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こだわり力
これはY子さんのブログからの引越しです

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 「いいかっ!今度逃げて帰って来たら、名古屋にはもう絶対行かせないからなっ!家にいても、お母さんがもう精神的に限界だから、今回の治療でダメだったら、お前をどこか病院に、強制入院させる!これは脅しじゃ無いぞ!ボクがやると言ったら絶対やる事を、お前も知ってるだろう! いいか、わかったか!これが最後だぞ!」
 集団行動療法の日の朝、父は私に言いました。前日、やってはいけない確認ばかりを繰り返す私に激怒し、そんなお前は行動療法をやっても無駄だ、やるなと言われた事をやって勝手に苦しめばいい、本気で治す気が無いお前はもう名古屋に行く資格が無い、病院の先生に行きませんと断れ、と怒鳴った父に、私は必死で頭を下げて、もう一回だけチャンスを下さいとお願いしました。

 父は頑として譲らなかったのですが、何度も泣いて土下座する私に、これが最後と、チャンスをくれました。別に父の許しを得なくても、行きたければ自分で行けばいいじゃん、と思うかも知れませんが、その時の私は一人で外出する事が出来ず、情けない話ではあるのですが、どうしても父に車で連れて行ってもらわねばならなかったのでした。

 名古屋に着き、午前中、私は岡嶋先生のカウンセリングを予約していたので、それを受けました。
 「どうです?寝たきりをやりましたか?」
 「はい」
 「どうでしたか?」
 「最初のうちは良かったんですけど、だんだん新しい強迫観念が浮かぶようになって、止まらなくなって、確認行為を何度も何度もしてしまいました。寝たきりだから何もしなくても良くて楽になるハズなのに、何だか余計に具合が悪くなって、怖くて怖くて一日中、恐怖感と動悸が止まりません」 
 「そうなんです。わざとそういう風になるようにしたのです。それを「どん底体験」と言います。」
 「えっ?わざとですか?」
 「そうです。寝てばかりで何もしないでいると、どんどんと頭の中では余計な事を考えるようになるでしょう。『ヒマは強迫の大敵』なのです。何もしないでいると、他に考える事が無いから、ますます頭は一番気になっている強迫観念の事を考えてしまいます。それを体験してもらいました」
 「………」
 「さて、あなたはどん底に落ちてしまいました。あとはもう、はい上がるしかありません。今度こそ、しっかりやって下さい。あなたが本気で治療をするなら、私は後ろから、ちゃんとフォローします」

 岡嶋先生のキッパリした言葉を聞いて、私は「やるしかないな」と思いました。今の私の状態が、本当にどん底なのかはわからない、さらなるどん底が実は存在するのかも知れない、と思ったけど、でもとてもとても苦しい状態だったので、このままでは身が持たないと思いました。はい上がるしか無い…でも、本当に私にはい上がる事が出来るのだろうか?心は不安でいっぱいでした。自分に全く自信がありませんでした。また出来ないかも知れない…だって、こんなにも怖いのだから…こんなに頑固に頭に染みついてしまった恐怖に、私は立ち向かえるのだろうか?

 集団治療の初日は、午後からの講義と患者達の自己紹介なので、私はいったん病院を出て、両親と一緒に昼食を食べました。食べながら、とてもドキドキしていました。元来、私は、とても食いしん坊なのですが、この時は、あまり食事がノドを通りませんでした。
 「何、あんた、暗ーい顔してー!ほんっとビビリな子やな。私の子とは思えんわ。陰気な顔してると余計に暗闇に取り憑かれるぞ!どうせ行くなら、胸張って行かんかーい!」
 母にハッパをかけられて、私は気付けにタバコを2本、立て続けにバスバス吸った後、 病院に向かって歩き出しました。

 下手に「よし!」とか「頑張るぞ!」とか思うと、出来なかった時のショックが大きいので、それは今の私には耐えられないと思い、なるべく心をフラットに、何も感じないように、ただひたすら足を動かして「病院についたら、もう一本タバコを吸っちゃおう」とか思いながら、わざとフンフン鼻歌まじりに、今の自分を茶化す感じで、早鐘のように鳴る心臓の動悸は「鳴りたきゃ鳴れ!」とわざと強がって、あっけらかんとした心境になるように努めて行きました。前回治療を受けた患者と、今回新しく受ける患者が部屋に集いました。

