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イザヤ書2章1節〜5節 平和とはなんでしょうか。私たちは何を平和と呼び、何を平和と呼ばないでしょうか。聖書には、「シャローム(ヘブライ語)」と、「エイレーネー(ギリシャ語)」という、二つの言葉があります。両方とも、「平和」と訳される言葉です。後者は、前者のギリシャ語訳としても、用いられています。しかし、その本質は異なります。「エイレーネー」は、戦争がない状態を指しているのに対し、「シャローム」は、単に戦争がないだけでなく、社会的、精神的、肉体的、そして霊的な事柄に至るまで、平安である状態を指しています。この「シャローム」こそが、神の平和です。 本日の箇所において、イザヤが向き合わされているイスラエルの民は、「エイレーネー」でした。つまり、戦争はしていませんでした。むしろ、彼らは、栄華を極めたダビデの時代を彷彿とさせるほどの繁栄を楽しんでいました。「この国は銀と金とに満たされ/財宝には限りがない。この国は軍馬に満たされ/戦車には限りがない。」(7節)と書かれている通りです。しかし、それは、「シャローム」とは、程遠い状態でした。イスラエルは、銀と金というこの世の富に目を奪われ、軍馬や戦車という武力による平和を求めていました。そんなイスラエルの民に、イザヤは語るのです。「主の教えはシオンから/御言葉はエルサレムから出る」「ヤコブの家よ、主の光の中を歩もう」と。 「平和を実現する人々は、幸いである、/その人たちは神の子と呼ばれる。」(マタイ5:9)。神の子として生きる者にとって、平和を実現することは、託された一つの使命です。イザヤが語ったように、御言葉に真の平和があると信じ、御言葉に平和を求めていきましょう。(村田悦牧師) |

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