北極冒険家荻田泰永のブログ 北極点を越えて

日本人初の北極点無補給単独徒歩到達を目指しています!

北極のイヌイットの話

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イヌイット語の話は以前に少ししたことがありましたが、イヌイットの文字について紹介したいと思います。

写真の記号のような文字は、カナダでのイヌイットの文字です。「カナダでの」ということは、イヌイットはアラスカやグリーンランドにもいますが、そちらの地域では通用しません。
そもそもイヌイットは文字を持っていませんでしたが、数十年前にカナダでイヌイットの文字が人工的に開発されて今でも使われています。

一枚目の写真を見てもらうと、イヌイット語って「ひらがな」なんかと同じ理屈なのが分かります!
「い」「う」「あ」という三つの母音にP,T,K,G,M,N,S,L,J,V,R,Q,NGの子音が付く、ってことですね。

それぞれのイヌイット語の文字は、三角形だったりU字だったりです。面白いですね〜。

二枚目の写真では、同じ意味の内容を「イヌイット語の発音をアルファベットで表記」と「イヌイットの文字で表記」と「英語で表記」の3通りに書いています。読もうと思えば読めますよね。

ちなみにグリーンランドではアルファベットでイヌイット語の発音を表記する方法だけです。

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イヌイットには独自の言語があります。イヌイット語は現在でもイヌイットの間で一般的に話されています。

イヌイットは西はアラスカから東はグリーンランドにまで広く住んでいて、アラスカとカナダとグリーンランドでは同じイヌイット語といえどもかなりの違いがあります。
熊本弁と名古屋弁と津軽弁、くらいの違いがあると考えてください。たぶん熊本弁と津軽弁で会話をしても同じ日本語の会話とは思えないくらいに分かり合えないでしょう。

それでも元は同じイヌイット語なので、基本的な文法などは同じです。例えば「ありがとう」をアラスカでは「クワナポック」カナダでは「クワナ」グリーンランドでは「コヤナ」と言い、まあ似た感じではあります。

カナダではイヌイットもイヌイット語と共に英語を常用します。イヌイット同士の会話でも両方の言語を使いながら、突然イヌイット語になったり、突然英語に戻ったり、英語の文章の単語だけイヌイット語だったり、といった風に会話をします。
年配の60歳以上の人では英語のできないイヌイットも多くいます。50代以上のイヌイットは、イヌイット語で育って、学校で英語を習い、英語で授業を受けて覚えた人が多いようです。
若年になると、生まれた時から周囲ではイヌイット語と英語が飛び交い、テレビではカナダの番組が放送され、学校でも英語で授業を受けるという風に、生まれた時から英語に慣れています。
英語の使用頻度は若年になるほど高く、最近の若者はイヌイット語よりも英語に慣れています。

これがグリーンランドではまた事情が違い、デンマーク領のグリーンランドではイヌイット語と共にデンマーク語が使用されます。ただ、カナダの英語ほどイヌイットにデンマーク語が浸透しているわけではなく、イヌイットは主にイヌイット語を話します。さらに、今でも狩猟主体の生活をしている小さな村に行くと、完全にイヌイット語のみになります。

2004年に私はグリーンランドにある世界最北の村である、シオラパルクに一カ月滞在していました。シオラパルクは人口70人ほどの小さな村で、イヌイットしか住んでいません。私が訪れた時には、村にひとつある小学校の先生が、デンマークからやってきた白人女性で、彼女はデンマーク語、英語、イヌイット語を話しました。その先生以外の村人は、すべてイヌイット語しか理解しません。

ちなみにひとつ補足をしておくと、実はシオラパルクには一人の日本人が住んでいます。30年以上前からシオラパルクに住む大島育雄さんです。
大島さんは、日本大学山岳部出身で、1978年に植村直己さんが単独での北極点到達を達成した3日前に、日本人初の北極点到達を果たした日本大学隊の隊員でした。つまり、日本初の北極点到達者の一人なのです。
極地の自然に魅せられた大島さんは、この地でイヌイットの女性と結婚し、子供をもうけて完全にイヌイットと同じ暮らしをしています。
私がシオラパルクを訪れた時には大島さんのお宅に泊めていただいたのですが、私が到着した時には狩りに出ていて、その後3週間大島さんとは会えずにいました。家には奥さんのアンナさんがいましたが、もちろんアンナさんはイヌイット語しか話せません。つまり、コミュニケーションを図るには私がイヌイット語を話さないといけないのです。

