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盲学校に行きはじめました。
三年間通えば、あんまマッサージ、はり、きゅうの国家試験の受験資格が得られます。てことは三年間通っても国家試験に落ちたら何にもならないってこと。 前の仕事やめる時に決めてた事です。 まだ自己紹介くらいしかしてないけど、なんだか毎日が輝いてます。 なんでだろうって思った時に、大きく二つの事に気づきました。 一つめは、同じ病気の人達に生まれてはじめて出会って話して、すごく居心地がいいんです。目が悪い事をなるべく気づかれないようにしてたけど、目が悪い事があたりまえの世界。バリアフリーの校内は動きやすい。 そして、色んな進行状態の人がいて、全盲の人もいます。いつかは見えなくなるって事、考えないようにしてきたけど、全盲でも明るく毎日頑張ってる人、一人で行動してる人を見ると、すごく勇気がでるし、励みになります。 二つめは、目が悪くなってから、してはいけないこと、できないことばかりが増えてく毎日でした。運転、仕事、球技なスポーツ。テキパキと動く事。。。 でも、これからは色んな勉強して、今までできなかった事が出来るようになり、知らなかった事を勉強していくんだ。 ワクワクします。 でも、国家試験だから、本当に頑張らないといけません。 大丈夫かなー。 でも頑張ります! |
網膜色素変性症
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今、金スマ見てます♪ |

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病院から帰ってきたおかあちゃんがまゆの顔を見るなり泣き出しました・・・ あれは20年程前の話ですが・・・ その当時、おかあちゃんははまだ40代だったはずw まゆも娘と同じ年頃だったはずw(小学生だったことは間違いないですw) まゆは幼い頃から、おかあちゃんは生まれつき目が悪いと家族から聞かされていました。 買い物に出かける時の置手紙は、いつも油性のマジックで手紙を書いてくれていました。 ボールペンの字は、細くて見えないからです。 そんな頃おかあちゃんは、白内障を患ってしまいました。 視野狭窄がかなり進行して、見えづらくなっていたので 「身障者手帳を申請する手続きをしましょうか」って医師に言われていた頃だったと思います。 目がかなり悪くならないと交付してもらえないので、かなり見えづらくなった状態だと思います。 おかあちゃんは大阪の市立池田病院に通院していました。 その為、何度か病院まで足を運んでいました。 瞳孔を開いて検査する時は、何時間か瞳孔が開きっぱなしで全然見えなくなるので 学校を休んで付き添っていました。 その日は、瞳孔を開く検査ではなかったので付き添っていなかったのです。 当時、阪急池田駅前はロータリーが新しく工事され綺麗になっていました。 ですが、おかあちゃんにとっては、これが物凄くやっかいだったんですね。 広場から駅までの綺麗な、なだらかな階段がとても見えづらかったのです。 白杖を持っていないおかあちゃんは、段差がわからずすり足で段差を確かめます。 ちょっとした段差も見えないと怖いですよね? ちょっとずつすり足で段差を確かめて降りていたその時・・・・・・ 二人組みの見知らぬおばちゃんが聞こえるように言うてきたそうです。 おかあちゃんははもう泣きわめきながらも、話してくれたことを覚えています。 真っ赤に充血した目からは、大粒の涙・・・・ まゆは、聞いておかあちゃんの辛さに耐え切れなくなりそうになりながらも 子供ながらにここで泣いたらあかんよなって思って我慢しておかあちゃんをなだめました。 目悪いのわからへん人やねんからしょうがないやろ。 そんな人ほっとき。としか言ってあげられませんでした。 まゆは我慢しきれなくて、夜お風呂に入ってるとき声が聞こえないように シャワーがなかったので頭洗いながら泣きました。 心の中で何度も自問自答しながら・・・・・ 答えなんてでてきません。 あの二人のおばちゃんに問いかけたかった・・・ あの時学校休んで付き添ってあげればこんなことにならなかったのに・・・・ 今でも後悔しています。 こんな思いをされている方は、たくさんいると思います。 白杖を持っていたら目が不自由だとわかるけど、 白杖を持っていなくても目が不自由な人は大勢います。 ほんの少しだけ貴方の力を貸して頂けませんか? おかあちゃんにも、娘にも、目の不自由な人・・・・・ 皆に辛い思いをさせたくないんです・・・・・ どうぞよろしくお願いします◯┐ペコリ |
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みんな心配してると思うので、手短かに報告します。 |

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みなさん、ありがとう。 |





