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福一以前より何も変わらぬ醜悪極まりないこの国のリアル。清志郎が歌っていたように、もう誰にも止められないのか。
東京新聞 2013.9.24 掲載 「こちら特報部」 カネミ油症事件 阻まれる救済 の転載です。 関連情報 九州朝日放送 カネミ油症 - KBCが追った44年の記録 - http://www.kbc.co.jp/tv/kanemi/ ↓上記サイトのイントロダクションより転記 「美容と健康にいい」 そんな宣伝文句で売られていた米ぬか油。 その油には猛毒のダイオキシン類が含まれていた。 44年前、福岡県を中心とする西日本一帯で起きたカネミ油症事件。 吹き出物、手足のしびれ、肝機能障害、骨の変形、永久歯の欠落、大量の脱毛、そしてがん・・・。 根本的な治療法もない中、猛毒は44年がたった今もなお被害者たちを苦しめる。さらに被害は子や孫の世代までにも忍び寄る・・・。 人類史上初めてダイオキシン類を直接口にしたカネミ油症事件。 KBCはこのカネミ油症事件を発覚から44年にわたり追い続けてきました。 被害者の心と体の痛み、救済への悲痛な訴え・・・。 これまでに制作したドキュメンタリーは11本に上ります。 KBCが追ったカネミ油症44年の記録です。 カネミ倉庫はすべての判決で賠償金の支払いを命じられたが、これを完全には履行しないまま現在に至っている。
その債務は2006 年現在、原告1 人当たり約500 万円、元本と利息をあわせて約206 億円にのぼる(五島市職員労働組合 2010)。 体調不良による収入の減少と医療費負担の増大によって多くの被害者が経済的困窮に陥っているにもかかわらず、このような債務不履行が甘受されている理由は、カネミ倉庫の資力不足にある。 カネミ倉庫は年商15 億円の赤字経営の中小企業であるがゆえ、賠償金を支払えば倒産してしまい、これまで患者に支払ってきた医療費も支払えなくなると主張したのである(カネミ油症事件原告団・カネミ油症事件弁護団 1984: 10)。 被害者は公的補償を得られる当てもなく、国に救済を求めることもできず、カネミ倉庫の主張を受け入れざるを得なかった。 detail.chiebukuro.yahoo.co.jp > ... > ニュース、事件 - キャッシュ
(1) カネミ倉庫はライスオイルの製造業者として、カネカはわが国で初めてPCBの生産を始めた化学企業として食品 ... (2) カネミ倉庫とカネカは賠償しました。1968年当時はそれによって、会社を倒産させるほどの影響を及ぼせなかった。 detail.chiebukuro.yahoo.co.jp > ... > ニュース、事件 - キャッシュ
カネミ倉庫は賠償金を支払いました。 訴訟ではカネミ倉庫・鐘淵化学工業・日本政府の三者が訴追を受け、 いったんは三者とも賠償金を支払いました。 しかし最終審では政府だけが逆転勝訴し、既に支払った賠償金の返還を要求しました。 www.nikkei.com/.../DGXNASDG21057_R20C13A3CC... - キャッシュ
1968年に西日本一帯で起きた食品公害「カネミ油症」の認定患者55人(うち4人は死亡)が原因企業のカネミ倉庫(北九州市)に計6億500万円(1人当たり1100万円)の損害賠償を求めた訴訟の判決が21日、福岡地裁小倉支部であった。 www.kaburitsuki.com > ... > 食・フード - キャッシュ
中国の地溝油(下水から作る食用油)が話題になっていたとき、「カネミ油症事件」のことを思い出した。 どれぐらいの人々が ... 1969年、カネミ倉庫・PCBを製造した鐘淵化学工業・国の3者を相手取って賠償請求訴訟を起こした。 原告は1985年 ... カネミ油症事件における「補償制度」の特異性と欠陥 - J-Stage(Adobe PDF)www.jstage.jst.go.jp/article/jsr/63/1/63_53/_pdf
まず,カネミ油症の被害に対する補償の現状を検討すると,類似する被害を. もつ他の ... 油症(以下,油症)とは,カネミ倉庫株式会社(以下,カネミ倉庫)が製造した米. ぬか油を ..... カネミ倉庫は,過去の訴訟で被害者に敗訴し,賠償金の支払いを命じられたが,. rkb.jp/move/contents/20130623.html - キャッシュ
油を加熱する為に使っていた化学物質「PCB」がパイプから漏れ出して混入。西日本一帯で、油を口にした1万4千人以上が、皮膚・爪・目・内臓…全身に及ぶ異常を訴えた「 カネミ油症事件」。加害企業となったカネミ倉庫は「賠償金を支払う余裕 ... dennjiha.org/?page_id=7685 - キャッシュ
内容は、1審同様に加害企業カネミ倉庫の責任は認めていますが、「除斥(じょせき) 期間」が経過しているので、原告の請求権は消滅しているとしま ... そこで2008年に「一人当たり1100万円の賠償金を求める」新認定被害者損害賠償訴訟が提起されたのです。 mainichi.jp/articles/20170607/ddp/041/040/027000c
猛毒ダイオキシンが原因物質の国内最大の食品公害・カネミ油症事件は来年、発生から50年を迎える。1968年10 ... 被害者らは、カネミ倉庫や国などを相手に損害賠償 請求訴訟を起こし、福岡高裁は84年3月に国の責任を初めて認めた。 blog.goo.ne.jp/.../e16bc2575373f87c068ba539b4c708... - キャッシュ
そのため、原告団は苦悩の中で、敗訴の判決を得るよりも訴訟以前の段階に戻す方が良いということで、1989年に訴訟取り下げに踏み切った。その結果、仮払金の返金義務が生じてしまった。しかしカネミ倉庫からはまとまった賠償金が支払わ ... カネミ油症 カネミ倉庫 賠償金に関するQ&A(2件)-Yahoo!知恵袋Q.A.Q.A.
