日本バプテスト連盟 大分キリスト教会

礼拝(日曜日10:30)においで下さい。ともにイエス・キリストに出会いましょう。

過去の投稿月別表示

[ リスト | 詳細 ]

2015年05月

← 2015年4月 | 2015年6月 →

全2ページ

[1] [2]

[ 次のページ ]

マタイによる福音書1120節〜24

 本日の箇所で、イエス様は、ガリラヤの町々を、叱っておられます。ガリラヤの町々というのは、イエス様が、最も多くの奇跡を行われた場所だと言われています。にもかかわらず、彼らは、悔い改めようとしないのです。イエス様は、そのような有り様を、非難しておられるのです。

 このイエス様の姿を通して、イエス様の願っておられることは、人々の悔い改めであるということ。また、悔い改めないことは、審きの日の罰とつながっているということ。そして、その罰は、非常に重たいということがわかります。イエス様は、そのことを、叱りつけながら、語り知らせているのです。なぜならば、彼らには、まだ、助かる見込みがあるからです。

 叱りつけた後、イエス様は、「私のもとに来なさい」(28)と、彼らを招かれます。悔い改めないことが決定している人々を、わざわざ招くはずがありません。イエス様は、まだ、彼らを、諦めておられないのです。叱りつけ、脅かすことによって、彼らが立っている現実を知らせ、そのままではいけないと呼びかけておられるのです。この呼びかけこそ、悔い改めへの招きなのです。

 「悔い改め」と訳されている言葉は、「メタノイア」というギリシャ語です。この言葉の本来の意味は、「ヌース」(考え、思いという人間を動かすもの)を「メタ」(移す、変える)ということにあります。罪を反省して、もうしないようにするというのではなく、私たちの行動の動機となる部分を変えるということなのです。私たちは、何によって行動を起こすでしょうか。イエス様は、何によって行動されているのでしょうか。その違いに、目を向けていきたいと思います。(村田悦牧師)

マタイによる福音書112節〜19

 洗礼者ヨハネは、弟子たちを通してイエス様に、「来るべき方は、あなたでしょうか」と尋ねます。しかし、イエス様は、然りとも、否とも答えず、「行って、耳聞きしていることをヨハネに伝えなさい」と言われました。ある意味判断を、私たちに委ねられたとも思えるような返答です。確かに、イエス様がどんなにキリストだと語られても、私たちが、聞く耳を持たなければ、何の意味もありません。

 当時、多くの人々は、イエス様の力ある言葉や行為に、耳を閉ざし、目をふさいでいました。人々にとってイエス様は、ナザレのイエスでしかなかったのです。人々は、イエス様の言葉や行為を、そして、それによって証しされている父なる神を、認めることはできませんでした。

 だからこそ、イエス様は、見聞きしていることを伝えなさいと言われるのです。イエス様は、これまでもたらしてきた「目の見えない人は見え、足の不自由な人は歩き…」という現実を、どう捉えるのかと、問うているわけです。これは、預言者イザヤが語った神の業と重なります。イエス様は、旧約聖書の時代から待ち望まれているメシアとして働かれたのです。

 しかし、それでも、なお、人々は、イエス様を、メシアとして受け入れませんでした。彼らは、いったい何を待ち望んでいるのでしょうか。彼らにとってのキリストとはいったい誰なのでしょうか。

 信仰の原点に戻って、自分たちは何()を、何()のために信じようとしているのかが、問われているのではないでしょうか。改めて、私たちにとって、イエスとは何()なのか。共に、聖書に尋ねていきたいと思います。(村田悦牧師)

マタイによる福音書1032節〜111

 「わたしが来たのは地上に平和をもたらすためだ、と思ってはならない。平和ではなく、剣をもたらすために来たのだ」(10:34)。この言葉に、衝撃を覚える人は、少なくないのではないでしょうか。平和の主と呼ばれるイエス様が、なぜ、こんなことを言われたのでしょうか。

 「もたらす」と訳されている言葉の、基本的な意味は「投げる」です。つまり、「平和をもたらす」という言葉には、「平和」が外側から投入されるというニュアンスが含まれているわけです。ここが、重要なポイントなのではないでしょうか。イエス様は、山上の説教の中で、「平和を実現する人々は、幸いである、その人たちは神の子と呼ばれる」(5:9)と言われました。「平和」というのは、外側から投入されるものではなく、内側から実現していくものなのだということです。

 そして、そのためには、私たち自身が、変わらなければなりません。置かれている現実に満足せず、平和を作り出すために変わっていかなければなりません。その時に、必然的に起きる衝突があります。それは、変化を嫌うものとの衝突です。変えたくない、変わりたくないという力との衝突です。この衝突とどう向き合っていくかが、問われているのです。

 それまでの自分の生き方や、在り方を変えるということは、大変なことです。大きな決断のいることです。しかし、イエス様は、「わたしのために命を失う者は、かえってそれを得るのである」と教えています。変わっていく先に、本当の命との出会いが約束されているのです。この約束に向かって、ご一緒に、一歩踏み出してみませんか。(村田悦牧師)
マタイによる福音書1026節〜31

皆さんには、「恐いもの」があるでしょうか。「恐いもの」があるということは、決して、悪いことではありません。むしろ、生きていくためには、大切なことであると聖書は語っています。しかし、同時に、イエス様は、私たちが、「何を」恐れるべきか、ということを教えておられます。

 結論として、イエス様は、人々を恐れるなということを語ります。この人々とは、迫害する者たちのことです。1016節〜23節において、警戒しなさいと言われた人々のことです。派遣されていこうとする弟子たちに対し、イエス様は、その道のりに待ち受けている困難を明らかにされると同時に、それが、恐れるべきことではないということを、語っているわけです。

 その理由として、2つのことが、語られています。1つは、イエス様によって教えられていることが真実であるということです。どんなに人々に馬鹿にされようとも、責められようとも、真実であるということです。そして、いつか、それが、誰の目にも明らかになる日が来ると言われます。だから、大いに福音を宣べ伝えるようにと、イエス様は仰るわけです。

 また、2つ目は、神の力です。人ができることは限られていますが、神の力は、地獄で魂を滅ぼし尽くすまでおよぶことが、語られています。そして、その力は、私たちが、取るに足らないとしているものにさえも、およんでいることが語られています。そんなお方をこそ恐れるべきであり、そんなお方にこそ、心を向けるように、イエス様は教えておられるのです。

 私たちは、日頃、様々な事にとらわれ、気にしながら生きています。でも、本当に気にすべきお方は誰なのか。改めて心に覚えたいと思います。(村田悦牧師)

全2ページ

[1] [2]

[ 次のページ ]


よしもとブログランキング

もっと見る

[PR]お得情報

いまならもらえる!ウィスパーWガード
薄いしモレを防ぐパンティライナー
話題の新製品を10,000名様にプレゼント
コンタクトレンズで遠近両用?
「2WEEKメニコンプレミオ遠近両用」
無料モニター募集中!
お肉、魚介、お米、おせちまで
おすすめ特産品がランキングで選べる
ふるさと納税サイト『さとふる』
ふるさと納税サイト『さとふる』
実質2000円で特産品がお手元に
11/30までキャンペーン実施中!
いまならもらえる!ウィスパーうすさら
薄いしモレを防ぐ尿ケアパッド
話題の新製品を10,000名様にプレゼント

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事