ここから本文です
こだわり力
これはY子さんのブログからの引越しです

書庫全体表示

やりたくないのにやめられなくて何度もやってしまう強迫行為…やってもやっても不確実な気がして、不安を解消するために何度も繰り返し、なんとか確実な安心感、スッキリ感を得たいと躍起になってしまいますが、残念ながら、強迫行為をやればやるほど不確実になって行き、やめられない事への焦り、罪悪感、自己嫌悪からますます気持ちも不安定になり、次で確実に確かな手応えを得たいと緊張も伴うため、ますます苦しくなり、そのために気持ちもそぞろになって、ますます不確実になり、どんどんやめられなくなる…と言う風になって行ってしまいます。

 強迫行為をやめることが出来るようになるためにはどうしたら良いか。それは「強迫行為をやらないこと」です。強迫行為をやらないと不確かで恐ろしく、万が一のことが起きたらどうしよう?と強い不安や恐怖感が襲い、いても立ってもいられなくなります。しかし、先にも書いたように、その不安に負けてしまって強迫行為をやり続けると、どんどん緊張や焦りだけが募り、人間はそうそう集中力は続かないので、やがて、強迫行為の対象を確実にやってる実感が薄れて来て、しまいには、自分が何をやってるのかもよくわからなくなり、どんどんドツボにはまっていってしまいます。

 私の場合は、例えばはじめは鍵がちゃんと閉まっているかを何回も確認から始まり、やがて何十回も確認になり、やめなきゃ、やめなきゃ、でも不確実という気持ちが拭えず、やがて何時間も確認になり、何時間も確認してると頭がボーッとして来て、目に見えてる物を私は本当に見ているのだろうか?という疑念が湧いて恐ろしくて、ますます鍵の前から立ち去れなくなり、そのうち、私は鍵を見てるつもりでいるけど鍵ってこんな形だったっけ?鍵と思い込んでるだけで、本当は別の物を見てるのではないか?などとも思うようになり、とうとう家をあける、と言うことも怖くて出来なくなり、外出出来なくなってしまいました。そして、鍵を見るだけでも怖くて動悸がし、サッシや窓のテレビCMを目にするだけで恐怖するようになって行きました。

 人間は誰でも、あれ?と思って鍵を確認しに戻ることはよくあることですが、
何回も何回も繰り返すと逆効果になって、ますます症状は悪化します。この病気の一番の問題は、「こうなったらどうしよう?不確実で何か万が一のことが起きたらどうしよう?」と言う考えが浮かび不安になった時に、その不安に耐えることが出来ない、と言うことです。万が一のことが起きたら、その時に考えて対処するしかありませんが、まだ起きてもいないことに対して過剰に防衛反応が起きてしまい、
何とか確実な安心感を得たい、不安な気持ちを引きずりたくないと、強迫行為に走ってしまいます。

 これを改善するには、不安と思っても、その不安を抱えたまま、その不安に耐える訓練をするしかなく、また、将来万が一のことが起きるかどうかは誰にもわからないので、そう割り切る、あきらめる、あるいは不安で確認やその他の強迫行為をしたくても、一度か二度見たら、あとはもう振り切って、腹をくくって次の他のことに移行するしかないのだと思います。なので行動療法の治療では、儀式妨害と言って、強迫行為をいっさいやめるように指導されます。
 儀式=強迫行為のことで、不安を解消して確実な安心を得るために患者が自分で儀式のように行っている行為のことを指します。

 やめたいのにやめられないから悩むのですが、しかし、不安に負けて強迫行為をやり続けても、悪化の一路をたどるだけで、安心は訪れないのです。どんどん焦り、どんどん緊張し、どんどんパニックになり、よって、どんどん不確かになり、どんどん止められなくなってしまいます。なので、いわゆる「普通の人がやるレベル」である1〜2度程度の確認(あるいは手洗いとかもそうですが)をしたら、あとはもう不確かだと思ったり、不安でたまらなくても、その場を立ち去る、と言うことを実践するのが、この強迫行為から脱する方法となるのです。

