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こだわり力
これはY子さんのブログからの引越しです

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心は筋肉にある

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 そう言えば…私は思い出した事がありました。
 一番最初に岡嶋先生のカウンセリングを受けた時、
 「あなたが本当に怖がっているのは、『こうなったらどうしよう?』という未来の結果ではありません。不安や恐怖を感じた時に生じるゾワゾワとした感覚、心臓がドキドキする事、手足が震えてくる事、息が苦しくなる事、それに耐えられないという事が、あなたにとっての問題なのです。だから、弱々しくて重いバケツが持てない今のあなたの心が、水がいっぱい入ったバケツを何個も持てるように訓練して行きます。あなたに重いバケツを沢山持ってもらって、重い重いと言いながらも持ってもらう事を治療としてやって行きます」
 と岡嶋先生に言われていたのです。その時は、あまりピンと来ませんでした。重いバケツ…つまり私にとっては大きな恐怖感なわけですが、それを持ちたくないし、取り去りたいから病院にやって来たのに、それを沢山持つ訓練とは何事か?と思ったりもしました。

 また岡嶋先生は、「心は筋肉にある」といつも言っていました。そして恐怖や不安を感じている時は交感神経が優位に働いて、本能的に身体が緊張状態になる事を言われ、筋肉が緊張を持続すると、不安感がより増すという事を言われました。そして不安を感じてガチガチになっている身体の筋肉をほぐす運動だったり、緊張すると奥歯をグッと噛みしめて、アゴに力が入り、それがまた緊張を呼ぶ、という事で、口まわりを緩める体操などを教えてもらいました。

 そもそも動物には、みな備わっている能力で、敵に出会った時、身体を緊張させ、動悸を早くして血を身体に巡らせ、いつでもすぐに逃げられるようなしくみが備わっています。筋肉が弛緩していては、すぐに行動出来ないですから、筋肉をギュッと硬直させて、戦闘モード、逃亡モードに自動的になるのです。そしてそのモードを発動させるのは「不安感」であり「恐怖感」です。このアンテナがピピピッと警告を発する事で、身体の筋肉に自動的に戦闘態勢に入る指示が行くわけです。だから身体の筋肉が緊張状態にあればあるほど、不安を感じる事になるって寸法です。 

 そういうしくみだとちゃんと知ったのは、随分と後になってからの事で、先生から筋肉を緩める体操を習うたびに、これって本当に効果があるのかなぁ〜?それよりも、この恐怖感を早く取ってくれないかなぁ〜?などと思っていたのですが、
 「すぐに効果があるという物ではありません。私の治療体験で言うと、平均3ヶ月くらいで効果が出ます」と先生が言われたので、とりあえず信じて日々続けていたら、確かに、本当に、恐怖を感じている時は身体がガチガチに緊張していて、肩こりもひどく、また口元にかなり力が入ってしまっている事に気づきました。そして不安になるたびに筋肉を緩める体操を続けて、普段から身体の力をダラーンと抜くようにしていたら、しばらくしたら、前よりも極度な緊張に襲われる事は少なくなって来ました。「心の病気」と言っても、心も「脳」という「肉体」なわけなので、身体は全て、いろいろ連動して、いろいろ作用しあっているんだ、肉体改善から始める心のケアというのもあるんだ、と改めて実感しました。

 「リラックス」という言葉がまことしやかに巷に溢れていますが、病気になってしまうと、それは単なるおまじないみたいな、とっても頼りないものに思えてしまい、とにかく速効で悩みや苦しみを取り除いて欲しいと思ってしまいますし、そう思ってしまうのも仕方の無い事ですが、やはり「リラックス」なモードを発動しないと、不安はますます増幅し、継続されてしまう、と、体験を通して思います。どんなに悩み苦しんでいても、例えばお風呂の湯に浸かった瞬間は、たとえ一瞬でも、 「ふわぁ〜、いいお湯〜」と自動的に思ってゆるんでいる自分がいると思います。
あまりにも悩み苦しんでいると、それには気づかないでいますが、よくよく観察してみると、悩み苦しむ自分の片隅で、感覚してそう思い、ほんの一瞬だけゆるんでいる自分を見つける事が出来ると思います。そんな感じです。身体がゆるんでいる時は、気持ちも快適を感じているんです。

