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【6月11日 天声人語から】
当日ニュースソース不明
近頃のジャーナリズムは、殊に東日本大震災以後のそれは
ニュースソースに偏りが生じているのではないか。理由はいろいろある。
今回の天声人語の通り、権力に屈してしまいがちだからであろう。
大企業に勤める人間ならばなおのこと抑圧を受けることが多いのだろう。
例えば、電力会社だ。国策として推進された原子力発電の事故を契機に
世論は原子力発電の安全性を問い始めたが、国民に多大な影響を与えるメディアの
多くは依然として体制寄り、あるいは沈黙を守る形をとっている。
多く広告料を提供されている弱みから、電力会社を敵に回すようなことは言えないのか。
本来あるべきジャーナリズムの姿、役割を放棄しているように見える。
その点で言えばフリーの写真家、ジャーナリストは活動することにリスクは多いが、
しがらみが少ないため、「追う事」に忠実でいられるのだろう。
アラブの春の到来がわれわれ国民の耳に届くようになるのも、
彼らが惜しみなく声なき声に耳を傾け、そして伝えているからである。
さらに忘れてはならないのが、これまで物言わぬ多数派(私は物言えぬ多数派と思っているが)
だった人々が生活を顧みず、叫び始めているという点である。
個人力の高まりが民主化を求める集団の波を生んでいる。抑圧に「NO」を突きつけているのだ。
では日本はどうか。アラブの春の熱を感じることは出来ないか。
果たして日本の民主化は完全なものだろうか。
元気のない日本をアイドルの力や各業界の新星が支えている。
だが、個人力が高まらなければ、集団の力は発揮できない。
叫び始めなければならないのは、名もない私たち一人一人の個人である。
日本の春が訪れないのは、個人力のある集団と、個人力のない集団との違いにまだ気づけていない
からではないか。北の空に原発銀座を予感しながら、そう感じている。
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