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アッという間に2週間が過ぎてしまいましたが正月の2日、北品川を中心とした東海七福神を巡ってきました。昨年夏の日本橋七福神、秋の深川七福神に次いでの七福神巡りです。(^o^)

当初、妻と2人で巡る予定でしたが、急遽仕事が休みになった次女(社会人2年目)に声を掛けたところ、予想外の返事が返ってきて、な、なんと、次女も一緒に行くこと。^^;


箱根駅伝コース/新八ツ山橋
午前の11時頃、京急の北品川駅を降ります。改札口を出ると目の前は第一京浜国道で、ほんの2〜3時間前に箱根駅伝の選手たちが箱根に向かって走った駅伝コースです。右手には新八ツ山橋が見えます。しかし、駅伝の面影はまったくありません。多少は余韻を期待していただけに少し肩すかしの感じがします。^^;

ゴジラ上陸の地
ゴジラの上陸地を駅前の地図で確認します。ふと思います。こうした公的な地図に載っているということは、やはり「ゴジラはいた?」(そ、そんなことないですね〜) 私が一生懸命に説明しているのに妻と娘はあんまり関心がないようです。^^;

品川女子学院
歌手の島倉千代子さんが出た品川女子学院の前を通り、品川神社に向かいます。この品川女子学院は女子教育において80年以上の歴史がある中高一貫校で、校歌の歌詞は与謝野晶子が作っています。このことを娘に話すと「品女」は知っているとのこと。娘は小中高とすべて私立ですので、進路を検討するとき品川女子学院もリストにあったようです。


(1)大黒天(品川神社)
人影が少ないな〜と思っていたのも束の間、品川神社の下に来ると人がたくさんいます。やはり品川神社です。門柱に龍の細工が施された双龍鳥居の左手には、大黒様が大きな笑顔で小槌を振り上げています。食物・財福を司る神様です。この像を見るだけで元気になってくるようです。
ちなみに石鳥居「双龍鳥居」の左の柱には昇り龍、右の柱には降り龍が彫刻されています。


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品川神社の大黒様


多くの人が上る階段を一緒になって上ります。段数はそれ程でもないのでしょうが、勾配が急なせいか一気に登ると動悸がします。(苦笑)


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             双龍鳥居と階段                  囃子が奏でられる神楽殿


階段を登り切ると本来は正面に本堂が見えますが、この時はほとんど見えません。参拝する人の行列であふれているからです。しかも、それ以外の人影も多く、別の行列も見えます。
神楽殿では囃子が奏でられ境内に響いています。普段は静かな品川神社ですが今日は活気があります。やはりお正月なのですね。心がウキウキします。(~o~)

しかし、これから7つの神社仏閣を巡る身としては、ここだけで時間を費やすことはできません。遠くから本堂を拝み、裏にある板垣退助のお墓を見に行くことにします。

板垣退助の墓所
そこには見物客は誰もいないものの4〜5名の人達が掃除をしています。どうやら、その雰囲気から板垣家の関係者のようです。こちらの姿に気付かれたのか「どうぞ」と声を掛けられましたが、失礼になると思い、遠くから合掌してその場を離れます。

品川富士
娘の話に同調して一緒に品川富士(富士塚)に登ります。昔はここから西には富士山が見え、東は東京湾が広がっていたようです。いまは見えるのは四方八方、ビル群ばかりです。昔の光景をイメージして眺望し、品川神社を後にします。


(2)布袋尊(養願寺)
品川神社から東に200m位のところに布袋尊の養願寺があります。近すぎて拍子抜けするほどの距離です。

布袋様は昔の中国に実在したとされる伝説的な仏僧で、大きな袋を背負った太鼓腹の姿が特徴です。本名とは別に、常に袋を背負っていたことから布袋(ほてい)という俗称がつけられたそうで、寺に住むこともなく方々を泊まり歩いては施しを受け、その大きな袋に入れたそうです。そして、その袋から財を出し与えてくれる福の神として信仰を集めています。

また、肥満体の布袋尊は広い度量や円満な人格、富貴繁栄をつかさどるものと考えられ、所持品である袋は「堪忍袋」とも見なされるようになっています。


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              養願寺                  肥満体の割には小さな布袋尊(^o^) 


(3)寿老人(一心寺)
続いての「寿老人の一心寺」までは驚きの距離です。近いもなにも目と鼻の先です。(^o^) 

お寺の正面に立つと「品川成田山」の提灯が目に入ります。成田山の分身である不動明王が本尊で、品川のお不動さんとして親しまれているようです。

寿老人は中国の伝説上の人物で、酒を好み頭の長い長寿をさずける神とされます。七福神の一神である「福禄寿」と同一神と考えられているようで、団扇と巻物をつけた杖を持た姿で表されます。また、長寿と自然との調和のシンボルである鹿や鶴を連れていたとされます。
こうしたことから、一心寺は延命と商売繁盛を授けてくれるお寺として慕われているようです。