シオラパルクにおいて英語は全く役に立ちません。会話をしたければイヌイット語を覚えるしかなく、私が到着したその日から始めたのが言葉の勉強です。
カナダではイヌイットはほとんどが英語を話すので、これまでイヌイット語を勉強したことがありませんでした。

私はグリーンランドに来る前に、日本で一冊の本をインターネットの中古書籍で発見して購入していました。タイトルはズバリ「西グリーンランド語入門」です。とある言語学者が作成した、日本語とグリーンランド語、英語の辞典です。一つの単語を三つの言語で表記してあり、かなりマニアックな内容です。果たしてどれほどの力を発揮するか疑問ではありましたが、持参して勉強のパートナーとしました。

私の勉強法は、イヌイットの誰かをつかまえてはまず物の名前を聞く。
「フナウナ?」「これは何?」です。「フナ」が「何」、「ウナ」が「これ」に相当します。まずは身の回りの物の名前を聞きまくって、言われた発音通りにカタカナでノートに書きます。
物の名前があらかた聞き終わると次は動詞です。食べる、歩く、走る、寝る、起きる、等々。ジェスチャーと共に聞きまくります。同時に形容詞も覚えます。寒い、暑い、早い、遅い、白い、黒い、等々。

ここで力を発揮してくれたのが「西グリーンランド語入門」でした。イヌイットに辞典を見せながら、ジェスチャーと共に単語があっているか確認します。
そもそもイヌイットは独自の文字を持っていません。カナダには近年になって作られたイヌイット文字がありますが、グリーンランド語は英語のアルファベットをイヌイットの発音に当てて表記しています。

例えば「見つける」という言葉があったとすると、それをジェスチャーだけで聞こうとするのはかなり無理があります。まるでクイズ番組の問題です。「恥ずかしい」なんて言葉をイヌイット語でなんと言うのか、どこかの劇団員でも異文化の人にジェスチャーで聞くのは無理でしょう。
辞典があると、そこに記載されている言葉を見せて、「見つける」ジェスチャーを簡単にすると、それで合っているか否か判断できるのです。

名詞、動詞、形容詞をノートにびっしり書き、疑問形の表現、数字の数え方、時間の言い方、挨拶の言い方、毎日誰かをつかまえては勉強していました。
「西グリーンランド語入門」には文法の説明もあったので、それを参考に接辞や時制を覚えると、次第に言葉らしきものを言えるようになってきます。

結果的にシオラパルクにいた一ヶ月間で、全く未知の言語であったイヌイット語を簡単な会話は交わせるようになりました。村に一つの商店で買い物をするのにも苦労しなくなるし、イヌイット同士が話している時も、知っている単語が出てきて何を話しているのか察することができるようになりました。

全く未知の言語であっても一ヶ月あれば片言に話せるようになることをこの時発見しました。


イヌイット語講座(グリーンランド北西部)
ありがとう…コヤナ
私…ウワガ
あなた…イッディ
こんにちは…クター
これ…アーウナ
暑い…キヤック
寒い…イッキャンナット
ちょっと待って!…ウッチアゴ!
悪い…アヨッポ
悪くない…アユンギラック

例文「私は既に美味しいアザラシを3回食べた」…「ウワガ プイシ ママガァガ ピンガショリアッショガ ネリィリィップンガ」

イヌイット語はムズカシイ

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イヌイットに狩られ、解体されたホッキョクグマの肉


北極で生きてきたイヌイットは、ホッキョクグマと共に生きてきた民族です。時にクマはイヌイットにとって貴重な資源であり、時に命を脅かされる脅威でもありました。

ホッキョクグマの毛皮は衣類(特にズボン)を作るために用いられます。肉は食べることもありますが、今ではあまり食べられることもなく、毛皮を取ると肉は犬にあげてしまったりします。

