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こだわり力
これはY子さんのブログからの引越しです

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何より大事な儀式妨害

 二度目の集団行動療法プログラムから家に帰ったその日から、私は親や会社の人や相棒に、確認を代わりにしてもらうのをキッパリ辞めました。それと同時に、親や相棒に「怖い」「苦しい」「出来ない」「辛い」と訴えるのを、いっさい辞めました。そして、それでもまだ足りないと思いました。不安そうな、苦しげな、落ち込んだ顔や態度をするのも、いっさい辞めました。岡嶋先生と、携帯電話が怖くて使えない事に対する訓練として、毎日メールのやりとりをする課題にしても、私はもう岡嶋先生に病気の事を訴えたり、どうしたらいいか?と質問するのをキッパリ辞めました。岡嶋先生へのメールには、病気とは全く関係のない、自分の好きな物や楽しかった事、とにかく明るい話題を書く事に徹しました。
 そして家に帰った直後から、私は今まで母に全部やってもらっていた事を、自分でやりました。怖くて出来なくなっていた事に、どんなに怖くても、逃げずに向かって行きました。そしてその時不安が込み上げて苦しくて死にそうな気持ちになっても、確認をせず、そのままその場を立ち去りました。それらを実行するのは、ハンパなく怖くて不安で、気が狂いそうな気持ちになりました。その度に、何度もくじけそうになりましたが、と言うより、ほとんどの場合がくじけてしまいそうでしたが、
 「この苦しさは、自分が不安に対して強くなるための、味わう事が必要な苦しさなんだ!」と自分に言い聞かせ、必死で我慢しました。頑張って頑張って頑張りまくりました。
 そうは言っても、今まで自分にとって、この世の何よりも怖い事をやるわけなので、やろうとしても出来ない時や、確認をしないで去ろうとしても、不確かでたまらなくて怖さに負けて、何度も確認してしまう日も沢山ありました。
でも、私は上手く出来なかったからと言って、それを悲観的に考えるのを辞め、落ち込むのを辞めました。ああ、出来なかった、確認してしまった、次は頑張ってやってみよう!と、無理矢理にでも次へ次へと積極的に気持ちを次へ向けました。
 落ち込みそうになったら、わざとおどけて自分を茶化したり、明るい歌を歌ったりしました。「我慢するようではいけない」と岡嶋先生に言われましたが、それでも私は我慢しなければ出来なかったので、最初先生にそう言われた時はとまどいましたが、とにかくどんな状態になろうとも、怖い事に直面し、確認をしない事が先決と思い、ひたすら我慢に我慢を重ねて耐え続けました。

 私は自分で自宅で行動療法をやる毎日において、前にも増して、恐怖感が胸に込み上げ、胸をしめつけられ、
絶えずバクバクと動悸がし、呼吸がしづらくなって、ぶっ倒れそうになりましたが、岡嶋先生に習った緊張や筋肉をゆるめる体操を何度もやって、身体をリラックスさせるよう努め、どうしてもどうしても込み上げる恐怖に耐えられない時は、鼻歌を歌い続けて、鼻歌に意識を向けて、気をまぎらわせました。鼻歌を歌いながらも恐怖で胸がバクバクしましたが、そしたらますます熱心に、感情を込めて鼻歌を歌いました。また、私の場合は、日常のありとあらゆる事が強迫の対象だったため、一度に全てを完璧にこなすのはハードルが高すぎると、やってみて思いました。なので、自分の中で基準を決めました。まず、怖くて出来ない事に関しては、とりあえず全て挑戦する、避けてやらないと言うのはいっさい辞めて、どんなに怖くても避けずに自分の力でやる、ただし、最初は何でもかんでも手当たり次第にやるのではなく、やる必要が生じた時にやるようにする、確認をしない事については、基本的には確認ゼロを目指す、ただしどうしても怖くて確認してしまう場合は、どんなに多くても最高で10回〜15回までとする、決めた回数確認しても不確かな場合は、きっとそれ以上確認を続けても不確かなままな事は経験済みだから、やっても時間の無駄、なのでそれ以上の確認は辞めて、どんなに怖くても振り切る、と言う感じでやりました。

