ここから本文です
こだわり力
これはY子さんのブログからの引越しです

書庫全体表示

集団行動療法プログラムを受けて2週間目に、私は原井先生の診察と岡嶋先生のカウンセリングを受けました。相変わらず一人で外出出来ないままだったので、父と母と一緒に病院へ行き、診察室に一人で入るのも怖くて、母に一緒について来てもらいました。
「その後、どうですか?」原井先生に尋ねられ、
「ダメです…怖くて何も出来ないままです…」と伝えました。
「そう。とにかく習った事を実践して行ってね。必ず治るから」
「でも、怖くてやっぱりどうしても出来ないのです」
「じゃあ、ますます怖い目に遭うようにやって行って下さい」
私が絶句して、うろたえていると、
「先生、この子、もう一回集団行動療法をやらせた方がいいですかね?」
母がいきなり言いました。

「主人とも話してたんですよ。この間は怖がって、結局ちゃんとやらなかったから、もう一回やらせて、怖い事に直面させた方がいいんじゃないかって」
そんなー!聞いてないよー!そんな提案しないでよー!あんな目に遭うの、二度とごめんだよー!
私はとても焦りました。
すると原井先生が言いました。
「そうだね。この間は怖がって、ちゃんとやれなかったもんね。ちょっとどうするか、岡嶋先生と相談します」
原井先生が岡嶋先生に相談しに行っている間、
私は母に抗議しました。
「ちょっと、余計な事、言わないでよ!やりたくないよ!出来ないよ、もう、あんな事!」
「あんた、このまま何もしなくても、自然には治って行かないよ。何年患ったと思ってるの!」
「イヤやさーっ!やりたくない!」
「今の医療では、行動療法しか治せんのや。いくら薬飲んでも何年もダメやったろ?治りたいんなら腹くくるしかない」
「イヤやさ、やれんもん!やりたくない!」
「やるかどうかは先生が決める事や!」

原井先生が戻って来て、「岡嶋先生も、もう一回やった方がいいって言うし、来月、もう一回やってみようか」 
と言いました。何だか死刑の宣告みたいな気がしました。
「でも私、たぶんまた出来ないと思います…」
「じゃあ、出来るようになるように、是非もう一回やりましょう!」
原井先生はキビキビと言って、薬を2週間分出すと、
「はい。じゃあ、今日はいいですよ。岡嶋先生のカウンセリングに行って下さい」と、 
もう私が口をはさむ余地がない感じで、退席を促しました。
ああ〜。やるのか〜。やるしかないのか〜。ああ〜。
とてもとてもイヤな気持ちでいっぱいでした。それに心臓がドキドキしてきて、息苦しくなりました。

またあんな目に遭うなんて、絶対イヤでイヤでたまりませんでした。
だけど、心の片隅にちょっとだけ、前回ちゃんと出来ずじまいだった事に対する後悔というか、情けなさというか、悔しさもありました。
あの日以来、私は強迫の症状だけでなく、ダメな自分を情けなく思い、とても落ち込んで、ウツ状態になっていました。強迫性障害の患者は、その3分の1がウツ病を同時に患うとの事ですが、私も例に漏れず、そうなっていました。私は元気だった頃、どんなに仕事が大変で、どんなに締め切りが迫っていても、上司がどんなに無理な仕事発注をしてきても、文句は言いまくったけど、絶対投げずに、何日でも徹夜して、仕事をやりこなしていました。私は絶対負けない!という自負がありました。

そんなに出来のいい仕事をしたわけでは無いですが、どんな無理な発注をされても、絶対に締め切りは落とさない自信がありました。また、そのように頑張って来ました。それとプライベートでバンドをやっていて、私はとても下手くそなベース弾きではあったけど、でも、どんなに仕事が過酷で睡眠不足でも、バンドも真剣にやりました。

