やがてアミールが友達を引き連れて来るようになり、12人まで子供達が増える。次第に子供達は「できるようになっていく喜び」を感じるようになり、それをメリットだと思う意識が広まっていった。 出合さんはその後、一つの大きな目標を掲げる。それは、ブルキナファソから「プロ野球選手」を輩出したい、というもの。当時からすれば夢物語のようだが、実はいま、日本の独立リーグで高知と新潟に、出合さんの元から巣立った2名の選手がプレーしている。 出合さんの夢はまだまだ広がっている。西アフリカの地域をまたいだ野球リーグを作り、そこにボールパークを中心とした「街」を作りたい。そして、そこに人々が働く場所や居場所を作りたい、というもの。 そして2020年の東京オリンピックを控え、今年6月、出合さんの元にブルキナファソ野球連盟から「代表監督」への就任をお願いする手紙が届いた。 10年前、ブルキナファソの場所も名前も知らなかった野球青年が、孤軍奮闘と情熱の末に日本で言えば「稲葉篤紀」の位置まで来たわけだ。 そんな出合監督のブルキナファソ代表が、世界を目指すために資金を集めています。私も応援します。みなさんも、ぜひ! |
過去の投稿日別表示
[ リスト | 詳細 ]
2018年10月22日
全1ページ
[1]
全1ページ
[1]






