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毎年夏休みに開催している小学6年生たちとの歩き旅100milesAdventureが今年で7年目を終え、初となる「100マイル報告会」を行います。 7年間の旅がどんな旅だったのか?なぜこれを始めているのか?これからどうなるのか?参加した子たちはそれからどうしているのか? この前日から、都内某所で7年間に参加した子たちが全国から集まり、キャンプをしています。なので、報告会場には実際に参加した子たちが集まってきます。 私の口からの報告だけでなく、実際に参加した子たちからの言葉も交えて、100milesAdventureとは何なのか?を振り返ります。 日 時:2018年11月24日土曜日 15時開会(14時30分開場予定) 17時閉会予定 参加費:無料 定 員:50名 会 場:森永製菓株式会社・ウイダートレーニングラボ 東京都港区芝浦1-13-16 JR田町駅・芝浦口(東口)より徒歩7分 |
北極冒険 紀行文
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植村直己さんの「北極圏一万二千キロ」を改めて読むと面白い。 シオラパルク〜グリスフィヨルド〜レゾリュート〜ケンブリッジベイ、あたりは自分も歩いたルートなので、具体的な場所の描写がイメージできるところも多い。 一方で、当時は通れたルートが今は海氷が安定しなくて通れないとか、そんな時代の変化も読み取れる。 当時も危ないルートをおそらく植村さん自身はあまり理解せずに通過して行くのを読んでいると、そっちに行ったか!と驚く部分もあるのだが、それが読み物としてハラハラ感が出て読み応えがある。 昔の探検家で言えばナンセンなんかは圧倒的な頭脳と体力でどんなトラブルでも斬りまくって驀進して行くイメージだが、アムンゼンなんかは頭が良くてそもそもトラブルを一切起こさない感じがする。なので、アムンゼンは淡々と進んで行くので読んでいてもあまり面白くはない。 自分もどちらかと言えば、一切トラブルを起こさずに進んで行くタイプなので、いま自分が書いている原稿も淡々と進みすぎていて面白くない気がしてきた。
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写真はTEDxSapporoのフェイスブックより。 すごいストーリー。 昨日のTEDxSapporoで8名の中で最後のトークをした 出合 祐太さん。 北海道富良野市出身、在住。 野球青年だった出合さんは、10年前、25歳の時に青年海外協力隊のボランティア派遣でアフリカのブルキナファソに派遣される。 「ブルキナファソ」って、どこだ!? というくらいに全く見知らぬ土地に出合さんは「現地での野球の発展のため」という名目で2年間の期限で渡航。「ブルキナファソ野球連盟」へ派遣されるという名目だったため、野球連盟があるくらいならそれなりに野球の土台が揃っているのだろうと期待して行ってみると、グラウンドも、道具も、指導者も、野球選手も、誰もいない何もない、まさになーーーーんにもない「野球不毛の土地」だった。 しかも、ブルキナファソという国は世界最貧国の国の一つに数えられるくらいの貧しい国。国民の暮らしも厳しく、余暇をスポーツで楽しむ余裕などはない土地柄。 それでも派遣されて来たからには、何かしようと思い、子供達が集まる広場や学校に行ってはボールとバットを使って子供達と遊び始める。すると、子供達は見たことのない東洋人がおかしなことをやっているのが面白く、集まって来て一緒に遊び始めてくれた。これは何とかなるのでは?と思っていると、後日、子供達の親がやって来て「子供達に変なことを教えるな」とクレームが入るようになってしまったという。 出合さんが言うには、ブルキナファソの人たちにとって、野球をやるメリットが何一つなかったからだ、と述懐する。子供達が野球をやったら、どんないい事があるのか、聞かれる現地の人たちに対して、出合さんは何の返答もできなかった。「そんなことやっても、腹が減るだけだ。子供達は家で家族の仕事の手伝いでもしていた方がいい」と言われ、何もできない無力感に包まれたという。 完全に居場所も、やるべき事も見失った出合さんは、日本に無性に帰りたくなった。希望が持てなかった。JICAの職員に相談しても「とりあえず、できることからやってみたら」とい言われる。「いや、もうやったんです。でも、ダメなんです」と訴えても分かってもらえない。 そこで、出合さんの運命を変えるような一人の少年と出会う。 出合さんのすぐ近くに住んでいたアミールという少年が、一人だけ毎日出合さんのところを訪ねて来るようになった。彼は、出合さんとキャッチボールをして毎日遊び、そして帰って行く。アミールに「毎日ここへ来て、お母さんは怒ったりしないの?」と聞くと「自分は楽しいから来ている。だからそれでいい」と言う。やがて、アミールが「どうやったらもっと速く球を投げられるの?」と聞く。出合さんは、体の使い方、肘や手首の使い方を教え、その為のトレーニング方法も教えると、アミールはその「理論」に対して「何で?何でそうなるの?」と聞き返して来る。そう聞かれると、答えられなかった。