 前回一緒に治療を受けたみんなは、とても元気そうでした。みんなまだ怖い気持ちや強迫観念はあって、闘い中ではあるけれど、日常生活で積極的に出来なかった事に挑戦していると言っていました。そしてまだ完全には良くなっていないけど、いくつかはわりと平気で出来るようになって来たと言っていました。みんなの症状を知って、みんながどれだけ苦しんで来たかを知っているので、治療前の自信の無い、口ごもったような小さい声とは違って、強い声でハキハキと自分の治療後の結果を報告するみんなを見て、みんな、がんばったんだなぁ、よかったなぁ、と思いました。やっぱり努力した人にだけ、この喜びは与えられるんだろうな、と思ったりしました。 みんなも、それぞれにとって、死にたくなるくらい怖い事をやって克服して行ったんだと思うと、私もしっかり頑張らなくては、と、何だか励まされました。でも一方で、私に本当に出来るのだろうか?私はやり遂げる事が出来るんだろうか?と、ドス黒い不安が胸の内でグルグルグルグルしてもいました。

 原井先生による病気に対する解説と、治療の講義があった後、今度は今回新しく治療を受ける患者の自己紹介がありました。みんなそれぞれの、理不尽だとはわかっていても、次々に沸いて来てしまう強迫観念に怯えていて、症状の事を口にするのもはばかられると言った感じで、自信のない、弱り切った小さい声で、言いよどみながら自己紹介をしていました。みんな症状の説明をする以外に、「怖くてたまりません」「怖くて出来ません」「こうなったらどうしよう?」と、言っていました。それぞれの恐怖の対象の事が怖くて怖くてたまらなくて、どうしてもやれない…と言っていました。

 それを聞いていて、私は、「避け続けるから余計に怖いんだよ!怖いという気持ちの言う事を聞いちゃうから怖いんだよ!やらなきゃ出来るようにならないよ!頑張ってみなよ!やってみなよ!やらなきゃダメだよ!」と、何故か自分の事は棚に上げて、思っていました。そしてそう思った瞬間、ハッ!と思いました。

 これって、今の私の事じゃん!

 他人の事は客観的に判断出来ても、自分の事となると恐怖という感覚に耐えきれないあまり、本当の事が見えなくなって、自分がどうしたら良いのか全くわかっていなかった、と気づきました。ちょっとこれは、かなり目からウロコな体験でした。それまで私は、病院の先生から「こうしなさい」と指導されて「なるほど!」と思い、 本なども読みあさって「こうしなければならないな」と思い、さらに原井先生がやってる患者同士のやりとりが出来る掲示板で
治療を受けて良くなった人が書いてる「辛くても耐えてやり続けること」というアドバイスを読んで、「そうだよなぁ、やっぱりそうなんだよなぁ、やるしかないんだよなぁ」と思い、自分がやらねばならない事、この病気の治療は何をすれば良いのか、という事をわかっていました。

 だけど、やろうとすると、それは他の人にとっては何でもない事ばかりだけど、私にとっては究極に怖い事ばかりで、怖くて怖くてたまらなくて、やれ!やるんだ!よし!やるぞー!と気合いを入れてみても、どうしてもやる事が出来ず、何で他の人は怖くてもやれたのに、私はやれないのかなぁ?と不思議に思い、かつ、焦っていました。出来なくて、焦って、そうこうするうちにも怖い気持ちはバンバン沸いて来て、「どうしても怖くて出来ないのですが、どうやったら出来るようになりましたか?」とか、「怖くても、やっぱりやるしか無いんですよね?」など、その掲示板に質問を書いたり、岡嶋先生にメールで質問していました。「身を捨ててこそ、浮かぶ瀬もあり」と書いてくれた人もいました。

 身を捨てるつもりで思い切ってやれば、その先には良い結果が待っている、自分も怖くて怖くてたまらなかった、でも必死でこらえてやり続けた、そしたら、だんだん怖がらずに出来るようになって行った、と、その人は、私の「どうしたら?」の質問の答えとして書いてくれました。そうだよな、やっぱりみんな、怖いんだよな、でもやったんだよな、やるしかないんだよな、そう思って再び自分でチャレンジするのですが、どうしても怖い気持ちに逆らえなくて、出来ないでいました。

 何で自分は出来ないんだろう?どうすれば出来るようになるんだろう?ずっとずっとずーっと、そう思って月日が経ちました。やらなきゃならないのはわかってるし、やろう!とも思う。そして実際にやろうとする。だけど、やっぱり出来ない。

