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   2019年 4月 17日 (水)  
 
     [今日の情報・歳時記・催し・話題・出来事]

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★稲荷大神が年に一度、氏子地域を巡行する広くご神徳を垂れたまう大社最重要の祭儀です。
神幸祭神事の後、神輿・神官・楽人を乗せたトラックが本社を出発。
東寺付近の御旅所まで向かい、練り廻しや差し上げを行います。
「お還り」の五月三日還幸祭まで東寺東門に神輿が駐興し東寺での神饌を受けます。

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★浄土真宗中興の祖・蓮如(一四一五〜九九年)の肖像画「御影」とともに、真宗大谷派本山・東本願寺から福井県あわら市・吉崎別院まで往復五百二十㌔ある全行程を歩いて往復する恒例行事「蓮如上人御影道中」の一行が四月十七日、東本願寺を出発した。
蓮如(一四一五〜九九)が他宗から迫害され、一四七一年、京都を追われ越前・吉崎を拠点に教化した苦労をしのぶとともに、その遺徳を伝えるため、吉崎別院で毎年二十三日から営まれる法要に合わせて一七五二(宝暦二)年(約二百五十余年前)から続く伝統行事。 今回で三百四十二回目を数える。
今年は引率役の僧侶一人と供奉人(ぐぶにん)と呼ばれる門信徒の八人計九人が、東本願寺の大寝殿で「御下向(ごげこう)式」が営まれ、御影が輿に納められた後、リヤカーに載せて「蓮如上人さま、東本願寺をおたーちー」のかけ声を合図に一般参加者も随行、約三十人が台車を引き始め、福井県に向けてお寺を出発した。
滋賀県湖西地域を経て二十三日に吉崎別院に到着。往路は琵琶湖西岸など約二百四十㌔を一週間かけて歩き、蓮如上人御忌法要の後、別の僧侶や門信徒たちが五月二日に吉崎を発ち、復路は琵琶湖東岸沿い湖北、湖東地域を通って五月九日に御影が東本願寺に戻る。


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   2019年 4月 14日 (日)
  
     [今日の情報・歳時記・催し・話題・出来事]

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★北区・今宮神社の摂社・疫社の祭礼「やすらい祭」は、毎年四月第二日曜日(今年は十四日)に今宮神社・玄武神社・川上大神宮の賀茂の三神社で一斉に行われる。
やすらい祭は桜の花を愛で、落花を惜しんで、病魔を退散させ、五穀豊穣を祈願する花鎮めの祭礼。紫野や上賀茂地域で民衆の平安を祈る。

平安時代、花の散る頃に疫病がはやり、これは疫神が花とともに飛散するためと信じて花の精を鎮め、無病息災を祈願したことに始まる、「やすらい花」とも呼ばれる。
京都三大奇祭の一つで、鬼を従えた行列が、笛や太鼓の音に併せて踊り歩く。
「いんやすらい花や」「ヨーホイ」の掛け声とともに、赤熊(しゃぐま)を振り乱して鬼たちが舞います。そして、笛、鉦、太鼓にあわせて行装の一団が囃し、花に宿る精霊が悪霊を誘いだし朱色の花傘(風流傘)に閉じ込めながら各町内を練り歩きます。
この傘に入ると魔よけになるといわれ、一年の無病息災を願った。

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★球技の神様として知られ、蹴鞠や和歌の宗家飛鳥井家の別邸があったところで、守護神である精大明神を境内末社の地主神に祀っている上京区の白峯神宮で四月十四日、春の例祭「淳仁天皇祭」が催され、神事と舞楽奉納の後、桜の花びらが舞い散る境内で、烏帽子姿と着物姿の蹴鞠保存会のメンバーにより、威勢の良いかけ声を出しながら、右足で白いまりを蹴り蹴鞠を披露する。 同宮に祀られている淳仁天皇(七三三〜七六五)の命日に毎年開催されている。      
§蹴鞠について§                   
日清戦争の際、広島の大本営で京都在住の公家が明治天皇に蹴鞠を披露した。その後、天皇から蹴鞠を保存せよとの御下賜があり、明治三十六(1903)年に蹴鞠保存会が出来た(今年で創立百十六年目)。雅な王朝風の遊戯であり、サッカーの元祖とも言われる。  