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カネミ油症、患者側の敗訴確定 最高裁が上告棄却2015年6月3日
1960年代に起きた食品公害「カネミ油症」に認定された患者ら54人が、原因企業の「カネミ倉庫」(北九州市)などに損害賠償を求めた訴訟で、最高裁第三小法廷(木内道祥裁判長)は患者らの上告を退ける決定を出した。2日付。不法行為から20年で損害賠償を求める権利を失う「除斥期間」が過ぎているとして訴えを退けた二審・福岡高裁判決を支持。患者側の敗訴が確定した。
訴えていた患者らの多くは、新たな認定基準が適用された2004年以降に認定された。患者側は「認定を受けないと国の被害実態調査の対象にもならず、救済を要求することは現実的に不可能だった」と主張。認定された時点から除斥期間が始まるとみなすべきで、損害賠償を求める権利があると訴えていた。
14年の二審判決は、「カネミ油症が、症状が進行したり、一定の潜伏期間の後に症状が出たりするとは認められない」と判断。患者らが遅くとも69年12月にはカネミ油を口にしており、その時から20年が経過した時点で除斥期間が過ぎていると結論づけた。
カネミ油症患者に検診手帳 厚労省が支援策カネミ油症患者に検診手帳 厚労省が支援策
厚生労働省は24日、1960年代に西日本一帯で起きた食品公害・カネミ油症の患者に「検診手帳」を配布するなど新たな支援策を2016年度から実施すると明らかにした。福岡市で開かれた国、患者団体、原因企業カネミ倉庫(北九州市)による三者協議の場で示した。
患者側は国とカネミ倉庫が給付する年計24万円の支援金の増額を求めているが、厚労省は「非常に難しい要望」として否定的な見解を示した。
手帳は、皮膚疾患などを診察する定期検診時の症状を記録することで、長期的な体調管理に役立ててもらう狙い。ほかに広島、福岡、長崎3県に配置している相談専門員を他県にも置き、相談態勢を強化。漢方薬を使った治療開発の臨床研究も推進する。
カネミ油症は、カネミ倉庫製造の食用米ぬか油にポリ塩化ビフェニール(PCB)やダイオキシン類が混入し、油を使った料理を食べた人々が全身の吹き出物や内臓疾患などの症状を訴えた。〔共同〕
http://www.kbc.co.jp/tv/kanemi/image/midashi_outline.gif概要 1968年、北九州市に本社を置くカネミ倉庫が製造した食用の米ぬか油を食べた西日本一帯の1万4000人以上が吹き出物や内臓の疾患、がんなどの被害を訴えた。
原因は油に含まれた猛毒のダイオキシン類。患者の症状は44年がたった今も続く。認定患者は2012年3月末現在、1966人(うち死亡者数596人)にのぼる。
被害の発覚 カネミ油症事件は1968年(昭和43年)10月10日、朝日新聞が「正体不明の奇病続出」と第一報を報じたのが発覚の発端だった。西日本各地で吹き出物や手足のしびれ、倦怠感などの健康被害を訴え出る人が相次いだのである。
原因は北九州市に本社を置くカネミ倉庫の米ぬか油「カネミライスオイル」。被害は福岡県を中心に西日本一帯に及び、1万4000人以上が被害を訴え出る「国内最大の食品公害」となった。
人類初のダイオキシン類による食中毒被害 中毒の原因は当初、油の臭みを取る工程の熱媒体として使われた有機塩素化合物PCB(ポリ塩化ビフェ二ール)とされ、患者の症状は次第に軽減されると考えられていた。
しかし1974年、油にはPCBが加熱されることで変性した猛毒のダイオキシン類、PCDF(ポリ塩化ジベンゾフラン)が主な原因物質であることが判明する。2001年には国もダイオキシン類が主原因であることを認め、カネミ油症事件は「人類が初めてダイオキシン類を直接口から食べた」事件であることが明らかとなった。
患者の症状 ダイオキシン類はベトナム戦争(1960年〜1975年)でアメリカ軍が使用した「枯葉剤」にも含まれていたことで知られる。症状は吹き出物などの皮膚症状や手足の痺れといったものから、肝機能障害、骨の変形、歯の異常や頭髪の脱毛、流産、がんに至るまで全身の多岐に及び、カネミ油症は「病気のデパート」とも言われる。
これまで多くの被害者たちが、がんなどを発症し、死亡している。ダイオキシン類は体内での残留性が高いことでも知られており、患者たちの症状は44年がたった今も続いているのが現状である。 次世代被害 ダイオキシン類の大きな特徴の1つは被害が子や孫の世代に引き継がれることである。事件発生当時には油を食べた女性患者から皮膚の色が黒ずんだ「黒い赤ちゃん」が生まれるケースが数多く報告され、社会に大きな衝撃を与えた。
2010年5月、国は認定患者を対象に実施した健康実態調査の結果を公表したが、子供、もしくは孫に「吹き出物がある」、「疲れやすい」などといった被害を訴える患者が調査対象者ののべ半数以上に及んでいる。
差別と偏見 カネミ油症の根本的な治療法は今も見つかっていない。また「黒い赤ちゃん」など被害が次世代に引き継がれていく懸念などから患者たちは事件発生当初から結婚や就職などで激しい差別や偏見に見舞われた。患者たちは次第に被害について口をつぐむようになり、毎年一部の自治体で実施される油症検診すら受診しない患者が相次ぐようになるなど、被害の実態把握は大きく遅れた。
また患者の多くが家庭の食卓でカネミ油を食べたケースが多いことから、家族ぐるみで油症の症状に苦しみ、働けなくなったり、医療費がかさむなどして生活困窮に陥るケースが相次いだ。
未認定問題と認定基準 2012年3月末現在、カネミ油症患者として認定されたのは1966人(うち死亡者は596人)。被害を訴え出た1万4000人の約14%に過ぎない。厚生労働省の全国油症治療研究班が定めた認定基準によって被害者の認定、未認定が振り分けられ、現在は血中のダイオキシン濃度が最も重要視されている。