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寿老人にあやかって記念撮影

旧品川宿
一心寺は旧東海道沿いにあります。つまり、ここは品川宿です。それも案内を見ると北品川宿のようです。そこから目黒川まで旧街道を歩きます。あちこちに古い時代を感じさせる建物や看板があり、観光客向けの施設もあります。当時とは異なる面影なのでしょうが、それでも昔の風を感じさせてくれそうで何となく嬉しく感じます。

(4)恵比須(荏原神社)
旧東海道から目黒川沿いに50m程上流に向かうと恵比須様が笑顔で迎えてくれます。ここへはもう何度来たことでしょう。でも毎回、素敵な笑顔の恵比寿様に迎えられ、心が和みます。
もともとは漁業の神であり、その後「商売繁盛」や「五穀豊穣」をもたらす福の神となった唯一日本由来の神です。人の心を穏やかに、そして豊かにしてくれる神様でもあるようです。(^o^)


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いつもニコニコ、荏原神社の恵比須様。


入口の恵比須様の所から本堂まで行列ができています。一瞬「ここもパス?」と思ったものの、やはり日頃から心の何かと福を与えてくれる恵比須様です。少々時間は掛かりましたがちゃんと拝みます。


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行列の荏原神社


なお、現在の荏原神社は、規模は大きくないものの奈良時代の前の飛鳥時代(709年)に創建された由緒ある神社です。龍神を祀る元品川宿の総鎮守で、旧称を天王社といい、徳川家康からは神領を寄進され歴代将軍より庇護を受けています。また維新に伴う東京遷都の際には明治天皇の内待所となり、菊花御紋章を賜っています。現在でも天王祭・御神面神輿海中渡御は全国に知られています。

目黒川を渡って旧街道に戻り、南に歩みを進めます。時計を見ると12時少し過ぎです。なんと七福神の4カ所を1時間あまりで巡っています。(^o^)


(5)毘沙門天(品川寺)
荏原神社から約10分程ブラブラ歩くと毘沙門天の品川寺です。ここも何度も来ています。というより日頃の通り道でもあります。いまでも月に1回は必ず前を通ります。

毘沙門天といえば上杉謙信を思い起こします。戦さに優れた武や勝負事の神様で、四天王の一尊である多聞天です。他の七福神とは趣きが違います。しかし現在では、武の神様であると共に福徳増進の神としても信仰されています。


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江戸六地蔵と山門


山門手前の江戸六地蔵の大きさにはいつも目を見張ります。拝殿した後はジュネーブの鐘、大銀杏などを見て回ります。

このお寺も806年頃創建されたそうですから由緒ある名刹です。ふと思います。当時、この周辺はそのような町並みだったのだろう? 15世紀に大田道灌によって伽藍が建立されたそうですから、創建はその600年以上前になります。旧街道沿いにありますので近くは海だったはずです。
「江戸」という地名の由来は、「川や入り江の入口」あるいは「川や入り江の港」だそうですから、当時は水の文化だったのかもしれませんね。





次の七福神までは20分ほど歩かねばなりません。そこで途中の旧跡名所を眺めながら歩くことにします。

海雲寺
品川寺の南隣に海雲寺という曹洞宗のお寺があります。創建は1251年だそうですから、ここもそれなりのお寺です。境内に入ると「平蔵地蔵」があります。
「平蔵地蔵」は悲しくも美しいお話です。心が洗われる思いがします。

    江戸末期、鈴ヶ森処刑場で番人をしていた正直者の乞食「平蔵」は
    ある日、大金を拾いますが落とし主を探して届けます。
    それを聞いた仲間の乞食から、山分けすれば乞食を廃業することが
    できたと冬の最中に小屋を追い出されて凍死します。
    これを聞いた落とし主が手厚く葬り、地蔵尊を立て供養したのです。

平蔵地蔵の謂れを記した案内板を教えたときは無視するような表情の妻と娘ですが、読み進むにしたがって真剣な顔になり、読み終えると自然と合唱していました。やはり何かを感じたようです。

海晏治/泊舩寺
その後、岩倉具視や松平春嶽が眠る「海晏寺」と旧仙台坂(くらやみ坂)を挟んだ所にある俳句寺こと泊舩寺を確認しながら南下します。時間があればゆっくりと見物したいのですが、連れの二人はあまり興味ないようです。^^;

山内容堂公の墓
鮫洲の駅を左に見る頃に、右手を見るとこんもりした緑が見えます。「酔って候」の山内容堂公のお墓がある所です。ここへも何度か足を運びました。
幕末時、幕末の四賢侯の一人として活躍した土佐藩の藩主ですが、亡くなったのは数え年46歳(満44歳)だったそうです。明治5年に他界していますのでもっと年配かと思っていましたが・・・。


昼食の後、勝島運河に寄ってみることにしました。旧街道に出ると角に「大塚文雄民謡道場」があります。と云いましても現在は70歳代半ばの民謡歌手ですので、知らない方がほとんどでしょう。でも40年くらい前は民謡でミリオンセラーを出されています。