絶滅危惧種に指定されているホッキョクグマは、今では狩りをするのにも規制があります。カナダ北極圏であれば村ごとに年間に捕っていい頭数が決められていて、くじ引きで当たりを引いたイヌイットのみ狩ることができます。グリーンランドでは頭数制限はありませんが、狩りができるのはイヌイットの専業ハンターとして生きている者のみにしか権利は与えられません。

カナダ北極圏では、近年多くのスポーツハンターがやって来ます。スポーツハンターとは、趣味で野生動物の狩猟を行っている人たちで、北極に来るスポーツハンターの目当てはジャコウウシやホッキョクグマです。
前述のとおりにホッキョクグマの狩猟に関しては、現在厳しい規制があるわけですが、スポーツハンター達はどのようにホッキョクグマ狩りを行っているかといえば、抽選で当たりを引いたイヌイットからその権利を買い取ることで狩猟を行うのです。
そのシステムはすでに確立され、イヌイットの中にはスポーツハンターのガイドを専門に行っているチームもあります。
ちなみにその権利料、1〜2週間に及ぶガイド料、捕った毛皮の処理と輸送、それら一回のスポーツハンティングで数百万円の金が動き、イヌイットの元に現金が入ります。

スポーツハンティングが良い悪い、に関しては人によって意見は様々あると思います。
現在のイヌイットにとっては、あまり厳しい狩りに出るわけでもないのでホッキョクグマのズボンが生活必需品でもなくなっているので、毛皮の重要性は以前よりもありません。肉も食べるわけでもないので、だったら生活にとって最も必要である現金になった方がいいわけです。産業の無い北極において、補助金や少ない仕事で得られる現金以外の貴重な収入源になります。

イヌイットの文化が衰退してしまう、という見方もあるかもしれませんが、文化なんていうのは時代とともに変化するものです。外部の人間は「狩猟の文化が衰退してしまうのは悪である」と簡単に言ってしまいますが、本人たちにとって必要がなくなったものを守る余裕もなければ、意識もありません。
「文化」は保護されたり博物館に入るようになったらすでに終焉を迎えていると考えるべきでしょう。イヌイットに今から完全狩猟生活に戻れと言ってもそれは無理な話であって、我々日本人が日本の文化を守るために今から鎖国をして江戸時代の生活に戻れるわけもないでしょう。

守れるところは守る努力をしてしかるべきでしょうが、時代の自然な流れで衰退するものはあとは博物館で眺めて「こんな時代もあったんだね」と思うしかない、と私は思います。残念ですが。

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数千年前から北極で生きてきたイヌイットは、長い間、生きる糧を狩猟から得てきました。

北極圏の大部分は森林限界線を越えており、高い木が生えません。植物といえば高山植物のような背の低い草花や、地面を覆うコケが主なものです。

北極では「農耕」ができず、食料を「生産」する事ができません。狩猟によって、生きる全てを得る必要があるのです。
イヌイットが狩猟の対象としていたのは、ホッキョクグマ、カリブー(トナカイ)、ユキウサギ、ホッキョクギツネ、ジャコウウシ、アザラシ、セイウチ、ホッキョククジラ、イッカク、といった哺乳類、アークティックチャー、トラウト、オヒョウ、などの魚類、夏になるとやってくる渡り鳥、といった動物です。

狩猟で得た動物は、単に食料となるだけでなく、毛皮からは衣類やテントを作り出しました。骨からは矢じりや釣り針といった、いろいろな道具を作り、カリブーの腱は糸代わりになりました。
木が生えない地では木材が簡単には手に入らないので、動物の骨が木材の代わりになっていました。


以前、イヌイットと一緒にカリブー狩りに出かけました。
カリブー狩りの時期は、10月ごろがシーズンです。長距離を移動しながら生きるカリブーは、夏のえさ場で長い冬に備えて食べられるだけ食べ、体にできるだけ脂肪をため込もうとします。10月ごろから冬を越すための生息地に移動するカリブーを、イヌイットたちは捕りに行きます。

イヌイットといっても、現在では私たちと同じ近代的な生活ですが、カリブーの肉は「メチャクチャ美味しい」ことから今でも皆、喜んで狩猟に出かけます。
時期が来ると仕事が休みの日曜日などに友人たちと連れ立ってカリブー狩りに行くのです。

