FC. MARIOLO2006

監督(小楠 博)HAKU OGUSSOの独り言。

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アンビリーバボーの後半のお話。
「約束の甲子園」

とても、他人事とは思えませんでした。

そう、私の主人「FC MARIOLO」の監督もまた、若い時期に脳の病に倒れた一人だからです。



今から、13年前中学3年生の冬でした。
高校進学を控え、サンフレッチェ広島のユースへ行こうか、長崎の名門国見高校へ行こうか悩んでいました。

国見高校の(当時)サッカー監督だった、小嶺先生が自宅へ挨拶へ来るというその日の夜中、突然主人は倒れました。

病名は「脳動静脈奇形」というものでした。

真夜中、救急車で総合病院へ運ばれ緊急手術が行われました。

父は、医師から「覚悟して下さい。助かっても植物状態か、10%の確立で車椅子生活が出来るかどうか・・・。」と、説明を受けました。

ちょうど、アンビリーバボーでも、同じようなシーンが流れました。
父は、「博も、こうだった。」と、涙声で一言言って、自分の部屋へ行ってしまいました。

私は、同じ中学で主人が病気した事は、知っていましたが両親がどんな気持ちでいたかなど、知る由もありませんでした。

きっと、13年たった今でも、昨日の事のように思い出されるのだと思います。

さて、話は戻りますが、8時間もの、大手術を終えICUに移された主人。
20日程の入院生活、何も記憶が無いそうです。


1月になるという事で、正月を家で迎えさせてあげたいという、家族の意見を聞き入れてくれて家へ帰宅することが、許されました。

1月2日の朝、その日、正気に戻りました。

トイレへ行こうと、起き上がろうとして、左の感覚が全く無い主人は倒れこんでしまいました。
まだ、自分の置かれている状況が把握できないまま、「何で立てないの??」と、両親に聞きました。

両親は、一生懸命説明しました。

脳の病気で、倒れた事、左が麻痺していて座る事もできない事。この先、サッカーを出来るようになるか解らない事。

全部を、受け止めるのにはまだまだ、時間が必要でした。
毎日、泣いて現実を受け止められない、自分がいました。

だけど、サッカーがしたい!!もう一度!!

ただそれだけでした。

その一心で、リハビリに励みました。

ある日、鎮西学院の田中先生からうちの高校へ来ないかとオファーがありました。
サッカーが出来る状態ではない事を話したら、それでも来て欲しいとの事。

明日へ続く。。。

すみません、つづきは明日書きます。

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先月から小楠さん・荒牧さん・MARIOLOの皆さんにお世話になっているブレイク母ですm(__)m。小楠さんの奥様のお顔の方をまだ認識しておりません。挨拶も出来ずに申し訳ありません。
実は私の親友も小楠さんと同じ「脳動静脈奇形」で脳出血を起こし34才の若さで倒れ、今は高次脳機能障害を持ち、体の機能はほぼ回復しましたが、知能指数は小学低学年。記憶障害で昔の思い出を失い、今日話した事も明日は全てを忘れてしまいます。
小楠さんがサッカーに情熱を傾けられる様に、彼も仕事の傍らサーフィンやバンドのドラムを楽しみ家族と幸せに過ごしていたのですが、職場での過労が彼の家族も楽しみも全てを奪ってしまい、労災に認定され日々生きているだけで・・だからコメントを書かずにはいられませんでした。
小楠さんは病気を乗り越え、大きな努力とサッカーへの情熱と共にMARIOLOを立ち上げられたのですね。そんなMARIOLOで、サッカーをする事が好きで好きでたまらない息子が生き生きと練習する姿を見るのが私も楽しみになりました(^^♪これからどうかよろしくお願いします。

2009/6/8(月) 午後 5:18 [ saki ]


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