しかし、その基準の妥当性には疑問の声も上がっている。
裁判と仮払金問題 カネミ油症をめぐる民事裁判は発覚の翌年1969年に始まった。裁判は責任企業のカネミ倉庫やPCBを製造したカネカを相手取り1986年までに8件が提起され、うち5件については被害の拡大責任を問われた国も相手取って行われた。原告は1985年までにカネミ倉庫だけでなく、国にも2度勝訴。
しかし、翌86年5月、全国統一民事訴訟第二陣の二審判決で流れは変わり、国に逆転敗訴した。
その後最高裁も原告敗訴の見通しを示したことから、原告は国への訴えを取り下げる。
その結果原告は先に受け取った1人当たり約300万円の賠償金の仮払金を返還する義務が生じ、すでに医療費や生活費などにつぎこんでいた原告たちの中には返還に応じきれず、自殺者も現れるようになった。その事態を重く見た当時の自公政権は2007年に仮払金返還を免除する特例措置法を成立させ、仮払金問題は一定の解決に至る。
2008年には87年の裁判終了後に新たに認定された新認定患者がカネミ倉庫を相手取り損害賠償請求訴訟をおこし、現在も裁判は続いている。 取り残されていた患者救済(〜2013年3月) カネミ油症の被害者は油症検診を受診して患者と認定されない限り、一切の医療費助成を受けることができない。さらに認定されても責任企業のカネミ倉庫からは見舞金23万円の支給(認定時のみ)と、認定後の医療費の一部が支給されるだけで、過去の裁判の原告への賠償金500万円も経営難を理由に支払いが凍結されたままである。
国は治療研究の資金として全国油症治療研究班に約2億円の研究費(2012年度)を、そしてカネミ倉庫には経営を支援するため政府米の倉庫代 およそ1億5000万円(2011年度)を支払っているが、過去の裁判で原告側が国への訴えを取り下げたことを根拠に、患者に直接、医療費などの公的支援を行うことを一貫して拒んでいる。
政権交代で芽生えた救済の機運 事件から42年が経過した2010年、患者の高齢化が進む中、患者と支援者は政権交代を機に2010年1月以降、医療費の公的負担などを盛り込んだ「カネミ油症被害者救済法案」の成立を求めて全国で被害者集会を開催し救済を訴えた。
そして3月には、患者と支援者が民主党幹事長室に救済法案の成立を陳情。民主党内でも一部の議員が救済法案の議員立法の検討を進めるなど、法案成立への機運が高まっていたが、2010年6月の鳩山総理辞任などの 政局の混乱を受け、法案の通常国会提出は断念された。
被害者救済法の成立 2011年8月、被害者からの声を受けて民主、自民、公明など有志の国会議員は超党派の国会議員連盟を設立。被害者救済法成立に向けた機運が再び高まりはじめた。そして、翌2012年3月には自民、公明両党がまとめた救済法案に民主も合意し、救済法成立は現実性を帯び始める。
しかし厚生労働省などが「食中毒は原因企業による補償が原則」などとして法制化に強く反発。それを受けて民主党は一転、法案ではなく国の予算措置による救済案に傾くなど救済へ向けた動きは迷走する。
結局、自民、公明が民主を引き込む形で超党派の議員連盟は法案をまとめ議員立法で国会へ提出。2012年8月29日の参院本会議で救済法は可決、成立された。
医療費の公的支給ならず・・・ カネミ油症被害者救済法 国は救済法に基づく支援策として2013年度から当面、認定患者を対象に毎年1回健康実態調査を実施し「支援金」として年19万円を支給。また従来からカネミ倉庫に対し行われている備蓄米などの保管委託を拡大してカネミ倉庫の経営支援策を拡充させ、カネミ倉庫からも年5万円を支給する。
さらに認定基準も見直し、被害発覚当時に認定患者と同居していた家族などで未だ未認定のままの患者も認定することになった。
しかし、患者の医療費については国からの支給は見送られ、従来通りカネミ倉庫から支給されることとなり、国からの直接救済を望んでいた患者からは失望の声が相次いだ。
残された次世代被害 今回の救済法成立は、患者にとって完全救済への「大きな一歩」に過ぎないと言える。認定基準が見直されたとはいえ、大半の未認定患者は救済されないままであり、被害者が高齢化する中、未だ根本的な治療法の開発にも至っていない。また子や孫への「次世代被害」に対する救済も手付かずの ままである。カネミ油症被害者の完全救済には未だ多くの課題が残されたままとなっている。
http://www.kbc.co.jp/tv/kanemi/image/midashi_archives.gif
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カネミ油症と台湾油症の比較―患者の症状、認定基準(日本)・患者登録(台湾)を中心に―
金 星
A Comparative Study of Kanemi Yusho and Taiwan Yucheng: Patients'symptoms, certification criteria(Japan) and registration of patients (Taiwan) Jin Xing 要旨 油症は人類が初めて経験したPCBs 及びPCDFs 集団食中毒事件である。世界中で、発生し たのは日本と台湾だけである。本論は、カネミ油症と台湾油症について、長期に及ぶ大規模 な健康被害の社会的事象として、主に油症患者の症状、食中毒事件としての油症認定問題の 2 つの面に着目して、共通の問題を中心に考察した。 まず、カネミ油症と台湾油症の概要を述べる。次に、油症被害者及び支援者十数名に直接 聞き取り調査を実施し、文献及び現地で入手した一次資料等を参考にして、健康被害につい て、油症問題の長期に渡る、治療困難性及び胎児性患者の存在などの特徴を考察した。