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マタイによる福音書12章22節〜32節 「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」ということわざがあります。坊さんを憎いと思うと、その坊さんが着ている袈裟までが憎らしくなるという意味のことわざです。ファリサイ派の人々は、イエス様のことを憎んでいました。安息日に人を癒したり、罪人を招いて食事をするようなイエス様の姿に、自分たちの律法理解を否定されるばかりか、自分たちの存在自体を否定されたかのように感じたのでしょう。そんな中で、彼らは、自分たちを必死に守ろうと、イエス様のする事なす事全てを否定し始めます。本日の箇所に記されている目が見えず口の利けない人の癒しも、悪霊の行為だと言いふらしています。 どんなに素晴らしい行為も、どんなに美しい行為も、それをする人によって、受け取り方を変えてしまうことが、私たちにもあるでしょう。ファリサイ派の人々は、同じ事をしているのに、自分たちの仲間がするのと、イエス様がするのとでは180度違う反応を示しています。 イエス様は「木の良し悪しは、その結ぶ実で分かる」と言われます。ファリサイ派の人々には、目が見えず口の利けない人が癒されたという出来事は、全く見えていません。そこには、神の国が示されているのに、全くわからずにいるのです。 神の国は、私たちがいつか行く場所ではなく、イエス様の到来と同時に来ていると言われています。その現実を知るために、私たちは、イエス様が結ばれる実に注目しなければいけません。それがどんな力によって行われているのか、イエス様とは一体何者なのか。そう問う前に、目が見えず口の利けない人が癒されたという出来事そのものに目を向けていく必要があるのです。そこに、イエス様が何者なのかということが語られているのです。(村田悦牧師) |

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