おぢや元気プロジェクト

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東日本大震災が発生してから早いものでもうすぐ3カ月になろうとしています。6月2日朝出発猪苗代町にある「そうそうサポートセンター」へ布団や紙おむつ、夏服など荷物の半分をおろして、サポートセンターの皆さんと、情報交換をしてきました。浪江町の方々も玄関先で一緒に日向ぼっこしながら記念写真を撮ってみました。毎日が退屈そうです。昨年までは、田んぼ仕事をしておられたそうです。

「そうそうサポートセンター」がある、「ばんだい×2」は2次避難所になっています。
南相馬市の非難されている方が、食事のサポートや施設の掃除管理などをして働いております。

避難していると、一日の生活リズムが作りにくくなってしまいますが。
仕事があると、献立を考えたり、作ったりしながら目的ができて活き活きしているように思えます。

悩み事や、つらいことがあると思いますが、笑顔で頑張っておられます。
そんな中、質問がありました「このまま、この先どうなるのですか、いつまでもこうしていていいんですか」・・・。みなさん、不安です。

立ち止っていると、人はどんどん自分で自分を追い詰めていってしまう面があるようです。

一歩ずつ、一緒に歩き始めませんか?

こんな私でもよかったら、いつでも声をかけてくださいね。

「そうそうサポートセンター」から南相馬市原町第2中学校避難所へ、枕をお届けしてきました。
担当職員の方に、「今一番必要なものは?」とお聞きすると、仮設住宅に引っ越すときに
新しい寝具を持たせてやりたいというお話でした。
現在も避難所は布団や枕がまだ不足しています。
ここの避難所だけでも、200セットは必要だとおっしゃっています。

ここで、とてもうれしいことがありました。
一週間前に、新潟県三条市にある避難所から、南相馬市に帰ってこられた方々にこちらの避難所でお会いしました。私が新潟から来たと聞いて、荷物をおろして帰ろうとしていると、手招きをして避難している1階の教室に、呼んでくださって「ここにいるみんなが新潟で親切にしてもらってきました」、「みなさん本当に親切で情があって素晴らしい方ばかりでした。」「新潟から来たと聞いて、どうしても寄って行ってもらいたかった」と大歓迎を受けました。
一人の女性の方が「親切にしていただいたのに、まだお礼の手紙も出せずにいるんです」と申し訳なさそうにおっしゃっておられました。
みなさん、ようやく地元に帰っても、ご自宅には帰ることができない状況です。
一次帰宅もまだこれからだそうです。
新潟ナンバーの車を見ただけで、駆け寄ってくださいました。
「新潟県の皆さんありがとうございます!」
また他の地域に避難されている方々も、同じように人の優しい思いやりに触れていることでしょう。
助け合えるって、素敵なことですね。
生きる希望が湧いてくるような気がします。

その後、南相馬市役所の秘書課へ行って、のぼり旗の相談をしてきました。

そして、物資置場になっている小川町体育館でそうそうサポートセンターへのお届け物を積み込み。
南相馬市内のビジネスホテルへ宿泊となりました。
途中市内の小さなお惣菜屋さんで買い物をしてホテルへ帰りました。
一泊夕食付きで5,400円でした。

3日は朝7時出発でした。
小高区原発から20礎賄世泙韮狭羸を南下してみました。しっかり検問していましたので一般の人は入れません。
その後鹿島区方面へ6号線を北上すると津波で打ち上げられ流された船が道のすぐわきに横たわっていました。何艘も・・・。

その後、二本松ICを経由していわき市へ向かいました。
実は昨日私が留守にしている間に、新潟県で震度5強の地震が発生していろんな人から電話が来ました。
静岡から、自宅から、OGPメンバーから、そして、いわき市で知り合いになった方々から。
ありがたかったです。みなさん心配してくださって・・・涙が出るほどうれしかったです。

3日は、電話をくださった方がたにお会いすることができました。
みなさん、昨日はごちそうになったり、お世話になりました。
ありがとうございました。

錦サポートセンターの時、バイクで避難者宅を回って、生活支援をしておられた須賀の町内会長で民生委員をしておられた佐藤さんご夫妻とお会いしました。お元気そうでなによりです。
被災当初より、お元気になったようで、とてもうれしかったです。
津波の被害があったが、家が残っているので、なんとか戻ろうかと考えているそうです。
56世帯あったが、戻っている人は7世帯くらいだそうです。

地震後はじめて小浜の浜へ行ってみました。
小さな入り江になっていて両側が小高い岩場に囲まれたようになっており、海岸近くに、一列に黒松の気が、津波で倒れることなくある。
その間の平らな土地に家々が建ち並んでおり、何もなければ、静かで穏やかな海辺の風景
津波に飲み込まれた時の様子などを地元の方が話してくださいました。
まだ、ご遺体が見つかっていない方もおられて、お葬式もあげていない方もおられるそうです。
あまりにも被害が大きくて、小浜に戻ってくる人は、以前の1〜2割くらいだそうです。

家族のように、地域で助け合ってきた小浜の皆さんの苦悩を思うと、胸が張り裂けそうになります。
なんとか、助かった皆さんが、お元気になってまた海に話しかけながら暮らせるようになってほしいと願います。
今はとても酷な風景がそこにあります。
地元の方々が瓦礫の撤去のボランティアをされておられました。
どんな思いで・・・。
そう思うとたまらなく、心が痛みます。

まだ、お茶飲み場「心の駅」は遠いようです。

その後、勿来のS氏宅へ行きました。
今回は、ご夫妻にお会いして、お茶をごちそうになり、色々と現状を教えていただきました。
時間が足りなくて、もっとお話ししたかったなあ〜。またお願いしま〜す。

小名浜のほうに、お届け物をして帰りみち、そうそうサポートセンターに南相馬市からの物資を届けて帰宅しました。

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