その 結果、両油症事件はおそらくほぼ同一レベルのダイオキシン汚染による中毒症状とみなす ことができるであろう。次いで、食中毒としてのいわゆる「認定基準」や「患者登録」につ いて考察した。両油症事件は、環境汚染を経由しないので法律上の「公害」ではなく、法的 な位置づけとしては食中毒事件である。しかし、油症は慢性疾患である点などが公害に類似 しており、マスコミや市民運動などから「食品公害」と呼ばれることが少なくない。 一方、現在の日本及び台湾には、食品公害の被害に対応するための法制度が存在しないた め、認定問題について学問的に適切な解決策(原因食品摂取の確認と1つ以上の症状が判定 要件)を検討した。最後に、油症に関係する様々な分野で聞き取り調査をした結果をまとめ て、カネミ油症と台湾油症被害の補償がまだ不十分であるなどの現状を明らかにした。 日本と台湾は異なる社会的背景を持つ。しかし、2 つの油症事件については、いまだに未 知の部分が多いことが現実である。さらに、先行研究において、カネミ油症事件と台湾油症 事件の比較研究は非常に少ないので、この両事件の比較研究が必要である。本論は、カネミ 油症と台湾油症の比較考察への第一歩に位置づけられる。 キーワード:カネミ油症、台湾油症、化学性食中毒、認定基準、患者登録、食品公害 序
1968 年の秋に福岡県北九州市を始め西日本一帯で発覚した「カネミ油症」(Yusho)事件 からちょうど10 年目の1978 年末、台湾の台中県及び彰化県でもカネミ油症とほぼ同じよ うな症状を有する「台湾油症」(Yucheng)事件が発生した。すなわち、米ぬか油がポリ塩化 ビフェニル(PCBs)や、ダイオキシン類の一種であるポリ塩化ジベンゾフラン(PCDFs)な どに汚染されたことによる化学性食中毒事件である。 日本では、事件発覚から44 年後、2012 年8 月に「カネミ油症患者に関する施策の総合的 な推進に関する法律」が制定されて、同年9 月5 日に施行されている。台湾の場合は36 年 を経て、2015 年1月22 日、「油症患者健康照護服務条例」[注1]が制定されて、同年2 月 4 日に公布、同時に施行されている。 救済制度が確立されたから、もうすでに油症事件は終わったのか? この疑問を抱え込 んで、筆者は2017 年2 月と8 月に台湾油症調査のため、カネミ油症被害者支援センター運 営委員藤原寿和(2 月には下関私立大学名誉教授の下田守も同行)と台湾の政府機関である 衛生福利部国民健康署[注2](以下国民健康署と呼ぶ)、台湾油症受害者支持協会、国立 台湾大学、国家衛生研究院、恵明学校[注3]などを訪問した。また、8 月の調査では、前 回同様の油症調査と合わせて、新たに台湾におけるPCBs 問題で行政院環境保護署化学局の ヒアリングを行った。そして、同時に中国石油化学工業開発株式会社(台南市)の調査も行 った。この会社の前身は、1938 年に日本の鐘淵曹達株式会社が建設を開始し、1942 年に完 成した工場である。 2017 年7 月12 日長崎県五島市奈留島において、筆者は「カネミ油症五島市の会」事務局 長宿輪敏子にインタビューした。7月13 日、福江総合福祉保健センターでカネミ油症事件 発生50 年事業実行委員長下田守と九州大学病院油症ダイオキシン研究診療センター長崎県 五島担当谷尾恵子及びほかの委員たちに聞き取り調査した。 2017 年8 月30 日藤原寿和とともに農林水産省[注4]に聞き取り調査した。 2017 年10 月14 日筆者は「カネミ油症PCB 汚染を考える集いin 高砂」を参加し、カネミ 油症関係者に聞き取り調査した。 2016 年以来、筆者はカネミ油症及び台湾油症の被害者計13 名に聞き取り調査した。具体 的状況は第2 章で言及する。 油症は人類が初めて経験したPCBs 及びPCDFs 集団食中毒事件である。世界中で、発生し たのは日本と台湾だけである。特に、カネミ油症以前には人類はダイオキシン類の直接的な 経口摂取の経験がない。なお、ダイオキシン中毒の事例としては、ベトナム枯葉作戦(1961 〜1971 年)やイタリアセベソ事故(1976 年)などがある。原田正純医師(故人)はカネミ 油症が病気のデパートであり、大切な人類の負の財産だと語っている。 日本と台湾は異なる社会的背景を持つ。しかし、2 つの油症事件については、健康被害 及び救済制度などお互いに共通する面が少なくなく、いまだに未知の部分が多いことを認 識すべきである。さらに、先行研究において、カネミ油症事件と台湾油症事件の比較研究
は非常に少なく、この両事件の比較研究が必要である。
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カネミ油症50年記念行事「油症の経験を未来につなぐ集い」
■日時 2018年11月17日(日)
■場所 福江総合福祉保健センター(長崎県五島市三尾野1丁目7番1号)
■スケジュール
10時30分〜12時 第1部:記念式典 13時〜15時50分 第2部:分科会 分科会A:油症の医療と福祉を考える 分科会B:被害者と語り合い交流する 分科会C:食の安全と健康について考える 分科会D:油症について学び、伝える 関連行事
(1)現地交流会
■日時 11月18日(日)8時30分〜16時30分 ■場所 奈留:9時30分〜11時30分、玉之浦:13時30分〜15時30分 (2)写真パネル・資料の展示
■日時 11月17日(土)頃〜数日間 ■場所 福江総合福祉保健センター (3)カネミ油症について学ぶ市民講座 ■対象 中学生以上 ■期間 5月〜10月(全6回) ■場所 福江総合福祉保健センター 市民講座について詳しくは、市民講座チラシをご覧ください。 カネミ油症被害者の提訴は、関係者の思惑から全国統一訴訟団と油症福岡訴訟団にわかれて提訴された。