 そうやって、上手く出来ずに失敗した時も多々ありましたが、とにかく1個1個の出来た出来ないに一喜一憂せず、淡々と、粛々と、ただし積極的に攻めの姿勢でやり続けていくうちに、最初の1ヶ月くらいは、無理矢理我慢して、死にそうな恐怖を覚えて、吐きそうになりながらやっていましたが、少しずつ少しずつ、あまり気合いを入れなくても、出来る事が増えて来ました。また同時に私は「ヒマは強迫の敵」と岡嶋先生が言われた事を肝に命じ、休んでいた会社に復帰し、無理するなと心配する上司に頼み込んで、逆に仕事を増やしてもらいました。またプライベートでも、それまで人を殺したらどうしようと思って外出出来ないでいましたが、仕事が休みの日は、あえて一人で出掛けて、今まで入れなくなっていた喫茶店に入り、またページの間に燃えてる物を無意識に挟んだのでは?と思って本を読むことが出来なくなっていましたが、喫茶店に本を持って行って、コーヒーを飲みながら読書するようにし、文字を読むのも、本当に読んだ気がしなくて不確かで、確かに私は正しい文字の読み方をしたかどうか不安になって、何度も何度も同じ文を読み直さないと次の行に行けなくなっていましたが、読み間違えても正しく頭に入らなくてもいいと自分に言 い聞かせて、本を読む訓練を続けました。

 また、家事に対しても、燃えるんじゃないかと言う非現実な観念が浮かんで怖くて出来なくなっていましたが、
積極的に家事をやる事にしました。テレビや新聞を見るのも怖くて出来ませんでしたが、毎日見るようにしました。買い物が怖くて出来ませんでしたが、洋服を買いに出向いたり、会社で使う文房具をかわいいのに買いそろえたりして、怖かった事にも楽しさもプラスされる形で、自分の身の回りを楽しくリニューアルするような感じで、
夢を持ってやりました。新しく、自分の好みのデザインの下着や靴下を買ったり、好きな匂いの香水を買ってみたり、自分に対してちょっとしたごほうびをあげるような感じで、心がウキウキするような事も心がけました。とにかく自分でいろいろ計画を立てて、病気の治療だけじゃなく、いろんな事をやるようにしました。

 病気の症状は相変わらず怖いままだし、強迫観念はバンバン浮かびまくるのも変わらぬままですが、自分で能動的に決めて、自分で行動する日々を送るうちに、私は病気が治る云々よりも、「私は自分の力で生きている!積極的に生きている!怖い事に包まれまくっているけど、そんな中で私は自分の意志で前に進んで生きている!」と、生きる事に対しての充実感に心が満たされ、生きる事は何て楽しいんだ!と、喜びを感じるようになりました。そしてさらには強迫症状は相変わらずあるけど、私の周りにあるのは強迫の病気だけじゃない、他にもとても沢山の事があふれている、楽しい事も実は沢山存在する、と言う事に改めて気づき、症状はありつつも、日々自分がやりたい事、やらねばならない身の回りの事に目を向けるようになりました。

 岡嶋先生に、初めて病気の事以外の内容のメールを送った時、「やっと病気以外の内容のメールが来ました」
と返事をもらいました。岡嶋先生は、私が自分でどうすべきか気づく事を、ずっとずっと見守って待っていてくれたんだ!と思い、本当に感激しました。岡嶋先生は、毅然と厳しい態度で治療を行い、同情をするそぶりは微塵も見せませんでしたが、深く患者の気持ちを理解しており、なおかつ感情に流される事なく、患者にとって何をすべきかと言う事を的確に判断し、実行する先生でした。

 良くなって来るにつれ、岡嶋先生が私に教えてくれていた事は、その時はそれが何を意味するのか、どういう効果があるのか、どうしてそんな事を言うのかわからない時もあったけど、実際に後々になって振り返ると、岡嶋先生の言われた事は何もかも、全てその通りだった事がわかり、「岡嶋先生の言われた通りだった!」と驚きもし、正しい判断を下して、グジグシと悩む私を見放す事なく、的確な治療をずっと施してくれていたんだ!と思い、とても感動しました。

