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こだわり力
これはY子さんのブログからの引越しです

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治るとは何か

 20才から20数年間、強迫性障害を患って、どのような薬を飲んでも治りませんでしたが、行動療法という治療法を行って、大体8割〜9割ほど、病気が回復しました。行動療法の専門医による治療を数年前に行い、あれから3年くらい?経ちますが、日常生活をほとんど普通に送れる状態がずっと続いております。
 強迫性障害において「治る」とはどういうことか…専門的な事はわからないですが、私個人の体験から言えば、この病気が自分の身体(頭)からすっかり取り除かれ、全くまっさらになる、という感じでは無いと思っています。

 例えばウィルスなどが原因の病気は、ウィルスが身体からいなくなれば病気は治った、という事になりますが、強迫性障害については、そういうのとは違うと思います。なので、つまり、強迫性障害自体は相変わらず、自分の脳の中にいる、という感じです。脳みそを取り替えない限り、自分の中から完全に無くすことは出来ないのでは?と思っています。だから強迫性障害という病気を克服することは、「治った」「完治した」というのとは、またちょっと性質が違うのかな?というのが私の感想です。

 では強迫性障害の克服、広い意味では「治る」とはどういう感じなのか…これは「強迫観念は相変わらず頭の中にあるが、しかし、これを気にしなくなる、忘れる、どうでも良くなる、多少気になるけど放っておけるようになる…」という感じでしょうか。
 わかりやすい物にたとえて言うと、例えば近所で工事が始まるとする。毎日毎日、ドリルで地面を掘る音、何かの金属音などでとてもやかましい。ガンガンと鳴り響く工事の音は、最初はやかましいなぁ、と思ったりするが、毎日毎日聞いてるうちに、そのうちそれが当たり前みたいになって、気づいたら、どうでも良くなっている、騒音を気にしなくなっている。だけど、騒音自体はそこにしっかり存在しているわけですが…そこに注意を向ければ、ああ、騒音、やかましいなーと思うが、しかし、もうどうでも良くなっていて、無意識に気にしなくなっている…みたいな感覚です。

 良くなった今、強迫観念がまるっきりゼロになったかと言うとそうではなく、相変わらず強迫観念は存在しますが、そこに特に注意を払わなくなる、気にしなくなる、そんな感じです。そして、やがて、日常の本来自分がやらねばならない事(仕事、家事、プライベートの諸々)をやっているうちに、それらが忙しくなり、強迫観念のことを考えている時間が無くなる、とでも言うか、強迫観念が浮かんで浮かんで仕方がない、という状態がだんだん薄れて行きます。
 逆に考えれば、強迫観念自体は存在はしているわけなので(強迫観念が浮かんでしまう脳のしくみということなのかどうか、専門的なことはわかりませんが…)、調子が悪い時、ひょっとした何かきっかけがあった時に、また再発しやすい病気、ということなんだろうかなぁ、と思ってみたりしています。

 しかし、日々、自分が恐れていることを避けずにやり続けていることでだんだん耐性がついていって、普通に生活が出来るようになるのもまた事実だと体験から思います。強迫性障害において「治る」とは、「気にしなくなる」「まあ、いいやと思えるようになる」「そのうち観念のことなど忘れてしまえるようになる」、そんな感じだと、私としては体験から思っております。

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