全国統一訴訟は国を相手にしていたが、福岡訴訟団は時間節約を目的として国を外しカネカ・カネミ倉庫を相手とした。 和解終結後の認定患者に対してはカネミ倉庫は訴訟患者の和解条件と同様の取り扱いをしているが、医療費自己負担分の支払い、一律23万円の一時金、死亡時3万円の葬祭料の支払い。 鐘淵化学工業(カネカ)は新規認定患者約80人に対しては和解金300万円を支払っていない。理由として訴訟時に原告であった人だけを対象としてカネカに責任は無いとする条件で和解した為その後の認定患者への責任は無いとしている。
一方水俣病では、チッソと一部の患者家族との間で,いわゆる見舞金契約が締結されました。この見舞金契約はわずかな補償と引き換えに将来新たな補償金の要求は一切行わないという内容でした。
この見舞金契約は被害者の窮状と孤立に乗じて,被害者に無理矢理押しつけられたものといえます。この見舞金契約は,後の裁判(水俣病第1次訴訟熊本地裁判決)において,公序良俗に反し無効と断罪されました。 カネミ油症事件(カネミゆしょうじけん)とは、1968年に、ポリ塩化ビフェニル(PCB)などが混入した食用油を摂取した人々に障害等が発生した、主として福岡県、長崎県を中心とした西日本一帯の食中毒事件。油を摂取した患者からは、皮膚に色素が沈着した状態の赤ちゃん(いわゆる「黒い赤ちゃん」)が生まれた。胎盤を通してだけでなく、母乳を通じて新生児の皮膚が黒くなったケースもあった。この「黒い赤ちゃん」は社会に衝撃を与え、事件の象徴となった。学界でも国際会議で「YUSHO」と呼称され、世界的な関心を集めた[1]。
カネミ油症は、昭和43年10月に、西日本を中心に、広域にわたって発生した、ライスオイル(米ぬか油)による食中毒事件です。 事件の原因は、カネミ倉庫社製のライスオイル(米ぬか油)中に、製造の際の脱臭工程の熱媒体として用いられた、鐘淵化学工業(現カネカ)社製カネクロールが混入していたことでした。このため、ポリ塩化ビフェニル(PCB)や、ダイオキシン類の一種であるポリ塩化ジベンゾフラン(PCDF)等が、製品のライスオイル(米ぬか油)の中に混入しました。 症状は、吹出物、色素沈着、目やになどの皮膚症状のほか、全身倦怠感、しびれ感、食欲不振など多様です。こうした症状が改善するには長い時間がかかり、現在も症状が続いている方々がいます。 患者急増 まるで野戦病院 カネミ油症50年の証言 元准看護士、うめき声 今も耳に 命絶った青年に涙 病室に漂う膿(うみ)のにおい、苦痛にゆがむ患者の顔−。長崎県五島市玉之浦町の元准看護師、橋本たき子(80)は50年前を思い返すたびに、胸が締め付けられる。 1968(昭和43)年春。30歳のたき子は、同町の診療所で働いていた。3月の末、訪れる小中学生が急に増えた。総じて脱力感を訴え、待合室の長いすに寝そべっていた。「学校をサボりたいのかな」。いぶかったが、よく見ると子どもたちの皮膚には発疹が目立ち、ひどく目やにが出ている。腹痛を訴える子も少なくない。奇妙だった。 1カ月もたたないうちに成人患者も次々にやって来た。ほとんどが漁師。昼間は痛みに耐えて働き、夜、診療所の当直時間に人目を避けるように来院する。青年期の男性は症状が特にひどく、顔や背中、脇の下、内股などに、びっしりと重なるように吹き出物ができていた。患部に薬を塗ったりガーゼを取り換えたりしたが、膿は耐えがたいにおいを発した。 夏になると診療所は患者であふれ返った。医師の指示で解毒薬を患者に点滴したが、すぐに病室も、点滴袋をつるす器具も足りなくなった。廊下や待合室に畳を敷き、点滴袋は壁や戸に直接ぶら下げるしかなかった。当直の際は、痛みにうめく入院患者に何度も呼び出された。「まるで野戦病院」。昼夜なく駆け回りながら、途方に暮れた。 治療法はなく、病名すら付けられない状態。「このやぶ医者が!」。荒い漁師らは、一向に治らない“奇病”にいら立ち、医師に罵声を浴びせた。3人いた医師のうち、たき子と同年代で最も若い男性医師は特に怒りの矛先を向けられ、思い悩んでいた様子を覚えている。 原因が分かったのは10月。「北九州市で製造された食用米ぬか油『カネミライスオイル』に有害なPCB(ポリ塩化ビフェニール)が混入していた」。役場から診療所にそんな連絡が入った。予想もしなかった知らせに、たき子は驚いた。そして新たな恐怖が湧き上がった。「自分たち家族も食べている」 ◎黒い赤ちゃんに衝撃 自身と家族全員も重い症状 たき子の家族にも、来院患者と同じような症状が現れていた。 当時、夫と幼い1男3女の6人家族。全員の顔や背中、手脚などに吹き出物が出て、子どもたちは髪が抜けた。目が開かないほどの目やに、腹痛、鼻血−。学校は休みがちになった。 原因の食用油は自宅近くの商店で、一斗缶から一升ずつ量り売りで購入。豚カツや天ぷら、ドーナツなどを作って家族にたくさん食べさせていた。事件が発覚する10月までに一升瓶で約5本分を使った。 たき子自身、強い倦怠(けんたい)感や吹き出物に苦しみながら、患者が押し寄せる診療所で激務に追われる日々。家族や自らの体を顧みる余裕はなかった。 油症の影響は、新たな命にも及ぶ。お産があるたびに、たき子は診療所近くの母子センターで医師と立ち会っていた。68年の暮れ、その赤ちゃんを見た時、悲鳴を必死でこらえた。皮膚はコーヒーを塗ったように黒ずみ、弾力がない。産声も、か細い。覚えているだけで、同様の赤ちゃんは12、13人が生まれた。 集落ではいつの間にか「黒い赤ちゃんがまた生まれた」とうわさが広がった。皮膚の黒さは小学生になっても残り、歯がぼろぼろになる症状も目立っていた。 