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土曜日の夜はしっとり

今夜は小難しい事は置いといて。

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プアストレートアームにしてからSting聴いてなかったなあと気が付いたので取り出したのは愛聴盤Nothing Like The Sun。
説明不要な名盤ですよね。
名曲Englishman in NewYorkは勿論ですが、私が好きなのはFragileとSecret Marriageだったりします。

ここ数年ずっとストリーミングでばかり聴いてましたが、この盤はやっぱりLPがしっくり来ますね(^∇^)

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字から音は鳴るのか?

皆さんは普段どのように情報を収集しておられますか?

今はほとんどの方がネットとお答えになられるのではと思います。
私も2000年以降はほぼネットで調べ物をするようになりました。
それ以前はというと紙媒体や電波に乗って届く情報での収集が世間でも当たり前だったのではと思います。
なぜこのような事を書いてるのかと言うと先日SNSでこんな書き込みがあったのです。

「雑誌からは音は出ないもんな」

それを言っちゃあおしまいだよ! byドラえもん

私も運用しだして間無しのSNSなのですが、オーディオ関連のフォロワーさんの多くが「空気録音」と言うものに取り組んでおられます。
「空気録音」とはスピーカーから出る音をマイク(スマホ含む)で録音したものでして、フォロワーの方々のお使いの機器から流れ出る音楽を公開することで普段聴いている環境を共有できるという趣旨なのかと私は捉えています。
そうした実際に音を聴ける情報発信と雑誌を比較して出た言葉が上の決め台詞なのです。

同時にオーディオ雑誌に対しては別のSNSで立ち読みで十分だとか、広告を見るためのカタログだという始末でした。
ではなぜこのように雑誌は攻撃対象になるのでしょう?
理由はいくつか考えられます。

・旧態依然とした内容

これは雑誌のみならずTVにも言えることですが、それしか選択肢のなかった時代の体制体質のままこの多様な情報社会で漫然と運営してるなと感じる部分があります。
オーディオに限って言えば紙面を飾る機器の価格であったりそれを評論している方々の年齢層をみてもターゲットとしているのは50台以上である程度自由にお金を動かせるニッチ層なんだと思われます。
それだけではありません。どの雑誌を取ってみても広告にまみれ記事なのか宣伝なのかの見分けがつかないのが現状だと思います。
そうした状況を自らブレークスルーしていかない限り新たな層は掴めないのではないでしょうか?

・ネットで情報が見れてしまう

雑誌となるとお金を払って情報を買うという行為。それに比べてネットは基本タダで情報が手に入るわけです。そこでしか得られない情報でなければ対価を払ってまで手に入れたいとは思えません。
ネットも素人発信ばかりでなくプロがニッチな情報を平然と投げてくれているのです。私もかないまる氏やオーディオデザインのグログを読み漁った口です。
そして同じユーザー同士の情報の共有化や使い熟しプロセスの公開などは雑誌媒体には真似出来ないネットの特権でもあります。
雑誌が広告費である程度運営出来てしまうが故に、読み手だけを意識した紙面作りが出来ないのも原因ではないかと思われます。

では雑誌に良い部分はないのでしょうか?
各言う私はずっとステレオサウンドを年間購読していた人間なのです。


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初めて買ったオーディオ誌はSTEREOでした。
はっきり言いますが単純に安かったから。それだけです。以上。
次に手を出したのはオーディオアクセサリー誌(AA)。
これを買い出した頃、出てくる音に不満があってなんとかしたい!という思いとその手段がココには乗ってそうだという期待からでした。加えて言うならステサンより安かったから。
はっきり言います。私のオーディオ沼人生を築いてくれたのはこのAA誌だと今でも思っています。見やすいバーグラフで示した商品評価と意味不明な専門用語による追加注釈。それに釣られて新製品が出る度に買っては変えるを繰り返す正にオーディオ地獄の日々でした。

そんな私が一番高い雑誌、ステレオサウンド(SS誌)をわざわざ年間購読までするようになったのは何故か?上の2誌との大きな違いとして紙面から音楽が流れ出ていると感じたからなのです。
それに同価格帯の商品の比較視聴ではアンプやプレーヤー、時には設置方法による調整まで字に起しまるで私が一緒に視聴しているような感じる事が出来たのです。
ただSNがどうのf特がどうので済ます2誌とは全く別のジャンルの読み物として私は捉えたのです。そしてその雑誌から聴こえた音を信じて買ったスピーカーはまさに記事から流れ出てくる音楽を我が家で奏でてくれたのです。

