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こだわり力
これはY子さんのブログからの引越しです

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原因と治し方

強迫性障害には様々な症状があります。例えば、不潔恐怖、確認強迫、加害恐怖、縁起恐怖、など…人によって恐怖の対象は様々で、他の人にとっては何にも怖くないことが自分にとっては本当に恐ろしかったり不安だったりするのも特徴だと思います。

 だから、自分でも時々、「なんで自分はこんな事を恐ろしく感じてしまうのか?何とかこれを恐ろしく感じなくならないだろうか?その方法は無いだろうか?」と思ったりすることもあると思います。だから、この病気になると、とかく自分の恐怖対象に対して、何とかアプローチする治療方法は無いか?と思ったりするのではないでしょうか?少なくとも私はそうでした。

 だから私が病院を受診した時は、「とにかく私はこれこれに対して強迫観念が沸いてしまって、これこれがこんなに怖いのです。また、あれも恐怖対象だし、さらにこれも恐怖対象で…」
と、とにかく事細かに、自分が何に恐怖や不安を感じているのかを必死で説明しました。しかし、私が病院の先生に言われたことは、「症状はどうでもいい、恐怖対象が何だっていい。何がどう怖いと思おうが、根っこは一つです」という事でした。それはつまり、人によって恐怖対象は様々ですが、要は、何か怖い目にあったり、不安な気持ちが浮かんだり、怖い考えが浮かんで恐怖を感じた時に、「その不安や恐怖を受け止めて、それに耐える力が弱いことが原因だ」という内容のことを言われたのです。

 つまり、何か不安な事が起きると、その不安に負けてしまって折れてしまうから、どんどん具合が悪くなっていくのだ、ということです。なので病院の先生は「今のあなたは赤ちゃんみたいに非力で、水の入ったバケツ(つまり不安)を一つも自分で持てない状態にいます。だからそれを、いくつもいくつも沢山のバケツを持てるように訓練して行きましょう」とおっしゃいました。

 これを最初に聞いたときは、私はピンと来ず、とにかく自分の強迫観念が何とか浮かばなくなる治療は無いのか?自分の恐怖対象が恐怖対象では無くなるような治療は無いのか?と、その時はいてもたってもいられず、何とか直接的に自分の恐怖対象にピンポイントでアプローチしてくれるような治療法は無いのだろうか?と、気持ちが落ち着きませんでした。

 しかし、今にして思うと、先生のおっしゃった通りだったことが良くわかります。自分の恐怖対象のみに効く、という治療法は無いのだとも思います。仮に、もしか自分の恐怖対象だったもののみに効く治療があったとして、今まで怖かったものが怖くなくなったとしても、自分の心の不安に対する耐性が弱い限り、また別の不安を見つけ出して悩むことになります。

 強迫観念が何故沸いてしまうのか。何故、強迫症状が起きてしまうのか。それについては残念ながら、まだ現在の医学では解明されていません。ゆえに、強迫性障害という病気は、例えば何か注射を打てばすっかり治る、とか、何かをちょっとやればスッキリ治る、という病気ではありません。いつの日にか、遠い将来には、脳のしくみが今よりも解明されて、強迫性障害の治療を脳医学的に治療するような日が訪れるかも知れないですが。

 しかし、道はあるのです。それは、上に書いた、「自分の心を強くするよう訓練する」という方法です。そしてこの訓練をすること=行動療法なわけです。よくよく考えてみれば、同じ目にあっても、「まあいいや」と平気で気持ちを切り替えられる人と、いつまでもメソメソしたりクヨクヨしたり、引きずってしまう人がいると思います。それはそれぞれ、不安や困ったことが起きた時に、それに対する耐性が強いか弱いか、というのが関係しているのだと思います。そして、不安や悩みを自分で抱えて自分の力で処理出来ない人は、周りに相談しまくってしまったり、周りに頼ったり、八つ当たりしたり、あるいは自己嫌悪に陥ってさらに悩んだりしますが、これらの行動は全て、形は違えど「現実から目を背けて、自分の力で何とか前に行こうとすることから逃げる」行為であります。そして、これを続けていると、どんどん自分の力で何も出来なくなってしまって、ますます悪循環の中に陥って行ってしまうことになります。