勝島運河
岸に立つと向こう岸が目の前に迫って見え、京浜運河に続く場所はここからでは確認できないため、一見、横長の湖のような感じがします。屋形船や釣り船が静かに停泊し、波もほとんどありません。カモやユリカモメなのでしょう、数多くの水鳥が休んだり飛んだりしています。運河の西側は花街道になっており、真冬にも関わらず菜の花が咲いています。


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           勝島運河の鳥たち                  おだやかな光景です


昼食の直後ということもあり、勝島運河を眺めていると眠気を感じます。妻は岸に腰を下ろし、娘はスマホで写真を撮りまくっています。(^o^); 
訊くと「今日の中でここが一番いい!」とのこと。^^; 空間が広がり、穏やかで長閑です。考えてみたら調布を中心とする武蔵野で生活をする者にとっては、結構新鮮な場所なのかもしれません。

ちなみに運河の名称もそうですが、向こう岸に見える場所は勝島です。この地名は、埋め立て開始時の1939年(昭和14年)に、日中戦争に「勝つように」という思いからこの人工島の名前を「勝島」と命名したそうです。

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浜川砲台の大砲/涙橋/龍馬像
その後、新浜川公園に設置されている「浜川砲台の大砲」、鈴ヶ森刑場に送られる罪人との別れの場所である「泪橋」へと歩みを進めます。そして、龍馬像とのご対面です。


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立会川の坂本竜馬

立会川の龍馬像は年に何回見るでしょう。最後に見たのも昨年の12月です。(^o^)
いつ見ても精悍で、ある種の包容力も感じます。そして、この像を見ていると高知の桂浜で見た龍馬像を思い出します。



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                                   龍馬像の下で、親子でパチリ!


(6)福禄寿(天祖諏訪神社)
品川寺を出た後、いろいろと道草をしましたがやっと七福神巡りに戻ります。福禄寿の天祖諏訪神社です。先ほどの龍馬像からは徒歩1分です。ここもときどき境内を通ります。しかし、今日は普段と違って本堂の前は行列です。


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行列の天祖諏訪神社


福禄寿は、寿老人と同一神とされることもある長寿と福禄をもたらす神様です。道教でいう幸福(実子に恵まれること)、封禄(財産)、長寿(健康を伴う長寿)の三徳を具現化した有難い神様でもあります。

なお天祖諏訪神社は、1965年(昭和40年)に立会川を挟んで並んで鎮座していた天祖神社(南浜川鎮守)と諏訪神社(北浜川鎮守)が合祀してできたもので、その際に浜川神社から福禄寿が移されたそうです。

鈴ヶ森刑場跡
天祖諏訪神社を後にして旧街道沿いに南下すると鈴ヶ森刑場跡に出ます。刑場は死刑執行の場ですので正月早々縁起でもない気がしなくもありませんが、それでも江戸を識る重要な史跡です。

江戸の三大刑場として北の日光街道沿いの小塚原刑場(南千住)、西の甲州街道沿いの大和田刑場(八王子)、そして、ここ鈴ヶ森刑場では数多くの罪人が処刑されたようです。【合掌】
特に鈴ヶ森刑場は、東海道という大動脈沿いにあったことから処刑される罪人も多く、それはいまでも演劇やドラマなどでも数多く採り上げられています。

(7)弁財天の磐井神社
本日最後の七福神、弁財天の磐井神社です。ここは、これまでの七福神からすると一人だけ離れている感じがします。弁財天は音楽や弁才、財福・知恵の神様ですが七福神の中で唯一女性の神様です。だから? でしょうか。^^;

京急大森海岸駅を過ぎた頃から人影が増え、磐井神社近くになると混雑しています。以前来た時は閑かな神社だっただけに意外な気がします。やはりこの神社も地元から慕われているようです。


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やはりここも行列です。^^;


境内に入ろうとすると鳥居の所からもう行列です。その右では地元有志と思われる若者たちが囃子を奏で、それに合わせて獅子が舞っています。獅子舞を見るとは久し振りのことです。大きな歯で参拝客を噛み、噛まれた参拝客は賽銭を差し出します。なんともはや、お正月ならではの光景です。

お詣りの後、娘がおみくじを引くと「大吉」です。それを見て妻も嬉しそうです。


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引いたおみくじは大吉!
なにやら真剣に確認しています。(^o^)


なお「鈴ヶ森」という地名は、この神社に伝わる鈴のような音色がする石である「鈴石」によるものだそうです。


磐井神社を後にして時計を見ると3時を回っています。巡りはじめてから4時間半です。アッという間に過ぎた感じがしますが、道中を振り返ると一日かけたような気もします。^^;

七福神の7箇所とは別に、訪問したり見た場所の数は10を越えます。つまり4時間余りで20箇所近くを巡ったことになります。それだけ見るところが多く魅力の多い土地。それが品川なのですね。

このあと、駅近くで喫茶をして帰宅の途につきましたが、予想もしなかった娘の同行もあり、思い出に残る楽しいお正月でした。(^o^)






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