たしかに雑誌からは実際に音は出ない。しかし音楽は見ることは出来ると思うんです。
それを否定するは容易いことです。ですが、紙面にしか出せない世界があるのも事実だと思うのです。
小説からの映画化。漫画からの映画化、ドラマ化。たしかに声も色も景色も見ることが出来るようになります。しかし、私は大概の映像化作品に関して平坦化してしうと感じてしまうのです。特に日本の作品はいただけない。「はぃっ!ここが感動する所ですよ!」と見ている側に裁量を持たせてくれない作り方が多すぎるのです。これでは観ているのか観させられているのか?観覧している者の立ち位置すらわからなくなってしまうのです。
こと音楽になると、クラシックは楽器による演奏のみで作品の世界感を作り出してたのが、今やMVやライブ映像を観る事ができる時代です。ではクラシック作品は「観れない」から映像付き作品に劣るのでしょうか?
私も好きなアーティストのライブ映像を観ることはありますが、その場合は意識が映像にいってて音楽への注意は音楽のみを聴いてる時より低めだと思います。
音楽には音楽の、映像には映像の良い所がお互いに存在していると思うのです。

雑誌に関しては手放しで褒めることは出来ません。有料媒体である以上、せめてタダで手に入る情報を越えなければならず、またそれを実現化するには書き手が常に上位にマウンティングしていなければ成立しません。
ここ2年ほどSS誌を購読していない理由は実はネットワーク関連の記事を読む度に最先端の情報どころか時代遅れで間違いだらけの情報を平然と掲載していたからなのです。
ことネットワーク再生やPCオーディオの世界はまだまだ日進月歩の世界です。
紙面のみならずネットでも情報が乱立しコレといったメソッドが確立していないのも事実です。
せめてネットと紙面は切磋琢磨し合いお互いを高めていく関係性を築いていかねば、私は再び雑誌を手に取ることはないと思います。

私が尊敬するオーディオファイルの方は私より年下ですが、固定概念を持たずひたすら実験と考察を続けておられます。
新しい物が何でも古い物より優れているとは限りません。そのまた逆もしかり。
雑誌と言うもののあり方すら一度解体して再構築する意気込みがなければ平成の次の時代を生き残ることは難しいのではと私は思います。

それでもお金を払ってでも買いたい!と思わせる紙面を待ち望んでいるのは私だけでしょうか?


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過去に自分のした行為に後ろめたさを感じている事はございませんか?

身から出た錆という言葉がございます。
不可抗力で物事に巻き込まれる事も勿論ありますが、大抵の事象は己の言動からの反発反応であると40年足らず生きてきて感じた事です。


昨年末に新居が完成し念願の自室を持つ事が出来ました。
人に自慢出来る程の広さも機器も持っていませんが、趣味を持つ者にとって好きな事を好きなように出来る空間を確保する事は自分の城を持つ事と同様夢の1つだと捉えています。

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懇意にしているショップの方に助言いただき、石膏ボード二枚重ねの簡易防音を施し屋内配線とアース対策位の事は予算内で施工して頂けました。
ただ、想像以上に音の鳴きが酷い部屋となり、否応無くこれと付き合わなければならない事を思い知ります。

思い描いた理想を実行に移し、縦置き配置で設置してみるも、あまりにもの部屋の癖の強さに辟易し、すぐさま横置き配置に転換。そうすると考えていたのとかけ離れた位置への設置となりケーブルも足りなくなります。

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以前にも書きましたが、私は数年前からラダー型ケーブルを使用しています。高校以来この趣味を続けてきて増えたのは経験よりむしろケーブルやアクセサリーの類ばかり。そこで分かった事はどれもそれぞれに固有の音が存在しているという事。
記事やショップのレビューで癖なく使いやすいと謳われた物でも実際に聴いてみるとそのケーブルやアクセサリー独自の音世界があるのです。寧ろそれを否定してしまってはその商品の存在価値はなくなってしまうはずなのである。
詰まる所オーディオという趣味は自分の好きな音楽を好きなように聴く事であって、コンペティションするものではないのである。
ケーブルを変える事で音が変わるという経験のない方には御理解頂けないかも知れませんが、少なからずケーブルやアクセサリーを買う、使う理由は音を変えたいのが理由のはずです。
ところが、大概の方が何故かこれは癖がない!フラットだ!と言いたがるのです。

癖があってもフラットでなくても好きな音が出るならそれで良くはありませんか?