2、3年すると、診療所には大腸がんや胃がんなどのがん患者が増えた。痛みに苦しみ、亡くなっていく患者をみとる一方、たき子も初期の子宮がんを発症。73年に摘出手術を受けた。夫や子も内臓や目の疾患に悩まされ続けた。 長男を除く家族5人が油症と認定。国や原因企業カネミ倉庫、PCBを製造した鐘淵化学工業(現カネカ)の責任を問う集団訴訟では夫が1陣、たき子は2陣、娘3人が3陣に加わった。1陣の二審、3陣の一審では原告が勝訴し、夫と娘計4人の仮払金を国から受け取った。しかし、86年の2陣の二審判決で国とカネカの責任が否定されると、最高裁での敗訴の可能性が高まり、患者側は訴訟を取り下げた。10年後、国から仮払金返還を請求され、たき子夫妻は4人分の返済をほそぼそと続けた。長男は近年、油症認定された。 今も夜中に目が覚めると、診療所で夜聞いた患者のうめき声が耳の中で響く。幼い頃から知っている青年が症状に耐えられず、命を絶ったこともあった。思い出すと涙が出る。 「油症で人生を壊された人がいる。夢を持って生活していたのに突然絶たれた。その悲惨さを風化させてはいけない」。たき子の思いだ。 =文中敬称略= 原因の究明まで患者発生の直前1968年春には、同社製の「ダーク油」を添加した配合飼料を与えられた鶏40万羽が変死していた[3]。1968年(昭和43年)6月7日に九大皮膚科に3歳の女児が痤瘡(にきび)様皮疹と診断され、8月には家族全員が同様の症状となって受診した。
1968年(昭和43年)10月18日、九州大学医学部に油症外来を開設して集団検診を始める[4]。
1969年、医学専門誌『福岡医学雑誌』60巻5号には、患者から生まれた死産女子の解剖結果が報告されている。そこでは、副腎皮質が奇形であったことが示唆され、性器の肥大・突出があったことも書かれている。
1969年(昭和44年)11月、食品衛生法第4条該当により廃棄を命じたカネミ油(廃棄分)503ドラムを販売したことを報告した[7]。
1971年、専門誌『産科と婦人科』8月号に患者の性機能に関する報告が掲載された。経血が茶褐色に汚くなったことや性ステロイドの減少が見られることをふまえ、「PCB中毒はあらゆる意味で女性性機能を障害すると考えざるを得ない」とまとめている。翌年、『福岡医学雑誌』63巻10号は「PCBには女性ホルモンを増強する作用がある」と報告した。
日本全国でおよそ1万4,000人が被害を訴えたが、認定患者数は2006年末現在で1,906人と少ない。うち、相当数が既に死亡している。家族が同じ物を食べて被害にあったにも拘らず、家族のうち1人だけが被害者に認定されるケースもあるなど、認定の基準が被害者には曖昧なものであった。
2004年9月、厚生労働省の所管組織である国の「油症治療研究班(九州大学医学部を中心とする研究グループ)」は、新たに血液中のダイオキシン濃度を検査項目に加えた新認定基準を発表した。また、自然界では、ダイオキシンに曝露したことの影響と見られる生殖器官の異常など動物の奇形も見られるが、直接の被害者が男性の場合、精子など遺伝子へのダイオキシン類による被害があっても、親から子へと胎内を通じて直接、子孫に影響があると考えられる女性とちがい、血中のダイオキシン濃度測定だけでは、世代を超えた影響は関知しえないという問題もある。
1970年、被害者らは食用油を製造したカネミ倉庫・PCBを製造した鐘淵化学工業(カネカ)・国の3者を相手取って賠償請求訴訟を起こした。二審では被害者側が国に勝訴し、約830人が仮払いの賠償金約27億円を受け取ったが、最高裁では逆転敗訴の可能性が強まったため、被害者側は訴えを取り下げた。この結果、被害者らには先に受け取った仮払いの賠償金の返還義務が生じることになったが、既に生活費として使ってしまっていたケースも多く、返還に窮した被害者の中からは自殺者も出るに至った。
提訴は、関係者の思惑から全国統一訴訟団と油症福岡訴訟団にわかれて提訴された。全国統一訴訟は国を相手にしていたが、福岡訴訟団は時間節約を目的として国を外しカネカ・カネミ倉庫を相手とした。和解終結後の認定患者に対してはカネミ倉庫は訴訟患者の和解条件と同様の取り扱いをしているが、医療費自己負担分の支払い、一律23万円の一時金、死亡時3万円の葬祭料の支払い。鐘淵化学工業(カネカ)は新規認定患者約80人に対しては和解金300万円を支払っていない。理由として訴訟時に原告であった人だけを対象としてカネカに責任は無いとする条件で和解した為その後の認定患者への責任は無いとしている。
2008年5月、「カネミ油症新認定訴訟」を福岡地裁小倉支部に提出するが、カネミ倉庫(株)の製造・販売した過失を認め、原告らがカネミ汚染油を摂取した為に、カネミ油症に罹患したと認めながら、「除斥期間により権利が消滅している」として、原告全員の請求を棄却した[10]。原告は控訴していたが、福岡高裁は2014年2月24日、一審判決を支持しこれを棄却。2015年6月2日に最高裁第三小法廷(木内道祥裁判長)が上告を棄却し、判決が確定した。
国内最大の食品公害とされるカネミ油症の患者団体と国、原因企業のカネミ倉庫(北九州市)による3者協議が2018年1月20日、福岡市であった。カネミ油症は今年で発生から50年を迎える。患者側はなお未認定の被害者が多いとして、認定基準の撤廃や見直しを求めた。
協議は被害者救済法(2012年施行)に基づくもので11回目。11の患者団体の代表、厚生労働省や農林水産省の担当者、カネミ倉庫の加藤大明社長らが出席し、非公開で開かれた。
3者によると、患者側は「(ダイオキシン類の血中濃度などで判定する)認定基準を撤廃し、カネミ油を食べたことをもって認定してほしい」などと要望。国は「基準は科学的知見によるものだ」と反論した。加藤社長は、患者側が求めている入院中の食費支給について「国に要望しているが現状では難しい」と答えた。
