|
マタイによる福音書11章20節〜24節 本日の箇所で、イエス様は、ガリラヤの町々を、叱っておられます。ガリラヤの町々というのは、イエス様が、最も多くの奇跡を行われた場所だと言われています。にもかかわらず、彼らは、悔い改めようとしないのです。イエス様は、そのような有り様を、非難しておられるのです。 このイエス様の姿を通して、イエス様の願っておられることは、人々の悔い改めであるということ。また、悔い改めないことは、審きの日の罰とつながっているということ。そして、その罰は、非常に重たいということがわかります。イエス様は、そのことを、叱りつけながら、語り知らせているのです。なぜならば、彼らには、まだ、助かる見込みがあるからです。 叱りつけた後、イエス様は、「私のもとに来なさい」(28節)と、彼らを招かれます。悔い改めないことが決定している人々を、わざわざ招くはずがありません。イエス様は、まだ、彼らを、諦めておられないのです。叱りつけ、脅かすことによって、彼らが立っている現実を知らせ、そのままではいけないと呼びかけておられるのです。この呼びかけこそ、悔い改めへの招きなのです。 「悔い改め」と訳されている言葉は、「メタノイア」というギリシャ語です。この言葉の本来の意味は、「ヌース」(考え、思いという人間を動かすもの)を「メタ」(移す、変える)ということにあります。罪を反省して、もうしないようにするというのではなく、私たちの行動の動機となる部分を変えるということなのです。私たちは、何によって行動を起こすでしょうか。イエス様は、何によって行動されているのでしょうか。その違いに、目を向けていきたいと思います。(村田悦牧師) |

- >
- Yahoo!サービス
- >
- Yahoo!ブログ
- >
- 練習用