 だから私は岡嶋先生から、アロマや、自分の気に入った香水をつけてみたら?という事も教えてもらいました。
私は病院の帰りに高島屋デパートにあるアロマグッズを置いてある店に行き、購入していろいろなアロマエッセンスを試してみて、ローズマリーの香りが好きだなぁ、と思い、今でも時々、夜寝る前などに、ローズマリーのオイルをアロマの電気ポットで温めて、 良い香りを嗅いで、落ち着いた気分になったりしています。考えても考えても答えが出なくて不安な時は、内面から何とかするのではなく、時には外側からアプローチしてみる事も大切なんだという事を知りました。

 病気を治す…しかしその前に、私は不安や恐怖を支えきれない心を鍛えなくてはならない!と思いました。人によって何が良いのかはわかりませんが、私にとって、行動療法をちゃんと本気で心の底からやろう、って思えるには、先生や良くなった患者さんのアドバイスや、本から得た知識だけではダメで、自分で自分の弱点に「気づく」、そして「自覚する」という事が必要だったのでした。 
 人から指摘されても、必ずしも心の底から身にしみて自覚出来るかと言うと、そうでは無いと思います。指摘されて「そうか、そうなのか」と思ったとしても、それは自分が受け手な立場で得た情報にしか過ぎないから、「理解」はしても、「自覚」した事にはならず、やっぱりどこか他力本願、責任転嫁になってしまいがちで、自分で自分の奥底から、能動的に「ハッ!」と思わないと、なかなか全身全霊を持って、自覚出来るものでは無いとも思ったりもします。

 病気だから自覚出来ないのでは無く、そもそもの性格やら性質として、自覚能力が欠如しているのか、自己愛が強すぎて自分に酔っているのか、自己保身が強いあまりに自分に自分で言い訳をしてしまうせいなのか、臭いモノにはフタをしてしまう習慣で生きて来てしまったからなのか、それはその人その人によって違うと思うし、「どうして?」「どうしたら?」という答えは、自分を自分で観察して、目をそむける事なく現実を直視するしか方法は無いたぐいのモノで、自覚出来るかどうかというのは、自分次第な問題なんだと思います。

 ともかくも、私は私のダメだった所に全く気づかず、「病気のせいで」「病気で怖くなり」「病気で出来ない」と、ひたすら「病気」を水戸黄門の印籠みたいに自分に対しても周りに対しても先生に対しても振りかざしていて、自分としてはそんなつもりは全く無かったのですが、結果的にはそういう事をしてしまっており、「自分の弱さがもともとあったからなせい」と言う事に気づかず、あるいは潜在的に気づいていたのかもしれませんが、そこに着目する事なく、ひたすら「治して欲しい」「楽な気分にさせて欲しい」とばかり思っており、「病気を何とかして欲しい」と言う事に囚われ過ぎて、他力本願で、受け身で、自分から殴り込んでやる!という気持ちに欠けていた事に、2度目の集中行動療法プログラムを受け直し、前回の私と同じように、怖い怖いと病状を怯えて訴える、新しい患者さんを見て、そこに自分の姿が重ねて見えて、どこを治せば良いのかに気づきました。

 だから、私にとっては、この集中プログラムにもう一度参加して、本当に本当に良かったと思います。参加しなければ、今でも気づかず、治らない、出来ないと嘆きながら、原井先生や岡嶋先生に訴えてみたり、掲示板にクドクド同じ質問を書き連ねてみたり、 親や相棒に「助けて!私は病気なんだから!」と頼ってばかりいたかも知れません…私はそもそも、とても臆病で保守的で、変化が苦手な人間なのです…どうやったら、不安に弱い心を鍛えられるか…それは岡嶋先生が最初のカウンセリングで言われたように、重いバケツを沢山持てるように訓練しなければならない、と思いました。

 身体の筋トレは、辛くても痛くても何度も腹筋したり、重いバーベルを持ち上げたりして、筋肉にわざと負荷(ストレス)をかける事で鍛えていきます。マラソンを完走出来るように鍛えるには、同じ距離を何度も走って、身体を慣らすしかありません。でも負荷をかけて訓練するうちに、だんだん鍛えられていって、かかる負荷に耐えられるようになって行きます。そう言えば、怪我や病気で歩けなくなった人は、リハビリ訓練をします。
あれは、とても痛そうで、辛そうです。でも、歯を食いしばりながら訓練した結果、再び歩けるようになって行きます。