 どうして?
 何かコツはあるのか?
 ずっとそう思って来たけど、今、まさに、コツをつかんだと思いました。
私はこれまで、人から情報を与えてもらって、なるほど!と確かに思いました。それをやれば良くなって行く、という事も、患者さん達の体験談を読んで理解していました。そして、私もそれをやれば良くなれる、とも思いました。そこで、やろうと思ってやってみていました。でも、とても良く理解していて、やろうとも思っているのに何故出来なかったか?その答えがわかりました。表面的には、確かに私はとても良く理解をしていました。とても知識を得ていました。各国の精神医療において長年行われていた患者の治療実績の統計からも、それはベストでは無くても最もベターな方法だと数値的にも実証されていました。なので、それはとても信頼のおける治療法だと確信しました。是非やってみよう、とも思いました。なのに、何故出来なかったのか…つまりは私は、頭でそう理解していただけだったのです。「出来なかった」のではなく、「やらなかった」から出来なかったのだと気づきました。 本当にまっさらな目で、自分自身をちゃんと見ていなかったのです。

 私は病院の先生や患者さんの体験から、やるべき情報は得ていました。それはとっても良いものだと思いましたが、この時点では、私の態度はまだ「受け身」です。「やろう」「やれ」「がんばれ」と思いましたが、それは情報を受けてそのまま生じた気持ち、っていうだけでした。その情報を実行するにあたり、私は自分の事を、自分の欠点を、心底観察して気づいていなかったのです。受け身な状態のままやろうとしていたから、本気な自分の意志でやる、と言うよりは、 その時は全くそういう自覚は無かったけれど、実は無意識に、「良いと言われて、やらされている」的な、どこか自己責任を放棄した、責任転嫁な気持ちがあったのではないか?と思ったわけです。自分では自分からやってるつもりでいたけれど、実はほんとはとっても受け身な、他者からの指示待ちな、「先生がこう言ったからやる」「患者の誰それさんがこう言ったからそうする」みたいな、非常に自己決定の責任をまぬがれた、他人に決めてもらったままやろうとしてたから、 結局、自分で決心がつかなくてやれなかったのでは、と。

 本気で心底自分の意志と責任でやろうとしていたのではなく、「自分で」という自覚をしないままやろうとしていたから、結局「怖い」という気持ちが起きた時に、怖い気持ちを味わう事に耐えられない、耐える努力が出来ない自分、病気とは全く関係が無く、そもそも自分が「怖い」とか「不安」に対する耐性が弱いという本質、現実から目をそむけて、「病気になったせいで怖いから出来ない」「不安のせいで出来ない」「あれが怖いから出来ない」と、自分の耐性の弱さを自覚せず、「病気」「不安」「怖いと思う対象物」という自分以外の第三者のせいにしてばかりいたから、私は出来なかったんだ、と自覚しました。

 確かにこの病気は辛い。とてもじゃないが苦しくてたまらない。世の中の人の全てが怖いと思う事ではなくて、自分でもバカみたいと思う事が怖くなるから余計に辛い。そういう状態になってしまうのは病気のせい。病気の症状。だけど、病気によって生じる「怖い」「不安」という物を、どう受け止めるか、どう処理するかは自分次第なのだ、病気だから出来ないのでは無く、私自身が持っている何か起きた時の対応能力が弱いから出来ないんだ、と気づきました。そして「出来ない出来ない」と訴え続けていたけれど、その自分の弱い部分を「病気だから」と自分に言い訳して、自分の本当の問題点をちゃんと見ようとしなかったから出来なかったんだ、と思いました。

 私はたとえ、まぐれでこの病気が治っても、また全然別な事で壁にぶつかった時、それに対処出来ずに人に相談しまくって、自分では何も出来ない人間になってしまう!と危機感を覚えました。そういう生き方じゃ、もう子供じゃないからやって行けないし、周りが見守って手助けしてくれる子供に戻りたいと言っても、悲しいかな、それは不可能だし、何よりも、自分の弱い部分に目をそむけて、何か他のせいにして、結局自分の足で生きて行けないような、そんな生き方はダサくてカッコ悪いと思いました。よくよく考えてみれば、この強迫性障害という病気も、私が怖いと思ってしまう物たちも、周りの人間も、先生のアドバイスも、患者さん達の体験談も、それ自体には本当は何も意味は無く、ただ目の前に「それ」として転がっているという現象にしか過ぎず、言ってみればそれは、道ばたに転がっている石と同じなわけで、それにどう意味を持たせるか、それをどう感じてどう捉えるかは、自分次第なのだ、と思いました。

 そう思った時に、私がそれらに対してどうするかは、自分で決めるしかないのだ、と確信しました。いくら周りが「これは良いよ」と勧めてくれても、結局本当に自分にその気が無ければ、それはただの机上の空論になり果てて、何の役にも立ちはしない、と思いました。私がつかんだコツとは、「どう行動療法をやるか」「どうしたら行動出来るようになるか」では無く、まずは「不安な気持ちや不安な感覚に耐える力が弱い自分を鍛える」という事でした。 
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