 しかし、これは「自分の決意」と「訓練」を重ねることによって、少しずつ少しずつ、強くなって行きます。人によってペースはさまざまでしょうが、あきらめず、投げ出さず、歯を食いしばってでもやり続けているうちに、少しずつ、自分の力で耐えられるようになって行きます。行動療法は本当に苦しい訓練です。人によっても度合いは違うでしょうが、少なくとも私にとってはひどく苦痛な治療でした。始めは何度も挫折しましたし、失敗も繰り返しました。しかし、自分はどうしても治りたかったし、強くなりたかった。なので、死ぬ気でやりました。おそらく、この治療を受けて改善された方の多くは、多かれ少なかれ、不安で不安で仕方なく、何度も何度も挫折もしたけど、それでも歯を食いしばってやり続けたから改善されたのではないか、と思います。

 怖いことをガマンして、とにかく自分でやるようにする、というならば、医者に行かなくても良いのでは?と思う方もいらっしゃるでしょう。確かに、自力で治された方を知っています。
その人は、本当に、自分の力で、血反吐を吐く覚悟で治されたようです。しかし、自分1人の力でそこまでやるには、相当に強い意志がなければなかなか難しい。よって、始めのうちは専門医のサポート、治療を自力にて出来るようになるためのきっかけ作りを医師にしてもらう、というのが良いようにも思います。

 しかし、いったん治療に踏み切れば、医者が全てを魔法のように治してくれるわけではありません。医者はあくまで道案内役、なわけです。もちろん優秀で専門的な道案内人ですから、その人の案内を信頼しなくてはなりませんが。しかし、その道(治療の道)を歩くのは、「自分」です。自分の足で歩いて行かねばなりません。怖くても、恐怖や不安で気を失いそうになっても、引き返したり、足踏みをしたまま前に行かない、というのでは良くなりません。ほんの一歩でも、とにかく前に進めば、いつかゴールが見えます。

 自分の道を自分で歩く、ということこそ、つまり、「何か不安や問題があっても、それを自分で抱えて自分の力で耐えて、乗り切っていく」ということになるのではないでしょうか。自分の人生は、誰も肩代わりはしてくれません。その時々で助けてくれたり、自分の代わりに嫌なことをやってくれたり、話を聞いてくれたりすることはあるでしょうが、しかしそれらは全て、一時的なものでしかなく、また、あくまでサポートにしか過ぎない。永遠には続かないものです。その周りの人達にもそれぞれの負っている自分の人生があるからです。

 自分の人生は自分で歩いて、切り開いていくしかない。だから、それがちゃんと自力で出来るようになるために訓練を重ねることで、強迫観念が浮かんでも、不安が襲っても、それに耐えて、それに囚われて足踏みをして何時間も時間を無駄にしてしまうことなく、「怖いけど、不安だけど、でももう次のやらなくちゃならないことをやる!」という風に自分自身の気持ちにケジメをつけることが少しずつ出来るようになり、始めは無理矢理そうやってる、って感じですが、
だんだんとそれに「慣れて」行って、そのうち、知らない間に平気で出来るようになって行くというか、少なくとも私はそうでした。

 強迫観念は相変わらず浮かんだりもしますが、前にみたいに瞬時に恐怖を覚えて身動き出来なくなるのではなく、浮かぶし、ちょっと何だかモヤモヤ不安だけど、もう面倒くさいから、どうでもいいや、という風に思えるようになって行きました。そして、強迫観念が浮かぶということに囚われなくなっていった結果、強迫観念が浮かぶこと自体も、どんどん少なくなって行きました。昔よりも「水の入ったバケツ(不安)」を、たくさん持てるようになったからだと思います。

 病院の先生によれば、人によってどれくらいでそういう兆しが現れるかは様々ではあるけど、
平均して大体、治療をはじめて3ヶ月くらいで改善の徴候が見られることが多い、とのことでした。私も本格的な治療を始めて3〜4ヶ月くらいで、少しですが、回復の兆しが見え始めました。
しかし、それには、適当にやったり、治療でやらねばならない事を先延ばしにしてしまったり、
誰か他人に代わりにやってもらったり、あるいは病院には通っているけど治療課題はやってない、という風では、全く良くなりません。本当に苦しいし、我慢に我慢を重ねて、こんなに辛い目を体験しなくては良くならないのか?と思ったりしますが、それでもやり続ける、ということをやって、それで大体3ヶ月くらいから、という感じです。

 病気に負けるな、というよりも、「自分に負けるな」というのが、この病気の治療をやって行く上で、大切なことだと、体験から痛感しております。

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