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蹴鞠の歴史は、約千四百年ほど前に中国から仏教とともに日本に伝わった。鎌倉時代には後鳥羽天皇のバックアップもあり、「蹴鞠道」として出来上がった。     
公家は「歌鞠両道」といって、和歌と共に蹴鞠は必要条件だった。蹴鞠は勝ち負けがないのが特徴で、使うのは右足だけで、ひざを曲げず、靴を地面に擦るようにして蹴る。鞠を受けたら三回目に上半身は動かさずに相手に渡すのが基本。 蹴鞠の際の掛け声「アリ」・「ヤウ」・「オウ」の意味は神様の名前を呼んで応援を請うている。アリは夏安林、ヤウは春陽花、オウは秋園。鞠の製法は裏返しにした二枚の鹿皮を、馬の背皮で縫い合わせている。蹴鞠を行う庭は約十五㍍四方の大きさで、四隅に掛かり木があり、神様が宿っているとされ、鞠庭に入るのは、神仏に祈るような心境。装束にも特色があり、装束や烏帽子は位によって色や形が違う。袴は張りがある葛で作られる。鞠靴は革の靴と足袋をくっつけ形で、脱げにくい。
※「逸 話」 蹴鞠で脱げた中大兄王子の靴を藤原鎌足が拾ったことで二人が接近し、六四五年の大化の改新につながったと言われる。

                
  2019年 4月 16日 (火)   

     [京 の 季 節 の 花 だ よ り]

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★約三千株が咲き誇る関西随一の山吹の名所、西京区・松尾大社では、境内を彩るヤマブキが早くも満開となった。四月十日から「山吹まつり」が始まった。五月五日までの期間中、各種のイベントが行われる。 お酒の神さまと親しまれている大社は新緑の木々と共に境内には一重や八重咲きやシロヤマブ木など三種類、計約三千本のヤマブキがある。   境内を流れる一の井川沿いでは、黄金色の八重の花が鈴なりにしだれるように咲き、かすかな甘い香りを漂わせている。 この時期は境内の小川では、風に舞う桜の花びらがゆったりと流れる中、川辺で咲く黄金色のヤマブキとのコントラストが優美な情景で美しい。四月十一日、十二日の両日の午後六時から九時まで一の川沿いの山吹と名園「蓬莱の庭」がライトアップされ、無数の花が夕闇の中に照らされ、川面にゆらめく。杯殿にて奉納演奏が行われる。    
  

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   2019年 4月 14日 (日)   

     [今日の情報・歳時記・催し・話題・出来事]

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★北区・上賀茂神社で四月十四日、優雅な雰囲気の中で行われる、平安時代の雅の世界を再現する「賀茂曲水宴」が催される。
曲水宴の起源は中国・周代で、もともと三月の「上巳日」に水辺に出てみそぎ・はらいを行ったとされる。
曲水宴は、中国から伝わり、平安時代に宮中や貴族の間で盛んになった
上賀茂神社でも一一八二(寿永元)年に初めて行われた。
約五百坪の美しい庭園・渉渓園での宴は、平安の雅びを今に伝える。
平成六年皇太子殿下御成婚・平安建都千二百年・上賀茂神社第四十一回式年遷宮の際、奉祝記念事業として「賀茂曲水宴」が復活した。
境内の庭園「渉渓園」を流れる小川の流れに合わせて即興で和歌を詠む
始めに昨年、斎王代を務めた女性が今年の歌題を発表。
続いて、衣冠や華やかな女房装束に身を包んだ、六人の歌人が、鳥型の杯「羽觴(はしょう)」が小川を流れる間に、歌を短冊にしたためた。
雅楽が流れ、香をくゆらせた庭園で繰り広げられる優雅な遊び。冷泉家時雨亭文庫の披講や裏千家による野点席が設けられる。
『かもぜんざい』の無料接待がある。(なくなり次第終了) 

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★満開の桜のなか江戸時代初期に名をはせた京都島原の名妓として名高い・二代目吉野太夫をしのぶ「花供養」が四月十四日、北区・常照寺で営まれた。
約三百㍍離れた源光庵前から午前十時二十分に出発して吉野太夫の墓のある常照寺までを、鼈甲のかんざしに赤い着物を身に付けた三人の島原太夫たちが、禿とともに傘持ちなどを従え、高下駄を履き「内八文字」という独特の歩き方で優雅に進む、華やかな太夫道中が行われ、吉野太夫の墓に詣でる。参道の両脇を埋め尽くす吉野桜が見もの。
境内では、太夫による野点席をはじめ煎茶などの茶席が設けられ、舞や胡弓の演奏など諸芸能が奉納される。
二代目吉野太夫は、島原の前身である六条三筋町の太夫で、書画や和歌など文芸に秀で、「寛永の三名伎」の一人とうたわれた。信仰心が厚く、常照寺を開いた寂照院日乾上人に帰依した。多額の私財を投じて「吉野門・赤門」と呼ばれる朱塗りの山門を寄進したことから、毎年この時期に営まれている。

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★伏見区の真言宗醍醐派総本山・醍醐寺で毎年四月第二日曜日(今年は十四日)、豊臣秀吉の「醍醐の花見」にちなんだ「豊太閤花見行列」が行われる。
醍醐は平安時代から桜の名所で知られ、世界文化遺産の醍醐寺境内には千本の桜が咲き誇る。
慶長三(一五九八)年春三月十五日に、畿内から七百本の桜を集めて植え、三宝院の建物と庭園を造り、盛大な宴を開いた。
豊臣秀吉が秀頼や北政所や淀君、諸大名ら総勢一〇〇〇人を集めて、盛大な花見の宴を開いた故事をもとに、当時の威容の再現を、と一九五一年から始まった恒例行事。
太閤役を先頭に、桃山時代の装束をまとった約二百人の行列が、三宝院唐門を出発、ほら貝などの音色に合わせながら、桜の馬場の桜並木など約一千本が咲き競う境内を金堂なでをゆっくりと練り歩き、特設舞台の舞樂・狂言の観賞や野点を楽しむなど、桃山時代の花見絵巻を今に甦らせる。