過労で倒れて救急車で運ばれた事もあったけど、だからと言って、後に退いたりはしませんでした。明け方まで仕事をして、2時間くらいの仮眠を取り、朝、電車で仕事の打ち合わせに行って、午後はまた自宅で作業、夜に1時間かけて都心に行き、バンドの練習をやって、帰って来て、ごはんを食べながら、また仕事。ライブがある日も作業がある日がほとんどだったので、ライブを終えて、夜中に家に戻り、風呂に入ったらまた明け方まで仕事。少し仮眠を取って、また早朝に起きて作業と打ち合わせ…土日も祝日も関係なく、毎日仕事をしていました。そんな生活をもう7年くらい続けていました。経済的にも自立していました。自分の稼いだお金で、全部やりくりしていました。同居人の相棒が、貯金ゼロなくせにお店を開いて、でも売上が無くて、金銭的に困窮した時も、私が働いて、まかなっていました。だから、私はグチや文句は言いまくっていたけど、自分はタフで、強いと思っていました。根性があって、気力がある方だと思っていました。

でも、行動療法をやって、泣いてばかりで全然出来ないまま帰って来た事で、私のそんなちっぽけな自負心は、粉々に砕け散ってしまいました。今まで強いと思い込んでいた自分を恥ずかしいと思い、今まで何て、身の程知らずだったのか、と激しい自己嫌悪に陥りました。そして、私は子供でも平気で出来るような事が怖くて出来ない、ただの弱虫じゃないか、と落ち込みました。それもこれも、みんなこの病気のせい!そんな気持ちを持って、自分に言い訳して、自分の弱さを認めようとしなかったけど、 心のどこかでは、ほんのちょっとだけ、治療を上手くやれなかった自分に腹を立てていて、出来なかった自分が悔しいと思ってもいました。だから、ここでまた逃げたら、私はますます落ち込んで、また死にたくなるだろうと思いました。
死ぬのは全然構わないけど、「逃げる」という事に対して、私はROCKなんかをやっていたクセして、逃げる自分が許せない、と、ちょっとだけ思ったりしました。

ハレちゃんと言うバンドの友人が、私に、「Y子はROCKERなんだから、こんな所で折れちゃダメだよ。踏ん張らなきゃダメだよ」と言った事を思い出しました。
ROCKERだなんて、私はそんな、全く上手くもないし、カッコよくも出来ないし、とても声を出して名乗れたもんじゃないけれど、でもやっぱり、ROCKERな人生に憧れていたし、一生ROCKをやって生きて行きたいと思っていたから、逃げてばかりじゃダサい!カッコ悪い!ROCKやる資格ない!とほんのちょっとだけ思いました。

私は現実的には、とってもダサダサですが、それに輪を掛けてダサくなるのはイヤだなぁ、と思いました。他の人からすると、とってもアホな、とても40代が考える事じゃないように思って、鼻で笑われてしまうかも知れませんが、その時は、わりと真剣に、そう思いました。ただし、ほんのちょっぴり、ほんのかすかに心によぎっただけですけど…ROCKがあったから救われたの?と聞かれれば、そうではない、と答えると思います。単純に、逃げてばかりのダサい自分にムカつく、という気持ちが、今にして思えば、あの時にあったのでは、という感じです。

ただ、確かに自分に自分でムカついてはいたけれど、その時の私は、恐怖感の方が大きかったとも言えます。なので、2度も集団行動療法を受ける事に、とても心が揺れて、ざわめいていました。 
「どうぞー」
ざわめいた気持ちで待合室のソファに座っている私に、岡嶋先生がカウンセリング室のドアを開けて声を掛けました。私は、岡嶋先生に何度も質問メールを送った挙げ句、返事が来なくなってしまったのと、 岡嶋先生は私にあきれ果てているのでは無いか?という推測から、ちょっと先生と顔を合わせるのに抵抗がありました。どんな風な顔をしたら良いか、戸惑いました。
「次の集団治療、受けて下さいね」開口一番、岡嶋先生は言いました。
面と向かってそう断言的に言われてしまうと、何だか「イヤです」というのが、はばかられました。でも、やっぱり出来る自信が無かったから、ちゃんと拒否した方がいいのかな?と思いました。でも、力強い大きな目でギッと先生が私を見つめ続けていたので、私はビビッてしまって断れず、
「はい…」
と言ってしまいました。
「前回の集中治療もそうだけど、あなたは怖い怖い、出来ない出来ない、イヤだイヤだの一点張りで、全然本気で治そうとしていなかったから、私はもう、あなたを放っておいたんです。そういう風に、なんだかんだで逃げているという事は、あなたは本当に治したいと切羽詰まっていないんです。まだ余裕があるんです」岡嶋先生は言いました。
切羽詰まってないと言われても、私は怖くてたまらなくて、毎日切羽詰まったギリギリの気持ちで生きてるんだけど…余裕も何も、あったもんじゃないのだけれど…私は、岡嶋先生が言われた事に対して、あまりピンと来ませんでした。

