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マタイによる福音書15章1節〜20節 本日の箇所は、端的に、私たち人間の本質について語っています。それは、罪人であるということです。私たちは、何かをしたから罪人なのでも、何かをしなかったから罪人なのでもありません。そもそも、私たちは、罪を抱えながら生きているのです。「悪意、殺意、姦淫、みだらな行い、盗み、偽証、悪口などは、心から出て来る」(19節)と言われているように、私たちの心に罪があるのです。その事実から、逃れることは、誰にもできないのです。 ファリサイ派の人々や律法学者たちは、イエス様の弟子たちが、「昔の人の言い伝え」を破っている事を批判します。まるで、自分たちは、潔白であるかのような口ぶりです。おそらく、そう思い込んでいたのでしょう。そんな彼らに、イザヤの言葉が厳しく響きます。『この民は口先ではわたしを敬うが、/その心はわたしから遠く離れている。人間の戒めを教えとして教え、/むなしくわたしをあがめている。』(8節、9節)。 先日、フランスのパリで、同時多発テロ事件が起こりました。120名を超える人の命が、無差別に奪われました。悲しみや怒りと共に、恐怖を覚えます。そして、テロリストが一刻も早くいなくなることを願っている私がいます。テロリストが殺害されるニュースを見て、安心している私がいます。でも、それでいいのでしょうか。彼らだけが悪なのでしょうか。彼らの視点で、世界を見ていくとき、決して、彼らだけが悪とは言えない現実が見えてくるのではないでしょうか。私たちのもっている罪が具体的に、見えてくるのではないでしょうか。その罪を直視せずに、テロリストだけを悪と呼んでいるうちは、何も解決しないのではないでしょうか。(村田悦牧師) |

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