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日本の政治はどうなっているのでしょうかね。相変わらず、といってしまえばおしまいですが・・・
民主党の永田議員の偽メール騒動で、自民党と民主党の足の引っ張り合いになってしまって、もっともっと議論をして解決しなければならない問題がマスクされてしまっています。永田議員の懲罰委員会どころの騒ぎではない筈でしょう。国会議員は他にやることたくさんあるでしょう。相手政党のあら捜しばかりしていて予算委員会を時間潰しで流してしまって、その間に上手く予算案を十分な討議もしないまま自民党の言いなりに通されてしまいました。こんなことを国会でやってもらうために国民は高い税金を払っている訳ではないでしょう。
1)姉歯設計、ヒューザーの建築耐震偽装問題、2)ホリエモン詐欺錬金術事件、3)防衛施設庁談合事件、などの大切な問題が、メール問題のドタバタ劇の間に「忘れやすく執念に乏しい日本人」の体質を上手く利用されて(誰が?米に?)、このまま蓋をされようとしています。マスコミももっともっと執念深く、毎日朝刊に書きたてて良いのに、と思っているのは私だけではないと思います。
すべてに共通するのは、「法の隙間をかいくぐって抜け道を作って明らかな犯罪とならなければ、また見つからなければ何をやっても良い、皆やっていることじゃないか、何で自分だけとやかく言われなきゃいけないんだ」、いう発想でしょう。それが根底にあるから、見つかったら言い訳して、言い訳が通用しなければ、法の問題、社会の問題、国の問題、と論点をすり替えているのでしょうね。今、自分はひょっとして悪いことやっているんじゃないか、という疑念、心の葛藤が全くないのでしょうか。最後は、ひとりひとりの道徳心とでもいうのでしょうか。昔は、10円玉拾っても交番に届けて、おまわりさんから良く届けたねと言われて、褒美に10円もらっていましたが、おまわりさんはこんなことに時間かけて、と思ったでしょうが、親切に対応してくれるおまわりさんも多かったように思います。
コンビニやデパートで万引きして見つからなければラッキー、見つかったら運が悪かった、ではすまされないでしょう。してはいけないこと、したら皆に迷惑をかけるからやめよう、と、どこに線を引くかを、自分で考えて答えを見つけさせるような教育を昔はしてもらっていたような気がしますが、気のせいでしょうか。人が悪いことしていたら自分も同じことをしても大丈夫、とは考えなかったように思います。やっぱり骨のある明治の人の考えに基づく骨のある教育方針だったのでしょうね。
ところで、今日も1人インフルエンザの患者さんが出ました。まだ流行は終わっていないようです。
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