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マタイによる福音書16章1節〜12節
ファリサイ派とサドカイ派の人々は、イエス様に、天からのしるしを見せて欲しいと願いました。これは、イエス様が、救い主である証拠を見せろということでしょう。それに対して、イエス様は、「空模様を見分けることは知っているのに、時代のしるしは見ることができないのか。」(3節)と言われました。「時代のしるし」とは、文脈的に、イエス様が救い主であるしるしのことでしょう。つまり、イエス様は、「すでに、天からのしるしは、与えられている。あなた方の目には、それが見えないのか」とおっしゃっているのです。
人々は、イエス様に、天からのしるしを求めました。しかし、天からのしるしは、目の前にあったのです。彼らの目は、それを見ていましたが、彼らがそれを、認めようとしないのです。ここに大きな間違いがあるのではないでしょうか。認めようとせず、受け入れようとしない。自分の考え、自分の価値観から一歩も外に出ようとしない。そのような姿勢では、いつまでたっても、しるしなど見ることはできないのです。
神様は、人知を超えたお方です。その言葉には、私たちの理解を根底から覆すような、あるいは、世の価値観を打ち壊すような力があります。にもかかわらず、人々は、自分という枠の中で、神様を捉えようとしたり、捉えたと思って安心したりしているのです。イエス様は、そのような姿勢に注意しろと言われているのはないでしょうか。
「実に、信仰は聞くことにより、しかも、キリストの言葉を聞くことによって始まるのです。」(ローマ10章17節)。この聴く姿勢が、重要なのです。(村田悦牧師)
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