10月ごろの北極圏は、マイナス10度くらいに気温は下がっていますが、まだ積雪はあまりなく、スノーモービルもあまり使えないのでATVというバギーで出かけます。ちなみにこのバギーを、イヌイットは「ホンダ」と呼びます。当然ホンダのバギーもありますしスズキもあります、ポラリスというメーカーのもあるのですが、全て「ホンダ」です。

カリブーはライフルで仕留めます。カリブーは意外と近付いても逃げず、のんびり草を食べていることが多いのでけっこう簡単に捕ることができます。

日本で鹿狩りをすると、必ず「血抜き」をします。首の動脈を切って木につるし、体外に血液をできるだけ出してから解体を始めます。血抜きをすることで肉に血がまわらずに臭みを抑えられるからです。
しかし、イヌイットはカリブーの血抜きはしません。カリブーのとどめを刺すと、その場ですぐに解体に入ります。

使う道具は刃渡り15センチくらいの、普通のナイフ一本だけ。まず、四肢の毛皮をはがすと、腹の毛皮を縦に切り、毛皮と筋肉の間に手を入れながら毛皮を脱がすように剥いでいきます。
毛皮を脱がすと頭と四肢を切断、腹を裂くと中から内臓を取り出します。かつてのイヌイットたちは、野菜のない北極でどうやってビタミンを補給していたかといえば、カリブーの胃袋に詰まった消化しかけのコケや小腸をすするように食べることでビタミン源としていました。
今でも肝臓や腎臓などは解体しながらつまみ食いします。まだ生温かいレバ刺し、腎刺し?は、なかなか美味いです。普段、私はあまりレバーは好きでないのですが、解体したての野生のカリブーの内臓はかなり美味しく思えました。
小さな普通のナイフ一本だけで、カリブー一頭をものの20分くらいで完全にバラバラにしてしまいます。

イヌイットのカリブーの肉の食べ方は、凍らせてからナイフなどで削りながらルイベのように食べるか、あとは塩ゆでくらいです。
凍肉には塩をふったりもしますが、よく醤油を使います。北極圏のどの町でもキッコーマンソイソースが売られていて、イヌイットもよく使います。

カリブーの頭は鍋で丸ごと塩ゆでにして、毛皮と骨以外は全て食べます。脳みそはクリーミーなカンジですし、眼球はゴムを噛んでいるような固い食感。眼球の裏の神経はなかなか美味です。
最もおいしいのは舌。牛タンの何倍も味が凝縮したような旨味です。

書き出すといくらでも書いてしまうのでこの辺で。質問がありましたらコメント欄にお願いします。

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私が北極に行くようになったきっかけは、大学を辞めて自分の人生に目標が持てない時に偶然知った、冒険家の大場満郎さんが企画した北極の旅に参加したことでした。その辺の詳しい経緯については8月27日からこのブログ上で書かせてもらいました。

アウトドアのど素人であった私が、自分自身への変化を求めて北極という異世界に魅せられ、長距離の徒歩行を繰り返すようになっていきましたが、続けて北極へ行くたびに、次第に北極のいろいろな魅力が見えるようになってきました。

その一つであるのが、北極に住むイヌイットの人々との出会いです。

イヌイットは以前はエスキモーと呼ばれていましたが、最近ではイヌイットという呼称が一般的です。エスキモーという呼称の起源については諸説あるようですが、南のインディアンが侮蔑の意味を込めた「生肉を食う輩」というインディアンの言葉から来た、ということらしいです。

イヌイットという呼称は、イヌイットの言葉で「人間、人々」を意味します。イヌックが単数形の「人」で、イヌイットは複数形になります。


そもそも先住民イヌイットは今から二万五千年ほど前、氷河期が訪れる少し前に、今よりも地球の海水面が百メートル以上低く、地続きだったベーリング海峡を通ってやってきたモンゴロイドです。

