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マタイによる福音書17章1節〜9節
本日の箇所には、イエス様の姿が変わるという、不思議な出来事が語られています。「顔は太陽にように輝き、服は光のように白くなった」「モーセとエリヤが現れ、イエスと語り合っていた」「光り輝く雲が彼らを覆った」。いかにも神聖な場面であり、いかにもメシアらしいイエス様が語られています。
ペテロは、その神秘的な場面に遭遇し、きっと興奮していたのでしょう。イエス様たちが語り合っているところに、割って入っています。そして、三人のために、仮小屋を建てましょうと提案しています。目の前にある神秘的な光景を止めておきたいという想いがあったのでしょう。ペテロにとって、今日の場面は素晴らしい場面であり、そこに描かれているイエス様こそ、期待していた姿だったのでしょう。
しかし、イエス様は、いつまでも山の上におられるわけではありません。直ちに、山を降りられるのです。そして、十字架に向かって歩まれるのです。十字架に向かわれる姿は、今日の場面に描かれているような、神秘的な姿とは程遠い、弱く、貧しく、醜く、呪われた姿でした。弟子たちはその姿につまずき、イエス様を離れていくことになります。
私たちも、見た目や、雰囲気に心を奪われやすいものです。だからこそ、注意しなければなりません。神秘的な光景、力、出会いに心を奪われるのではなく、イエス様の言葉に耳を傾ける。「これに聞け」という神の言葉を、しっかりと心に刻みたいと思うのです。言葉は、幻よりも優先されています。イエス様に求めていくべきは、力や奇跡以上に、言葉なのです。(村田悦牧師)
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