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【日付不明 天声人語より 土用の丑の日についての話題】
食に限った話ではないが、人間は“変化”する事に何かしらの不安を持っているように思う。
生から死への変化も然り、あるいは自然現象の変化もそうである。
だからこそ、先をも腰、多様な変化に対応するため、学問を通して知を発達させ、
安心を補完しようと発展してきたのではないか。
一方で、人間は豊かな生活を求めて、経済発展という変化を遂げた。変化を恐れるがゆえ、
住みやすい環境への変化を求めたのかもしれない。
そして皮肉なことに、これは環境破壊を引き起こし、食文化にも影響を与え始めた。
うなぎの減少と価格高等にはこのような背景があるのは間違いない。
だが、うなぎの減少は果たして環境破壊、つまり人的要因のみによるものか。
真相はうなぎに聞いてみない限り分からないが、日々生き物は人間の目の届かない所で
絶滅と誕生を繰り返しているのだ。
うなぎの減少がもし自然淘汰の一部であるなら、自然の摂理に従って、人間も“文化としての食”
の変遷を受け入れるべきなのではないか。そしてうなぎが、淘汰されるもののの一部であるなら、
規制の意味もまた違ってくる。
何故、いま、うなぎなのか、である。
日々“変化”が起きている地球上で、うなぎがクローズアップされる理由はなにか。
世界を巻き込んだビジネスの予感が漂う。
日本はうなぎの稚魚の養殖に成功している。海外もこの技術に注目し始め、
海外にも輸送技術の進歩が見られる。技術の輸出入を資本に、新たなビジネスが始まろうとしている。
ワシントン条約で規制する検討はもちろん、うなぎの補完、保存であるが、ビジネスのための前座である感は否めない。
人間は生物の命を頂いて生きている。
ビジネスとしての食べ物ではなく、生きるための、文化を守るための食べ物でありたい。
今からうなぎの安全性が心配だ。
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