 はじめは上手く行きません。やはり何度もしてしまいます。でも、あきらめずに、落ち込まずに、落ち込みますが、落ち込みに意識を持って行かず、とにかくこの儀式妨害(強迫行為をやらずに立ち去る)を実践しまくるのです。私は少し上手く行き始めたかな?と思うまで、3ヶ月くらいかかりました。それまでは挫折、挫折、出来ない、怖い、何度も強迫行為、の日々でしたが、でも、これに耐えられるようになるのが自分に課せられた課題だ、と思い、失敗しても、とにかくやり続けた結果、怖くても立ち去るうちに、立ち去って次の他のことをしていると、だんだん確認対象のことがどうでもよくなって行くようになり、もし確認が甘くてミスしてたらどうしよう?という考えが浮かんでも、もう面倒くさいから、どうなってもいいや、もう腹をくくろう、と言う気持ちになるようになって行きました。

 病院の先生によると、これまでの患者の統計では、この強迫行為をやらずに立ち去るのをやり始めてから、平均して大体3ヶ月〜4ヶ月くらいで、改善の兆しが見えて来る人が多いそうです。その3ヶ月はまさに地獄ですが、そこでやはり諦めて何度も強迫行為に舞い戻ってしまったら、もとの木阿弥です。とにかく、強迫行為から解放されるためには強迫行為をしないこと、どんなに不安でも繰り返さないこと、これに尽きるように思います。

 不安でも不安を自分自身で抱えて耐える、と言うことが大切で、その耐久性を得るためには、筋肉トレーニングと同様に、自分に負荷をかけて訓練していくことで耐性がついて行きます。自分に負荷とは、不安な状況を自分に与えて不安に耐える、ということです。筋肉トレーニングも始めは筋肉痛になったり、重いものを持てなかったりと苦しみますが、続けるうちに痛みもなく、こなすことが出来るようになりますが、心も同じ、とのことを病院で教わりました。

 不安から逃げてばかりいたり、安心ばかりを求めていても、なかなか不安が起きてもそれに耐えて、自分のやるべきことをやる、とか、日常を送るということが出来ないままです。そこで、不安が起きても耐えるなり、腹をくくるなりして、強迫行為をせずに、不安な気持ちのままその場を立ち去り、次の他の行動に移行してしまうのです。その訓練を続けるうちに、だんだん不安に対する耐性が出来て行くのです。
 詳しくは忘れてしまったのですが、病院の先生に教わったには、強迫行為をしなくても大丈夫だ、と言うことを脳に学習し直させる、ということになるそうです。

 次回は、個人的に、この強迫行為をやらずに我慢する時にやった自分なりの工夫について書こうと思います。ちなみに私よりも先に、ピコさんが強迫症状から脱出されました。当事、まだ強迫行為をやらずにはいられず、どうしてもやめられなかった私にピコさんが言って下さった言葉があります。

 それは「身捨ててこそ浮かぶ瀬もあり」です。つまり、自分の身を捨ててこそ浮かばれることもある、ということですが、自分を安心させたい一心で守りの態勢でいるのではなく、自分を投げ出すつもりでエイヤッと挑戦してこそ浮かばれる、成果を得る、というような事だと解釈したのですが、ピコさんにそう言われて私は、よし、今まで安全に安全にと守りに守った結果、病気も悪化して苦しいならば、どうせ同じ苦しいなら、怖いことに逃げずに挑戦してみよう、その方法で多くの人が回復したのだから、と腹をくくったのでした。押してダメなら引いてみな、と言う言葉もありますが、これまで強迫行為を何度もやっても不安で、強迫行為もますます止められなく苦しいのであれば、逆にもう、どうせ同じく苦しいならば、苦しくても強迫行為をいっさい止めて、不安に耐えることが出来るための訓練を自らに課す、と言うことを試す、と言うように自分の舵をきり直すことは大きな価値があると思うし、また、この「不安はあっても、不安を抱えたまま行動をして行く」ということは、病気改善のためだけでなく、生きて行く上の他の様々なことに対しても有効に働くと、今、感じております。

 この病気は、自分との闘いという側面が多分にある病気と実感しておりますが、
それはつまり、非常に苦労はしますが、自分で治していける病気でもある、と言うことでもあると感じています。なので、とにかくあきらめず、悲観せず、自分の足で一歩一歩、実践と挑戦を積み重ねることが回復への道につながると実感しております。

本文はここまでですこのページの先頭へ
みんなの更新記事