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マタイによる福音書12章1節〜14節 本日の箇所には、二つの論争の場面が記されています。一つは、ファリサイ派の人々とイエス様との論争。もう一つは、イエス様を訴えようと罠を仕掛ける人々と、イエス様との論争が語られています。この二つの論争において、共通しているのは、安息日についての論争であるということです。 安息日は、創造の第七日目に、すべての働きを終えて休まれた神様が、聖別し、祝福された日です。そのことから、安息日には、誰も、いかなる仕事をもしてはならないと定められていました。ユダヤ人にとって、この安息日の掟は、侵すことの許されない、絶対的なものでした。 ファリサイ派の人々は、安息日に麦の穂を摘んで食べている弟子たちを見て、「御覧なさい。あなたの弟子たちは、安息日にしてはならないことをしている」と言いました。弟子たちが、律法に違反しているという光景だけを、彼らは見つめているのです。弟子たちが空腹で苦しんでいる姿は、彼らの目に入っていません。 また、イエス様を訴えようと罠を仕掛ける人々は、片手の萎えた人を見ながら「安息日に病気を治すのは、律法で許されていますか」と尋ねました。片手の萎えた人の苦しみや、痛みは、彼らの視界には入りません。彼らにとって、この片手の萎えた人というのは、イエス様を訴えるための良い材料でしかないのです。 イエス様は、そのように見るべきものが見えなくなってしまった人々に対して「もし、『わたしが求めるのは憐れみであって、いけにえではない』という言葉の意味を知っていれば、あなたたちは罪もない人たちをとがめなかったであろう」と言われます。ここに、私たちが見失ってはいけない大切なものがあるのです。 (村田悦牧師) |

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