「それで調子はどうですか?」岡嶋先生に尋ねられたので、私は怖くて何も出来ない事、ちょっとだけ平気で出来るようになった事まで出来なくなった事、確認行為が止められない事、また母に確認をお願いしてしまっている事を告げました。 
「では、何もやらないで、一日ずっと寝て過ごして下さい」
岡嶋先生の言葉に、どういう事だろう?と思いました。だって治療のためには、積極的にいろいろやってみる事が必要なのに、何故、逆の指示が出たんだろう?
「トイレとごはんとお風呂以外は、何もせず、ずっと布団の中で寝て過ごして下さい」 
「…はい…」
「2週間、そうして下さい」
「わかりました…」
「寝ている間、考え事をしてはダメですよ。とにかく何も考えずにずっと寝ていて下さい」
それから岡嶋先生に、不安時に起こる身体の緊張を取るための体操などを習って、
カウンセリングは終了となりました。
でも、私は心に引っ掛かっている事があり、それをどうしても先生に聞いてもらって、判断してもらいたい事があり、
「先生、私、新しい事が怖くなるようになってしまったんです。強迫観念がひどくなってしまっているんです。机の上のシミや、会社の廊下のホコリを見ただけで、それが自分のキャッシュカードだったらどうしよう?って思ってしまうようになって…どうしたらいいでしょうか?」
「はい、今日はおしまいです」
「あ、でも、全然関係ないものが目に入るたびに、それが自分の大切な物を落としているんだったらどうしようって…」
「症状は何でもいいんです。質問したくてたまらなくなるのも、強迫の症状です」
「すみません…ただ質問とかでは無くて、新しい症状がどんどん出てくるので、伝えた方がいいと思って…」
「自分はこんなに大変なんだ、こんなに苦しくてかわいそうなんだと訴えても意味はありません」
「あ…そうではなくて…」
「これで今日は終わりです。言いたい事をスッキリするまで言わないと気が済まないのも強迫行為です」
「………」
「中途半端な気持ちのまま、部屋を出ていって下さい。中途半端なまま終わる、それも治療です」
私は中途半端な、すごくモヤモヤした気持ちで診察室を出て、来月の初めに行われる集団行動療法プログラムを再び予約しました。
中途半端なまま…中途半端な煮え切らない気持ちのまま過ごす…スッキリするまで、自分が思った事を全部言いきるまで伝えようとする…疑問が生じたら、すぐに答えを知りたくなる…そう言われてみれば、私は強迫を患う前、ずっとずっと昔の子供の頃から、わからない事があると、「なんで?どうして?これは何?どういう意味?」と自分が納得するまで親に尋ねていたのを思い出しました。

学生になって授業中にわからない事があると、積極的に先生に質問していました。大きくなっても、何か疑問に思ったり、腑に落ちない事があると、図書館に行って本で調べたり、ネットを使うようになってからは、ネットで調べまくったりしていました。とにかく「わからない、疑問に思ってモヤモヤする」という状態がイヤだったのです。 

物事を何でも白黒ハッキリつけないと、気が済まない所がありました。今でもそういう性格です。なので人間関係においても、まわりくどい言い方でどう思っているのか煮え切らない人には、「どういう事なのか、態度をハッキリして欲しい」と詰め寄ったりしていました。バンドなどにおいても、メンバー間に活動に対する温度差が生じたりすると、
「本気でやりたいと思っているのか?このバンドに対してやる気はあるのか?」というような事をメンバーに言って、バンドが解散してしまう事もありました。