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★東山・清水寺舞台の北隣にある恋の神様・地主神社では、四月十四日(日)縁結びを祈願する恒例の春の行事、古来より謡曲や詩歌などで知られた地主権現の「さくら祭」が開かれる。
また有名な一本の木に一重、八重の両方の花を咲かせる「地主桜」は、平安時代に嵯峨天皇がその美しさに車を戻して眺めたという故事から、「お車返しの桜」とも言われる。
明治時代初期に枯れ、いったん途絶えたとされるが、一九六二年に同神社に再び移植され、毎年花を付けている。付近では最も遅く開花し、黄桜と共に見応え充分です。
平安時代にちなんだ神事では、本殿に白川女姿による地主桜の枝の献花・献茶や、地主桜を題材にした謡曲「田村」「熊野」の奉納後、俳句の朗詠や縁結び祈願などが行われます。参拝者全員に平和開運御守りが無料で配布されます。



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   2019年 4月 13日 (土)  
    [京 の 季 節 の 花 だ よ り]

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★遅咲きで知られる御室桜が、右京区御室の仁和寺で見頃を迎えている。多くの参拝者が訪れ、春のうららかな日差しに照らされた低木の桜をめでていた。
御室桜は境内中央部の観音堂南側に植えられている桜の総称。一帯には白やピンクなどさまざまな色の花を付ける高さ二〜四メートルの木が約二〇〇本ある。京都市内のソメイヨシノが散り始めると咲くことで知られる。 例年より早く、七日に開花した。今年は観音堂西側に高さ約三メートルの展望台「御室華舞台」が設置されており、参拝者は長い行列をつくって順番に展望台に登り、いつもの年とは異なる眺めを写真に収めていた。

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   2019年 4 月 12 日(金)

     [今日の情報・歳時記・催し・話題・出来事]

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★伏見稲荷大社で豊作を祈る水口播種祭が行われた。
桜の花びらが浮かぶ神田に、すげがさにあかねだすきの早乙女姿の人たちが種もみをまいた。境内北側にある広さ約三三〇平方メートルの神田の一角で行われた。
信者の男女約二〇人が、神楽の演奏される中、桜の花びらが浮かぶ水面に種もみをまいていった。この種もみから育った苗を、六月の田植祭で植え、十月の抜穂祭では約一五〇㌔のコメの収穫を見込んでいる。

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★嵯峨御所とも呼ばれる真言宗大覚寺派大本山の門跡寺院です。 門跡が華道嵯峨流の家元だったことから、嵯峨天皇の命日十五日にいけばな嵯峨流最大の祭典「嵯峨天皇奉献 華道祭」法要献花が行われる。
門跡ほか緋袴に身を包んだ女性達が菊を手に行列します。境内に展示される多数の生花も必見。
数多くのいけばなを展示する華展をはじめ、年に二回しか行われない大沢池の「龍頭鷁首舟」、平安絵巻さながらの献華式やお茶席、各種法会など、優雅なたたずまいのなか繰り広げられます。
茶席や模擬店も出て、たいそう賑やかです。  

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★数え年十三歳を迎える子どもたちの健やかな成長を祈願する「十三まいり」(京都織物卸商業組合主催)が十三日、西京区嵐山の虚空蔵法輪寺であった。
春の陽気の下で着物姿の子どもたちが家族とともに参拝し、学業成就などを願った。
十三まいりは、知恵を授ける虚空蔵菩薩(ぼさつ)にお参りする行事。
頂いた知恵をなくさないよう、帰りの渡月橋では振り返らずに渡りきらなければならない、との言い伝えがある。
十三参りの始まりは、空海が室戸岬の洞窟(御厨人窟)に籠もって虚空蔵求聞持法を修したことにより飛躍的に記憶力が増したことから、数え年十三歳を迎えた(少年は昔の元服時期にあたり、少女は個人差はありますが、初潮を迎える時期に合致。)少年・少女が、これまで健やかに成長できたことへの感謝とともに、これから益々知恵と福徳を授かる為に、広大な宇宙のような無限の智恵と慈悲を持った菩薩(虚空蔵菩薩)に参拝する行事です。虚空菩薩とは、十三番目に誕生した智恵と福徳を司る菩薩と言われています。別名:知恵詣り・智恵もらいとも呼ばれています。
春:三月十三日から五月十三日(四月十三日を中日とした一月間)
秋:一〇月から十一月


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