氷河期の訪れとともに、北米大陸は現在のカナダのほとんどが厚い氷床に覆われ、イヌイットの祖先となるモンゴロイドはベーリンジアに取り残されました。
氷河期の終了で北米大陸を覆っていた厚い氷床は後退し、同時に海水面も上昇、ベーリンジアも水没しベーリング海峡になりました。
ベーリンジアの人々は新たな土地を求め、氷床の後退した地へと活動範囲を徐々に広げていきます。あるものはシベリア側に渡ってチュクチとなり、あるものはアリューシャン列島のアリュートとなり、アラスカからグリーンランドにまで至った人々がイヌイットと呼ばれるようになりました。

イヌイットが西洋との関わりを持ち始めるのは、いわゆる西洋の大航海時代以降からです。
ヨーロッパの探検隊がアジアへの新航路探索の為、カナダ北極圏に帆船でやってくるようになりました。しかし、その多くが北極で命を落としました。最も有名な大量遭難例がフランクリン隊です。

イギリス海軍の退役軍人であったジョン・フランクリン卿が率いる二隻の帆船、エレバス号とテラー号がテムズ川の港を出帆したのは一八四五年のことです。
一二九名の乗組員と三年分の食料を二隻の帆船に分乗させ、北米大陸の北をアジアへ抜ける北西航路の探索に出発しました。

当時の極地探検は帆船に数年分の食料と燃料を積み込んで行く長期の探検が主でした。グリーンランド沖からカナダ北極圏へ深く進入したフランクリン隊は、予定の三年が経過しても戻っては来ませんでした。グリーンランド沖で捕鯨船に目撃されたのを最後に行方不明となったのです。

イギリス海軍は捕鯨船や、そこに住むイヌイットの目撃情報を頼りにフランクリン隊の行方を追い、一〇年以上の捜索の結果、数カ所の乗組員の墓地や陸地で越冬した跡、遺品と数々の記録を発見しました。それらの情報を総合すると、ようやく遭難の経緯が推測できるようになりました。

フランクリン隊は、大量に持ち込んだ缶詰の蓋の溶接に使われた鉛による鉛中毒や、ビタミン不足から引き起こされる壊血病などの病気に苦しみました。二年目に隊長のフランクリンは船上で死亡。病気と猛烈な寒さによって多くの隊員が力尽き、やがて二隻の帆船は凍った海氷の圧力で粉々に粉砕されて沈没しました。

船を放棄した隊員達は、海氷上を徒歩で南を目指し進みましたが、結果的に全員が死亡したのです。
捜索隊は、イヌイットから数年前に二隻の壊れた帆船を見かけたことや、多数の白人の遺体を見たという証言を得ました。またイヌイットの持ち物にフランクリン隊が所持していたと思われる物品を多数見つけました。
イヌイットは海氷上で粉砕された帆船から使える物を取っていました。木の生えない北極において、木材の塊である帆船は、イヌイットにとってはおそらく宝の山に見えたことでしょう。


一八〇〇年代に一気に加速した極地探検の中で白人とイヌイットとの交流も生まれ、極地の海洋資源に目をつけた白人はイヌイットから毛皮や獣脂を買い集め、各地にトレーディングポストと呼ばれる交易所を設けました。
それまで季節とともに移動しながら生活をしていたイヌイットはトレーディングポストに集まり、次第に白人が中心となった村を形成するようになっていきます。
一九〇〇年代になるとイヌイットの手にも「銃」が行き渡るようになります。

こうして白人文化にどっぷりと染められて、ほんの百年ほどでかつての太古から変わらない生活を一変させられました。それはさながら縄文時代が一気に昭和平成になったようなものでしょう。

今、そのイヌイットの急激な変化の代償は彼らの社会問題となって現れています。アルコール依存、ドラッグ中毒、自殺などは代表的なものでしょう。

変化はイヌイットの話す言葉にも見られます。カナダではイヌイットの多くが英語を話します。使用頻度は若年になるほど高く、逆に高齢者では英語の話せない者も多くいます。
今ではイヌイット同士の日常会話でさえ英語で行われることが多く、小学校ではイヌイット語(イヌクティトゥト、ヌナブト準州西部ではイヌイナクトゥンと呼ぶ)を授業で教える有様です。
しかし、グリーンランドでは未だイヌイット語が主流で使用されています。

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荻田泰永 北極冒険家
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