出合さん自身「そういうもの」として理解していただけであって、なぜそうなるのか?まで深く考えた事がなかった。 ブルキナファソの人たちは、とても論理的な考え方をする人たちだと出合さんは言う。そして「これをやったらこうなる」という道筋を見せてあげると、安心して動きだせるのだという。アミールとの出会いによって、深く物事を考えるようになった出合さん。 やがてアミールが友達を引き連れて来るようになり、12人まで子供達が増える。次第に子供達は「できるようになっていく喜び」を感じるようになり、それをメリットだと思う意識が広まっていった。 出合さんはその後、一つの大きな目標を掲げる。それは、ブルキナファソから「プロ野球選手」を輩出したい、というもの。当時からすれば夢物語のようだが、実はいま、日本の独立リーグで高知と新潟に、出合さんの元から巣立った2名の選手がプレーしている。 出合さんの夢はまだまだ広がっている。西アフリカの地域をまたいだ野球リーグを作り、そこにボールパークを中心とした「街」を作りたい。そして、そこに人々が働く場所や居場所を作りたい、というもの。 そして2020年の東京オリンピックを控え、今年6月、出合さんの元にブルキナファソ野球連盟から「代表監督」への就任をお願いする手紙が届いた。 10年前、ブルキナファソの場所も名前も知らなかった野球青年が、孤軍奮闘と情熱の末に日本で言えば「稲葉篤紀」の位置まで来たわけだ。 そんな出合監督のブルキナファソ代表が、世界を目指すために資金を集めています。私も応援します。みなさんも、ぜひ! |
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来年は3月から、若者たちとのカナダ北極圏600km徒歩行を行う。
今回の北極に関して、昨日もツイッターやフェイスブックで発信し、昨夜の毎月行っている若者たちとのミーティングの様子を報告した。 南極点が終わった直後から、出るメディアや講演の場などでは「来年は若者たちとの北極行をやる」とだけ発信してきた。これまであまりミーティングの様子などの発信をしなかったが、写真をアップするといくらか反応があって、大体が「以前から募集を待っていたんですが、もう募集は終了してメンバーは確定しているんですね、残念です」という感じ。 今回の北極行に関しては、募集の終了はしていません。と言うか、募集の開始もしてないので終了しようがない。更に言うと、これまでメンバーの募集をしたこともなければ、今後も「募集」を行うつもりはない。 でも、すでに「行きたい」と連絡してきてくれて、毎月のミーティングに参加してくる若者たちが10名以上いる。物理的にこれ以上人数を増やすことは難しいので、これからのメンバー増加は考えていない。 「募集」は、「行きませんか?参加しませんか?」のお誘いだ。私は誘いはしない。北極に行く場は作るよ、と言うお知らせだけをこれまで行ってきて、そこに何かを感じて能動的に参加を希望して少しの行動を起こした若者たちが、集まってきている。 意地悪だと思う人も、もしかしたらいるかもしれない。でも、もし参加を熱望していて募集を待っていたけど、諦める人がいるとしたら、もし次の機会、まったく違う機会では募集を「待つ」のではなく、機会を「取りに」いってみて下さい。 |
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南極点への出発から、もう一年が経つ。早いなぁ。 それにしても、南極点は簡単だった。方々で言っているが。危険も困難も辛さも想定外も、全てゼロだった。じゃあなんでわざわざ行ったのか?と言えば、北極じゃないもう一つの極地を見たかったから。また、今後南極でもっと面白い計画を考えられる余地があるかを見に行った感じだ。 簡単だった、と言えるのも北極と比較しての話しだ。北極、特に近年の北極海があまりにも凄まじい場所のためだ。 本の原稿のために2014年の北極点無補給単独徒歩の日記を毎日読んでいる。2014年に関しては、何故やめたか?どうやめたか?その時の物理的な状況、物質的な状況、心理状況、行動や判断の優先順位、それらを書こうと思っている。やめる話しだ。 それにしても、2014年の北極点がなぜ撤退するに至ったか?自分の能力的には充分に適応していた。自分としては、あの時に自分に足りていなかったのは、北極海への理解と解釈、だと思っている。 例えて言うなら、ショパンの楽譜をPCのソフトに打ち込んで、楽譜の通りに演奏したら、それは演奏技術は人間よりも高いかもしれない。ピッチもリズムも正確だろうが、コンピュータにはショパンの楽譜への理解も解釈もない。心を打つ演奏は、人間の頭による楽譜への解釈によって産まれるのかなと思う。技術はそれをアシストするためのもの。 あの時の自分には、北極海を歩く技術は充分にあった。だが、無補給単独徒歩で、近年の海氷減少著しい北極海を歩くための、北極海の正体に対する理解と解釈が足りていなかった。2012年の最初の北極点挑戦の時には、17日で撤退して北極海の入口しか体験していなかった。第一楽章の中盤くらいまでしか演奏せず、まだこの先の展開も見えていない状態で、2度目の挑戦を行ったからだ。 こうやって考えてはじめているということは、北極点をまたやりたくなってきているってことかな。恐ろしいのに。 |