さて、そんな大層な事を吹いておきながら、ラダー型は嫌な音がしないと感じています。それが作ってまで使う1番の理由です。あとは、作れば格安である事。ん?こっちが1番かも。


配置替えを済ませ、せっせと作った新作ラダー型ケーブルの結線をし音を出すも中域に少し癖を感じてしまいます。
ラダーを使ってからエージングの効果をあまり感じていなかったのですが、時間が解決をしてくれるのだという淡い期待を込めて2週間ただ音楽を聴き続けて来ました。
が、その期待も虚しく癖は残り続けるまま。一度気になったものは輪をかけて気に触るものです。この原因、実は気付き始めていたのです。

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ネットで良いと噂のFurutechのNCF。ずっと気になっていたので、この期に!と手を出したのです。ところが、このNCF、ロジウムメッキの物しか選べないのです。
過去にFI-25のロジウムに手を出して痛い目にあった経験が頭をよぎったのですが、NCFはそんな声を聞かなかったので安心していたのです。ですが、私の環境下では結果は同じでした。今回箱の隅で眠っていたFI-25を引っ張り出してきて繋いでみたら更に強烈な高域の癖にアングリしてしまいました。
ダメ出しばかりのロジウムメッキですが、優位な点があるなと感じたのも事実です。
それは静けさの演出力。私の感覚ですが、ハイエンドな空気感をあっさり出してくれるのです。

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私はやはり癖に耐えきれず無メッキプラグに戻してしまいます。途端に耳当たりの良さを取り戻すのです。やはり私はこの音調が好きなのだなぁと今回の件で再確認出来ました。
と同時に失ってしまった物があるのも事実です。圧倒的な空気感、音の粒子すら感じられるような精細さ。あぁ、これが好きな人には堪らないんだろうなぁと。

分かっていてもつい踏み込んでしまう瞬間は誰にでも訪れるものです。その一線を越える事で得られる物もあれば失うものもある。
私はこの葛藤を楽しんでいる。それもまた趣味の世界なのかも知れない。

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魔法のハシゴ

オーディオを趣味とする方でケーブルに拘りのない方の方が少ないのではないでしょうか?

専門誌が発刊するほどオーディオアクセサリーは大きなマーケットを展開しています。本体のオーディオ機器よりも大きかったりして?何て想像すらしてしまいます。

私もかなり前から某雑誌を読んではオススメの品を買ってはまた次の〜と言う泥沼にドップリ浸かり切った口の人間です。
ロジウムメッキのコンセント、マグネシウムシールドケーブル、ナノコロイドケーブルと流行り物には一通り手を出したでしょうか?

しかし、あっち立てればこっちが立たず。一向に見えない出口に苛立ちを感じるようになったのが10年程前でした。

当時DENONからLINNにスイッチしたことあもあって、使っていたKimberの電源ケーブルから違う物にしようとネットで情報を集めていた時に見つけたのがラダー型ケーブルでした。

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当時ケーブルは買って試してが当たり前だったのですが、ラダー型で特許をもつマルチョウエンジニアリングは貸出し視聴をさせてくれると言うのです。
物は試しと視聴を申し込みその音に衝撃を受けます。

力みが消えて広がる音場と帯域

見た目の華奢さとのギャップにも閉口しますが、何より嫌な音がしないのです。
早速タップ用とアンプ用の2本を導入しました。

視聴は同時に甘い罠も仕掛けられていました。
欲しかったのは電源ケーブルなのですが、視聴の際に送ってきたのは電源だけでなくRCAとスピーカーケーブルもセットだったのです。怖いもの見たさというヤツでしょうか?欲しくもないスピーカーケーブルも結線して聴いてしまったのです。

聴くんじゃなかった・・・

当時スピーカーには某店が太鼓判を押していたQEDのケーブルを繋いでいたのですが、もう全くの別物でした。
出て来る帯域バランスは大きく変わりませんでしたが、押し引きのバランスがとても良いと感じたのです。
そう、音楽が清水の様に流れ出て来るイメージです。

悲しいかな、お小遣い制の旦那には一気に突き進む余力はございません。
元のQEDに差し替えて流れる一本調子で平坦な音楽像に、自分の人生を重ねて仕舞います。

無いなら作れ、頭と手足を動かすのはタダ同然!

