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私は2009年5月から3ヶ月の間、ネパールに国際ミッションボランティアとして派遣されました。今日は海外宣教の体験だけによらずマタイ福音書から宣教するとはどういうことかを共に分かち合えたらと思います。1)宣教が託されている人とは?今日の箇所を直訳すると、「11人の弟子たちはイエス様に出会いひれ伏し礼拝した。だが彼らは疑いもした。」となり、すべての弟子が信じつつ疑っていた姿が書かれています。宣教が託されているのはこのような、完璧ではない小さなものたちだったのです。2)宣教の場所はどこ?最初の命令に「あなたがたは行って・・・」とあるように、「出て行け」と命令されています。この言葉は境界線を越えていけという意味があります。つまり、宣教の場所とは海外という意味限定的な場所ではなく、あなた自身の境界線を突破し、すべての人々である他者と共に生きる人生を実践しなさいということなのです。3)宣教はどのようになされるのか?マタイでは、この大宣教命令の中に力強く「教会」を描き出しています。その教会に主が共にいてくださると約束してくださっているのです。共にという意味のヘブライ語「イム」という言葉は、非接触的にその人物の傍らにいて、その人物を応援し、その人が自分で歩き立ち上がることのできるようにする関係性なのです。信じつつ疑ってしまう小さな私たちに、主が共にいてくださるように、他者と共に生きていくことが大宣教命令としてゆだねられていることを今一度覚えたいと思います。(永松九見子)
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