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マタイによる福音書15章29節〜39節 本日の箇所は、「五千人の給食」(マタイ14:13〜21)の場面と非常によく似ています。同じような出来事ならば、福音書に二度も繰り返し載せる必要があったのでしょうか。編集過程で、なぜ、一つにまとめられなかったのでしょうか。そこには、一つにまとめられない理由があったのではないでしょうか。 その理由とはなんでしょう。注目したいのは、文脈です。本日の箇所の直前には、イエス様が、ティルスとシドンにおられたことが記されています。そこは、異邦の地です。三日間一緒にいた群衆の中には、おそらくその土地からついてきた人々もいたでしょう。そう考えると、「五千人の給食」とは違う、また別の奇跡が語られているということになります。 それは、「共食」の奇跡です。異邦人と一緒に食事をするということが奇跡だったのです。当時、ユダヤ人と異邦人の間には、超えがたい宗教的な壁がありました。当時の宗教指導者達は、律法違反になるという理由で、異邦人との接触を極端に拒んだのです。一緒に食事をするなんてもってのほかでした。しかし、イエス様は、異邦人とも一緒に食卓を囲まれたのです。 引き裂かれた民が、イエス様の食卓によって一つにされている。ここに和解があります。イエス様は共に食事をするということを通して、和解の御業を示されたのです。食事は、単にお腹を満たすだけでなく、交わりの場であり、分かち合いの場であり、和解の場なのです。 食事は「何を食べるか」以上に「誰と食べるか」が大事なのです。今の世界にも、引き裂かれた関係があります。黒人と白人、日本人と朝鮮人、琉球(ウチナー)と日本(ヤマト)…。イエス様は、今も、引き裂かれた者同士を、同じ食卓に招いておられます。その招きに与っていきたいと思います。(村田悦牧師) |

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