患者側は、油に混入したポリ塩化ビフェニール(PCB)を製造し、カネミ倉庫に販売したカネカ(鐘淵化学工業 高砂)も協議に参加するよう求める要望書を国に提出した。
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カネミ油症50年記念行事「油症の経験を未来につなぐ集い」
■日時 2018年11月17日(日)■場所 福江総合福祉保健センター(長崎県五島市三尾野1丁目7番1号) ■スケジュール 10時30分〜12時 第1部:記念式典 13時〜15時50分 第2部:分科会 分科会A:油症の医療と福祉を考える 分科会B:被害者と語り合い交流する 分科会C:食の安全と健康について考える 分科会D:油症について学び、伝える 関連行事 (1)現地交流会 ■日時 11月18日(日)8時30分〜16時30分 ■場所 奈留:9時30分〜11時30分、玉之浦:13時30分〜15時30分 (2)写真パネル・資料の展示 ■日時 11月17日(土)頃〜数日間 ■場所 福江総合福祉保健センター (3)カネミ油症について学ぶ市民講座 ■対象 中学生以上 ■期間 5月〜10月(全6回) ■場所 福江総合福祉保健センター 市民講座について詳しくは、市民講座チラシをご覧ください。 国内最大の食品公害とされるカネミ油症の患者団体と国、原因企業のカネミ倉庫(北九州市)による3者協議が2018年1月20日、福岡市であった。カネミ油症は今年で発生から50年を迎える。患者側はなお未認定の被害者が多いとして、認定基準の撤廃や見直しを求めた。
協議は被害者救済法(2012年施行)に基づくもので11回目。11の患者団体の代表、厚生労働省や農林水産省の担当者、カネミ倉庫の加藤大明社長らが出席し、非公開で開かれた。
3者によると、患者側は「(ダイオキシン類の血中濃度などで判定する)認定基準を撤廃し、カネミ油を食べたことをもって認定してほしい」などと要望。国は「基準は科学的知見によるものだ」と反論した。加藤社長は、患者側が求めている入院中の食費支給について「国に要望しているが現状では難しい」と答えた。
患者側は、油に混入したポリ塩化ビフェニール(PCB)を製造し、カネミ倉庫に販売したカネカ(鐘淵化学工業 高砂)も協議に参加するよう求める要望書を国に提出した。
カネミ油症被害者の提訴は、関係者の思惑から全国統一訴訟団と油症福岡訴訟団にわかれて提訴された。
全国統一訴訟は国を相手にしていたが、福岡訴訟団は時間節約を目的として国を外しカネカ・カネミ倉庫を相手とした。 和解終結後の認定患者に対してはカネミ倉庫は訴訟患者の和解条件と同様の取り扱いをしているが、医療費自己負担分の支払い、一律23万円の一時金、死亡時3万円の葬祭料の支払い。 鐘淵化学工業(カネカ)は新規認定患者約80人に対しては和解金300万円を支払っていない。理由として訴訟時に原告であった人だけを対象としてカネカに責任は無いとする条件で和解した為その後の認定患者への責任は無いとしている。
一方水俣病では、チッソと一部の患者家族との間で,いわゆる見舞金契約が締結されました。この見舞金契約はわずかな補償と引き換えに将来新たな補償金の要求は一切行わないという内容でした。
この見舞金契約は被害者の窮状と孤立に乗じて,被害者に無理矢理押しつけられたものといえます。この見舞金契約は,後の裁判(水俣病第1次訴訟熊本地裁判決)において,公序良俗に反し無効と断罪されました。
【高木基金プレゼン1質疑】カネミ油症
石澤さん: 最初に国の研究を担当した医師グループ中心の体制がずっと続いている。これを変えないと、「油症研究班」をまず解体しないと始まらない。いろいろ公害があるなかで、なぜ油症への扱いはこんなに冷酷なのか。明らかにしていきたい。 【高木基金プレゼン1質疑】
遠藤選考委員: 水俣病では原田医師の研究で胎児性の被害が認められるようになったが、油症では政府はなぜ認めないのか。 石澤さん: なぜ胎児性が未認定なのか、理由は明らかにされていない。 【高木基金発表会14】質疑
瀬川さん: 診断基準が症状の実態にあっていないということか? 下田さん(北九州): 76年以来、臨床面での診断基準は変わっていない。 石澤: いまだに家族内での認定/未認定という不条理が残り、厚生省と油症研究班とでたらい回しをしている。 患者急増 まるで野戦病院 カネミ油症50年の証言 元准看護士、うめき声 今も耳に 命絶った青年に涙 病室に漂う膿(うみ)のにおい、苦痛にゆがむ患者の顔−。長崎県五島市玉之浦町の元准看護師、橋本たき子(80)は50年前を思い返すたびに、胸が締め付けられる。 1968(昭和43)年春。30歳のたき子は、同町の診療所で働いていた。3月の末、訪れる小中学生が急に増えた。総じて脱力感を訴え、待合室の長いすに寝そべっていた。「学校をサボりたいのかな」。いぶかったが、よく見ると子どもたちの皮膚には発疹が目立ち、ひどく目やにが出ている。腹痛を訴える子も少なくない。奇妙だった。 1カ月もたたないうちに成人患者も次々にやって来た。ほとんどが漁師。昼間は痛みに耐えて働き、夜、診療所の当直時間に人目を避けるように来院する。青年期の男性は症状が特にひどく、顔や背中、脇の下、内股などに、びっしりと重なるように吹き出物ができていた。患部に薬を塗ったりガーゼを取り換えたりしたが、膿は耐えがたいにおいを発した。 夏になると診療所は患者であふれ返った。医師の指示で解毒薬を患者に点滴したが、すぐに病室も、点滴袋をつるす器具も足りなくなった。廊下や待合室に畳を敷き、点滴袋は壁や戸に直接ぶら下げるしかなかった。