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最初に作ったラダー型スピーカーケーブルは1.5m8段の物でした。まだ手順も分からず道具も手持ちの物で作ったので丸3日掛かって仕上げました。
自作とは言え出て来る音は正に自然体。
味を占めてその後アレコレ作り続けて今では3m27段の超大作を使用しています。
たまに昔使っていたケーブルを引っ張り出しては繋いでみますが、今聴いても当時感じた音楽の清水はこのケーブルだけが持ちうる特許なのだと確信してしまいます。

オーディオはそれを使う人の音楽観を映し出す鏡でもあります。聴く音楽も違えば聴き方、好みのバランスも様々。十人十色なまさに音の万華鏡です。

私にはすっと心に染み込んで来るこの傾向の音が好きなのです。
同時に私はこのハシゴ型ケーブルに魔法をかけられてしまっているのかも知れない。

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名曲前夜

私が音楽に興味を持つキッカケはゲームからでした。
Final Fantasyのサントラは小学生の頃から買っていたのですが、ある時買ったCDは少し毛色の違う物でした。

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ベストの言葉に釣られて買ったCDは俗に言うリミックス集だったのです。
初めはヤラレた〜と思ったのですが、聴きだすと元のゲーム音楽よりむしろこちらの方がしっくりくるようになったのです。

私は当時の中学生男子としては変わった方だと自認していました。と言うのも音楽の授業が好きで特に月一の音楽鑑賞を待ち焦がれていたのです。
他の男子生徒はというと教室の後ろでキャッチボールしたり寝たりというのが大半でした。
誰もが知る名曲を先生の解説を基に聴くというもの。モルダウや魔王、メンコンなどは特に覚えています。

そんな私に転機が訪れたのは中学3年の夏でした。
音楽好きな友人Uが作ってくれたヒットソング集、勿論当時ですからカセットテープの中に入っていた一曲。The Yellow Monkeyの追憶のマーメイドでした。

私は勿論イエモンの名前すら知らず、正に誰やねん状態でしたが、そのストレートなロックサウンドにイチコロだったのです。
Uの影響でカウントダウンTVを見だしたのもこの頃でした。
その夏に出た新曲、太陽が燃えているが大ヒット。多くの方に知られるバンドとなって行きます。その後少し傾向を変えて出したJAMが彼等の代表曲なんだと思います。

しかし、当の私には未だにピンと来ないのです。
妻とも良く話すのですが、大ヒットした曲の前夜、その前の作品の方が良いと感じることが多いのです。

このイエモンで言うJAMの前の追憶のマーメイド。
GLAYはBelovedの前のグロリアス、Yes.Summerdays。
ミスチルはイノセントワールドの前のCross Road。


一時どこもかしこもベスト集ばかり出している時がありました。最近の音楽番組でも時代別ヒットチャートの特集。
確かに売れた曲には力のある曲ばかりです。ですが、そのヒットに至る過程にも隠れた名曲がまだまだ潜んでいるのです。

私の音楽探しの秘訣は大ヒット曲のちょっと前を聴いてみる!これが意外と当たるのです。


ちなみにイエモンの吉井和哉はある日音楽プロデューサーが持ち込んだBOSEのデッキから流れてきた自分達のCDの音の悪さに愕然としてしまいます。同時にオーディオに開眼し、ソロ名義をYoshiLovinsonと名付けるほど嵌って行きます。

イエモン名義で最後のアルバム"8"はそれまでの作品とは明らかにサウンドプロダクションが改善されているのはそのせいなんだと思います。
とは言え、日本の音楽シーンは相変わらず極端な音質の物が多いと感じるのは私だけでしょうか?

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