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「俺の、俺の、俺の話を聞けえぇぇっ!」てな話で、本音トークいきます。
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【6月21日 天声人語から】

天声人語当日ニュースソースURL

日本文化は情趣溢れる四季の移ろいにより発達してきた。
茶道では飾られる掛け軸や花m使用される茶器や茶碗の
色、形、質感(それを生み出す土)に至るまで季節感にこだわり持ち、好んできた。
丁度この梅雨の時期、茶の間は切ってある炉にしばしの別れを告げ、涼しげな風炉へと姿を変える。
現代人にとっては憂鬱な梅雨でも、茶の間には欠かせぬ味わいのひとつである。
茶の湯の創始者である千利休の時代は今ほど便利な生活ではなかっただろうが、
今よりもっと四季を愛していたに違いない。

現代人といえば、近頃は虫を嫌うどころか、移り行く季節までも疎ましく思っているようである。
季節外れの台風に悩まされ、翌日の真夏日には熱中症の心配をし、一方では電力不足を懸念する。
メディアが話す、自然がまるで人間の敵であるかのような口ぶりも時代の変化を思わせる。

人間は“便利”に手を染めすぎた。そしてたくさんのモノを持ちすぎてしまった。
結果として、わたしたちとは気っても切り離せないはずの自然の存在は、
モノに執着しすぎたあまりに、どこか人間の意識の遠くへ行ってしまった。
昔に慣れ親しんだ土の感触を忘れるのと同じように。

私たちが踏みしめる大地は今や、暖かい土ではなく、灼熱のコンクリートである。
そして電力の普及と共に眠らない街は増えた。
人間らしくない、自然の摂理に反した生活をするようになった。
おそらく自然と疎遠になってしまったのはこれが原因だろうが、
歴史から学ぶことは出来ても時は戻らない。

今年の夏も節電にいそしむ私たちではあるが、
心のすみから自然の存在を呼び起こす必要があるだろう。
それが、自然と再び共存を始め、電力に頼り過ぎない生活への第一歩なのではないか。
【日付不明 天声人語より 土用の丑の日についての話題】

食に限った話ではないが、人間は“変化”する事に何かしらの不安を持っているように思う。
生から死への変化も然り、あるいは自然現象の変化もそうである。
だからこそ、先をも腰、多様な変化に対応するため、学問を通して知を発達させ、
安心を補完しようと発展してきたのではないか。

一方で、人間は豊かな生活を求めて、経済発展という変化を遂げた。変化を恐れるがゆえ、
住みやすい環境への変化を求めたのかもしれない。
そして皮肉なことに、これは環境破壊を引き起こし、食文化にも影響を与え始めた。
うなぎの減少と価格高等にはこのような背景があるのは間違いない。

だが、うなぎの減少は果たして環境破壊、つまり人的要因のみによるものか。
真相はうなぎに聞いてみない限り分からないが、日々生き物は人間の目の届かない所で
絶滅と誕生を繰り返しているのだ。
うなぎの減少がもし自然淘汰の一部であるなら、自然の摂理に従って、人間も“文化としての食”
の変遷を受け入れるべきなのではないか。そしてうなぎが、淘汰されるもののの一部であるなら、
規制の意味もまた違ってくる。

何故、いま、うなぎなのか、である。
日々“変化”が起きている地球上で、うなぎがクローズアップされる理由はなにか。
世界を巻き込んだビジネスの予感が漂う。

日本はうなぎの稚魚の養殖に成功している。海外もこの技術に注目し始め、
海外にも輸送技術の進歩が見られる。技術の輸出入を資本に、新たなビジネスが始まろうとしている。
ワシントン条約で規制する検討はもちろん、うなぎの補完、保存であるが、ビジネスのための前座である感は否めない。

人間は生物の命を頂いて生きている。
ビジネスとしての食べ物ではなく、生きるための、文化を守るための食べ物でありたい。
今からうなぎの安全性が心配だ。
【6月11日 天声人語から】

当日ニュースソース不明

近頃のジャーナリズムは、殊に東日本大震災以後のそれは
ニュースソースに偏りが生じているのではないか。理由はいろいろある。
今回の天声人語の通り、権力に屈してしまいがちだからであろう。
大企業に勤める人間ならばなおのこと抑圧を受けることが多いのだろう。
例えば、電力会社だ。国策として推進された原子力発電の事故を契機に
世論は原子力発電の安全性を問い始めたが、国民に多大な影響を与えるメディアの
多くは依然として体制寄り、あるいは沈黙を守る形をとっている。
多く広告料を提供されている弱みから、電力会社を敵に回すようなことは言えないのか。
本来あるべきジャーナリズムの姿、役割を放棄しているように見える。
その点で言えばフリーの写真家、ジャーナリストは活動することにリスクは多いが、
しがらみが少ないため、「追う事」に忠実でいられるのだろう。
アラブの春の到来がわれわれ国民の耳に届くようになるのも、
彼らが惜しみなく声なき声に耳を傾け、そして伝えているからである。