当直の際は、痛みにうめく入院患者に何度も呼び出された。「まるで野戦病院」。昼夜なく駆け回りながら、途方に暮れた。 治療法はなく、病名すら付けられない状態。「このやぶ医者が!」。荒い漁師らは、一向に治らない“奇病”にいら立ち、医師に罵声を浴びせた。3人いた医師のうち、たき子と同年代で最も若い男性医師は特に怒りの矛先を向けられ、思い悩んでいた様子を覚えている。 原因が分かったのは10月。「北九州市で製造された食用米ぬか油『カネミライスオイル』に有害なPCB(ポリ塩化ビフェニール)が混入していた」。役場から診療所にそんな連絡が入った。予想もしなかった知らせに、たき子は驚いた。そして新たな恐怖が湧き上がった。「自分たち家族も食べている」 ◎黒い赤ちゃんに衝撃 自身と家族全員も重い症状 たき子の家族にも、来院患者と同じような症状が現れていた。 当時、夫と幼い1男3女の6人家族。全員の顔や背中、手脚などに吹き出物が出て、子どもたちは髪が抜けた。目が開かないほどの目やに、腹痛、鼻血−。学校は休みがちになった。 原因の食用油は自宅近くの商店で、一斗缶から一升ずつ量り売りで購入。豚カツや天ぷら、ドーナツなどを作って家族にたくさん食べさせていた。事件が発覚する10月までに一升瓶で約5本分を使った。 たき子自身、強い倦怠(けんたい)感や吹き出物に苦しみながら、患者が押し寄せる診療所で激務に追われる日々。家族や自らの体を顧みる余裕はなかった。 油症の影響は、新たな命にも及ぶ。お産があるたびに、たき子は診療所近くの母子センターで医師と立ち会っていた。68年の暮れ、その赤ちゃんを見た時、悲鳴を必死でこらえた。皮膚はコーヒーを塗ったように黒ずみ、弾力がない。産声も、か細い。覚えているだけで、同様の赤ちゃんは12、13人が生まれた。 集落ではいつの間にか「黒い赤ちゃんがまた生まれた」とうわさが広がった。皮膚の黒さは小学生になっても残り、歯がぼろぼろになる症状も目立っていた。 2、3年すると、診療所には大腸がんや胃がんなどのがん患者が増えた。痛みに苦しみ、亡くなっていく患者をみとる一方、たき子も初期の子宮がんを発症。73年に摘出手術を受けた。夫や子も内臓や目の疾患に悩まされ続けた。 長男を除く家族5人が油症と認定。国や原因企業カネミ倉庫、PCBを製造した鐘淵化学工業(現カネカ)の責任を問う集団訴訟では夫が1陣、たき子は2陣、娘3人が3陣に加わった。1陣の二審、3陣の一審では原告が勝訴し、夫と娘計4人の仮払金を国から受け取った。しかし、86年の2陣の二審判決で国とカネカの責任が否定されると、最高裁での敗訴の可能性が高まり、患者側は訴訟を取り下げた。10年後、国から仮払金返還を請求され、たき子夫妻は4人分の返済をほそぼそと続けた。長男は近年、油症認定された。 今も夜中に目が覚めると、診療所で夜聞いた患者のうめき声が耳の中で響く。幼い頃から知っている青年が症状に耐えられず、命を絶ったこともあった。思い出すと涙が出る。 「油症で人生を壊された人がいる。夢を持って生活していたのに突然絶たれた。その悲惨さを風化させてはいけない」。たき子の思いだ。 =文中敬称略= カネミ油症に関するトピックス:朝日新聞デジタルwww.asahi.com > ニュース > トピックス - キャッシュ
《カネミ油症とは》1968年、カネミ倉庫製の米ぬか油を食べた人に、神経、呼吸器などに 様々な症状が現れた。油の製造過程で混入したポリ塩化ビフェニールが加熱されて生じ たダイオキシン類が主原因とされる。2013年5月末現在の認定患者数は2210人で、 ... mainichi.jp/ch151021433i/カネミ油症
子や孫も 被害半世紀、14日集会 「2世」救済拡大求め. カネミ倉庫(北九州市)の 米ぬか油が引き起こした国内最大の食品公害・カネミ油症の被害者らが14日、油に 混入した原因物質PCB(ポリ塩化ビフェニール)を製造した鐘… (2017年10月8日 15: 45). mainichi.jp/articles/20170607/ddp/041/040/027000c
2017年6月7日 - 猛毒ダイオキシンが原因物質の国内最大の食品公害・カネミ油症事件は来年、発生 から50年を迎える。1968年10月に西日本を中心に被害者の存在が表面化したが、 記録をさかのぼると、同年6月7日に九大付属病院(福岡市)で油症とみ ... mainichi.jp/ch170569531i/カネミ油症事件
2017年5月22日 - 毎日新聞のニュース・情報サイトです。事件や話題、経済 ... 五島市は来年度実施する カネミ油症事件発生50周年事業の実行委員会を設置した。油症被害者や支援団体 などで構成し、会長はカネミ油症支援センターの下田守代表。日本最… カネミ 新聞のヤフオク!検索結果(1件)-ヤフオク!www.nagasaki-np.co.jp/press/kanemi/ - キャッシュ
2014/03/28 3月30日に無料自主検診 2014/03/24 カネミ油症新認定訴訟 「訴える 権利」認めるか 【関連企画】 □カネミ油症1968〜69年 当時の紙面で振り返る (2010年 1月17日) □私の中の毒物 カネミ油症発覚から41年 (2009年12月7日〜12月13日) www.nagasaki-np.co.jp/press/kanemi/kiji/t20090426.html - キャッシュ
一九六八年に本県など西日本一帯を襲った国内最大の食品公害カネミ油症事件は、未 認定患者の救済問題が一つの焦点となりつつある。特に、同じ汚染油を摂取した家族内 でも認定、未認定に区分する厳しい診断基準が問題視され、二月に ...
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