会社で、いい加減で責任感が無いと感じた上司には、「上司として責任を感じているのか?どうしてこんないい加減な段取りが組めるのか?仕事をなんだと思ってるんだ?」と、いつも詰め寄っていました。

それでも上司がお茶を濁したような返事を言って、相変わらずいい加減なスケジュールを組んだりすると、会議の場で、その上司を糾弾したりしていました。
とにかく態度をハッキリ、そしてちゃんとしてもらわないと気が済みませんでした。私は白黒つける事こそが、より正しい結果を導き出す事であり、あいまいな、灰色な感じは、生きざまとしてもカッコ悪いと思ってさえいました。それにわからない事を納得が行くまで出来得る限り徹底的に調べて知ろうとする事は、 良い事だとさえ思っていました。

そして自分自身の態度についても、出来るだけハッキリ、キッパリ、態度を表明する事こそが人に対しても自分に対しても誠実な事であり、礼儀である、とも思っていました。私の価値観、美意識は、そういう所で形成されていたのです。私は小学生の頃から大人になるまで、親や学校の先生、そして上司などに、
「あなたは四角四面過ぎる」
「真面目に受け取り過ぎる」
「白黒ハッキリしないと気が済まなさ過ぎる。灰色の部分も世の中にはあると知るべき」 
「完璧を求め過ぎる」
「自分にも厳しい所があるが、他人に対して厳しすぎる」
と言われ続けて来ました。

でも私は、そうする事が誠実で正直な事であり、美徳でもあると思っていたので、そのように指摘されても、自分が間違っているとは思いませんでした。むしろ、そのように指摘してくる人のその考えが、よくわかりませんでした。だから、わからない事をわからないまま放置する事は怠惰だと思っていたし、人に対して煮え切らない、あいまいな態度を取る事は、相手に対して逆に失礼にあたると思っており、期せずして、自分があいまいな、うわっつらな態度を取ってしまった時は、激しい自己嫌悪におちいったりしていました。そして、もっとしっかり、ハッキリしなくては!と心に誓ったりもしていたのです。

しかし岡嶋先生に指摘されて、中途半端なまま終わると言われてみると、「私は、本当は、自分がスッキリしないから、気が済まないから、そういう白黒ハッキリした態度を取っていたのでは?」「礼儀とか誠実とか、勤勉とか責任の所在とか、そういうのは本当は建前で、実は自分の心がモヤモヤするのがイヤなだけだったのかも?」と思い、ハッとしました。
そう言えば、一番最初に岡嶋先生のカウンセリングを受けて、自宅でやる行動療法の課題を出された時、どうしても上手くやれなくて、「なかなか出来ません」と先生にメールをした時に、「強迫の人はすぐに答えを出そうとします。すぐに完璧を求めようとします」と言われた事があったのを思い出しました。確かに、自分の中の疑問、不安、そういったものが即座に解決したり、判明したり、スッキリしないといても立ってもいられずモヤモヤする傾向がとても強い気がしています、強迫性障害を患う方々に何人か接してみると…そしてそれは岡嶋先生の言葉から解釈すると、不安や疑問を持ったまま、持ち続けたまま、それを我慢することが出来て、なおかつ他のやらなくてはならない事に行動を移行することがとても苦手で、心の耐久性がとても低いがゆえに白黒ハッキリ、速攻で解決しなくては気が済まないのだと今にして思います。

とにかく、疑問や、あるいは先生などに訴えたい、聞いてもらいたいことがあっても、聞いてもらわず、中途半端なまま、わざと放置する…放置して耐える訓練をする…それこそが訓練、いわゆる治療の一つに当たるのだとこの時知りました。また、この治療をされて、当時はとても辛かったですが、でもそのおかげで良くなったのも事実でした。
つづく

http://static.wixstatic.com/media/b10430f4334e97e4dada486868bdc32b.jpg

本文はここまでですこのページの先頭へ
みんなの更新記事