「心は筋肉にある」それならば、心も同じだな、と思いました。ストレスは忌み嫌われていますが、かと言って、全くストレスをかけない状態では、それに対する抵抗力が無いままとなってしまいます。過度のストレスをかけ続ければ、潰れてしまいますが、ある程度のストレスは、むしろかけて行かないと、抵抗力や耐久力はつかないんだ、と思いました。要は私は、たぶん、自分ではそうは思っていなかったけど、何か不安や怖い事があった時、小さい頃からの人生の中で、本当に自分一人の力で耐えたという経験が少なかったような気が今ではしています。自分なりに悩み、考え、こらえてはいましたが、必ず親がなんだかんだで助けてくれるか、友達に悩み相談して答えを出してもらうか、 彼氏に代わりに助けてもらうか、みたいな道を選択しがちだったような気がしています。 

 よし!わざと怖い事をやって、怖さに直面して、それを続ける事で、怖さに慣れて行こう!そう思いました。
怖さに対抗する力を付けるには、怖さを体験する事でしか身に付かない!何もしないである日突然、パワーアップしてるワケが無い。出来ないから出来ないのでは無い。やらなかったから、出来なかったのだ。出来る出来ないではなく、やるかやらないかなのだ!そう強く思いました。そうは言っても、怖いものは怖い。また前にやったような事をわざわざ体験するのかと思うとゾッとしました。イヤだなぁ〜、と思いました。心臓もバクバクしています。でも!この怖さ、辛さは、私が強くなるための、ひいては病気の症状で怖くなってもそれに耐えられる力をつけるための、避けては通れない関門なんだ!治るために、必ず通らなければならない関所なのだ!と思いました。この怖さを経験して、たとえ当たって砕けろ的になったとしても怖さに直面しなければ、 私は一生このまま、怖さに怯えて暮らす人生になってしまう。なるべく怖くないように、極力心に負担が掛からないように、あらゆるツテを駆使して生きようと思えば、不自由かも知れないけど、全く不可能という事は無い。自分が情けなく思うだろうけど、怖いよりはマシ、辛いよりは全然我慢出来る、そういう考えも考えられましたが、年を取っておばあちゃんになるまで生き延びたとして、親もいなくなり、弟もいなくなり、弟の子供に頼る訳には行かず、彼氏も先にいなくなり、年金のみが収入で、友達もみんなヨボヨボで他人の世話どころじゃなくなった時、私、このままじゃ、一人じゃ生きていけないじゃん!と、とても恐ろしく思いました。

 そうなってしまってからでは遅い!心臓が動いている限り、イヤでも生きなきゃならないから、今後の事を長い目で見た時に、今、こうやって病院の先生もいる恵まれた環境の中で実行しないと、私、一生何も怖くて出来ないまま、野垂れ死ぬしか無いわ!と思いました。病気が良くなって来たという多くの患者さん達も、怖い事をやり続けて鍛え続けて慣れて行った結果、それを克服出来たと口々に言っている。克服するには、それ相当の怖さと苦しみに耐えるしか無い。でもその数ヶ月の苦しみに耐えたら、そこには何かしらの光が見えている可能性は高い。 可能性に賭けるべきだ!全部が出来なくても仕方ない、だって怖い事だから。一度に多くを望み、多くに期待するのは辞めよう。もしかしたら1個とか2個とかしか上手くやれないかも知れない。でも、パーフェクトじゃなくても、やるだけの事はやってみよう!わざと積極的に、怖い事をやってやろう。怖い時こそ、実は治すためのチャンスなのかも知れない!一度、ボロボロになりながらでもゼイゼイになりながらでも越えられたら、それはまぎれもない「やれた」という事実、実績になる。そこにどんな恐怖感を伴ったとしても、やったのだったら、やれたという事になる。一度やれば、自分次第で次につなげられる。とにかく何がどうなろうとも、始めの一歩を踏み出さなければ、何も始まらない。どんどんぶつかって、どんどん怖がって、どんどん我慢して、そしてさらにどんどんやってやろう!私は強く心に誓いました。そう自らの自主的な気持ちで行動療法に望もうと決意出来た時、やっと出発の帆を上げられた気がしました。

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