さらに忘れてはならないのが、これまで物言わぬ多数派(私は物言えぬ多数派と思っているが)
だった人々が生活を顧みず、叫び始めているという点である。
個人力の高まりが民主化を求める集団の波を生んでいる。抑圧に「NO」を突きつけているのだ。

では日本はどうか。アラブの春の熱を感じることは出来ないか。
果たして日本の民主化は完全なものだろうか。
元気のない日本をアイドルの力や各業界の新星が支えている。
だが、個人力が高まらなければ、集団の力は発揮できない。
叫び始めなければならないのは、名もない私たち一人一人の個人である。

日本の春が訪れないのは、個人力のある集団と、個人力のない集団との違いにまだ気づけていない
からではないか。北の空に原発銀座を予感しながら、そう感じている。
【6月6日 天声人語から】

当日のニュースソースURL

次に地球から金星が太陽の前を横切る天体の奇跡を見ることが出来るのは100年先という。
誰もが宇宙に魅せられ、宇宙の謎に迫りたくなる訳だ。
2012年、100年前より随分人間は進歩した。
今や誰もが日食グラスを手に入れ、この奇跡に立ち会うことが出来る。
だが、手軽に立ち会えるようになればなった分だけ、
天体の奇跡までも軽んじられてしまわないかという一抹の不安がある。

われわれの生活はテクノロジーの発達によって、より便利に、
欲しい情報を手早く入手できるようになった。
だが、外山滋比古の著書「思考の整理学」の言葉を借りれば、
<人間は忘却の生き物>であるから、天体観測に限らずの話ではあるが、
欲望の閾値が低下する恐れがあるのだ。
又それは、慣れてしまうものだから恐ろしい。

忘却というのは更に厄介である。地球は長い時間をかけて温暖な気候を太陽との絶妙な
均衡を保って生み出した。
あらゆる生命はこの奇跡の元に生まれたが、
現代人にはその血――感性で自然の奇跡・偉大さを感得する能力を失いかけている。
そこで、血とは違う、科学的な見地から人類の歴史を探ろうとしたのが
アインシュタインを代表とする科学者たちだ。
彼らは世界の最先端を求めて研究に没頭しただろう。
だが重ねて言うようだが、人間は忘却の生き物である。
高慢な態度も生まれよう。事実、この大切な地球で人間は争ってきた。
豊かな生活を営む為、多くの自然を破壊してきた。人類の起源を忘れる事さえなければ、
人類の歴史はもっと深められたはずである。
そして、天体の奇跡に立ち返れば、日食グラスで見る以上に鮮やかなノスタルジーを感じられたのではないか。
だが、これは以上のような現代社会を経験した上での裏づけであるため、
決して無駄ではないと言える。その上でわれわれ人類は、新しい地球との共存方法を模索せねばならない。
 これはすなわち、人間が生き延びるための術であると天体の軌跡を見ながら思う。

【補足】
レトリック強すぎワロタ。
でもがんばったけどw


【6月5日 天声人語より】

当日のニュースソースURL

明治時代以降、日本人は西洋に憧れを抱き、見よう見まねで西洋人に近づこうとした。
長い戦争を経験した後も、日本の西洋化は止まらなかった。
日本独自の文化は身を潜め、国の発展とは裏腹に失われた国の形もあった。
衣食住に関する様式の変化はより強烈な影響を与えただろう。
経済成長も止まり、世界の経済も破綻しつつある今日、資本主義の姿勢を貫く限り、
私たちはモノに代わるビジネスを展開させなければならない。
クールビズはもちろん、日本の気候、風土に合うスーツを作ろうとの
志向から生まれたものではあるが、スーツを日本化しようとの志向も又、その根底にはあり、
更に言えば、西洋化の流れの一つだとも言えよう。

ともあれ、クールビズは便利である。
夏の厳しい暑さを和らげてくれると同時に、日本経済の発展に一役買っている。
それが日本独自の文化にもなりつつあるのだから一石二鳥、いや、三鳥である。
これを受けて、今年の夏は切実な節電と相まって「スーパークールビズ」までも出現した。

コンセプトは良かったが、ここまでの肩入れにはリスクも当然生まれよう。
相手は自然である。ビジネスに先を見越す力は必要不可欠な要素ではあるが、
ありとあらゆる視点で物事を推察する力も重要な要素ではないか。
この場合、冷夏であった場合のことである。

そもそも、モノを作るという行為自体節電ではない。
スーツ製造の過程で沢山電気を使うわけであるから、節電であるはずがないのだ。
だが、世の大人たちは、これ見よがしにクールビズでストイックに電気、クーラーをつけずに仕事をしている。
節電の本質を間違えている気がする。

以上のように考えて、われわれが考えるべき問題はパフォーマンスではない節電をどのように
追求していくかであろう。

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