相場で失敗したというのは一般投資家たちは損してしまったということだろう。
私にとっては自分で決めたとおりに行動できなかったとき失敗したということになるだろう。 まずこの思考が一般投資家たちと違う部分でこのこともよく熟考してみてほしいと思うのだが、今回は失敗そのものに関して考えてみる。 私が自分で決めたとおりに行動できなかったとき、思うことは失敗してしまった〜何やってんだ私は!というようなことではない(笑) 何故私は自分で決めたとおりに行動できなかったのだろうか? ということを分析することに集中する。 それは前回の取引で大利を出して増長していて自分の考えにこだわってしまって決められて通りに手仕舞えなかったということがわかるかもしれないし、何か変な情報を見てそこで圧倒的可能性を論じる文章を見てしまい、それが頭に残っていて損切りするのが遅れたとわかるかもしれない。 いずれにせよ、そこにあるのは失敗した嗚呼駄目だと落胆する暇はない、そんなことに時間を一切使っていないということである。 失敗すればするほどますます私は投資家として成長する。 そうやって一つずつ失敗体験を精細に分析して、改善方法を考えて取り組み、次の取引に生かしていくことを丁寧に行っていく。 こういうふうに失敗を取り扱っていくと失敗はすでに失敗ではなく、将来の成功への糧となっているということになる。 私は失敗を失敗と考えてない。 失敗したとき、それはもう一段自分が成長できる材料を得たと考える。 相場はどうやっても失敗する瞬間が来てしまう場である。 そこで失敗したと落胆して終わってしまうのか、そこから何かを学ぼうとすることができるのか、ここに投資家の成否があると言ってよいのである(笑) |
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失敗から学ぶものは多いですね、ただ人間ですから同じことをつい繰り返してしまいます。これが翁との違いであり成功者の・・・・。
2017/5/16(火) 午前 6:59 [ のんびり行こうよ ] 返信する