 仕事時間(診察時間)が終わったプライベートな時間でも、休日祝日問わず、朝昼晩問わず、メールのやりとりを患者の治療のために無料でしてくれている岡嶋先生の事を改めて考えてみて、並大抵の覚悟では出来ない事だと思いました。いくら親しい人が相手だったとしても、毎日毎日、何度もしつこく悩み相談されたら、私だったら、こっちがマイってしまう!とウンザリしてしまうと思います。いくら自分が選んで就いた職業で、いくら熱心な人でも、ここまでの事はなかなか出来ないと改めて思うと同時に、岡嶋先生の誠実で熱心で情熱的な姿勢を力強く、頼もしく思い、その生き方に憧れ、尊敬の念を抱きました。

 私は、自分で気づき、決心して、イバラの道を血を吐く思いで歩きましたし、その結果、少しずつ少しずつ改善の兆しが見えて来ましたが、しかし、私一人の力だけだったら、ここまで覚悟を決めて頑張れただろうか?と思います。私にとっては、2回の集団治療を受けた事、それによって、2度目の初日に新たに参加する患者さん達の恐怖と不安でいっぱいの態度を見る機会を得た事、さらに医師としての原井先生と岡嶋先生に偶然出会えた事も大きかったですが、それよりも自分のプライベートを犠牲にしてまで熱意と誠意を持って患者のために生きる、その情熱と覚悟を持ち揺るぐ事なくご自身の道を力強く生きる、「人間」としての原井先生と岡嶋先生の生きざまに心を打たれて、二人の先生のまっすぐで純粋な誠意に対して恥ずかしくないよう、私も力の限り、正々堂々と自分の道を歩きたい!と思えた事が、私に腹をくくらせ、怖くてたまらない事に挑戦し続ける事が出来た大きなきっかけであり、理由でもあると思います。

 二人の先生に出会えた事は、私にとっては、一生忘れる事が出来ない、大きな影響力を持つ出来事です。二人の先生には、「病気の治し方」のみならず、「生きざま」を教えてもらった気がします。私もそんな風に、カッコよく熱く生きてみたい。だから頑張る!二人の先生には、本当に感謝の気持ちでいっぱいです。まだまだ私は、怖さに負けて何度も確認してしまう物が、いくつか残っています。これがかなり根深い恐怖感を伴って、日々襲って来ます。でも、めげずに前を見て、引き続き治療を頑張る覚悟です。

 「行動療法を体験して」おわり ※すべてY子の個人的な感想です!

 私は2度目に受ける事にした集団治療プログラムを、とにかく積極的にこなすように努力しました。また前回の時の大型ショップにも行って、カードのバラまき置き去り体験もやりました。ただ一つ、何とも情けない、今にして思えば、とても言い訳じみた事をしてしまったのですが、私が集団治療に出向く際に、自分で持つのが怖くなってしまって母に預けたカード類、 「持って行かなきゃならないから出して」と母に頼んだら、「キャッシュカードや免許証は、万が一、本当に無くなったらダメやで、持って行くな!これ持って行け!」と、お店のポイントカードや、美容院のメンバーカードのようなモノだけを渡されました。本当ならば「それじゃダメ!ちゃんとキャッシュカードをちょうだい!」と言わなければならなかったのでしょうが、その時の私は、キャッシュカードでは無い、無くしたってどうって事のないお店のカードを見ても、「これは本当はキャッシュカードなんじゃないか?」と思ってしまい、お店のカードなども強度な確認行為の対象となっていたので、「そうやな。こういうカードも無くすのが怖くて確認してしまうで、これ持って行けばいいよな」と言って、本当に現実的に大切な貴重なカードは持って行かなかったのです。

 原井先生に「今日もまたあの店で、カードの行動療法、やってみようね。ちゃんと持って来たよね?」と言われて、「キャッシュカードとかは本当に無くすと大変だから持って行くなと母に言われて持って来ませんでした」と言って、何枚かのお店のポイントカードを見せました。

 「あああ…」原井先生は、アチャーと腰がくだけたようなポーズになり、病院の受付台に突っ伏しました。「なんだー、持って来なかったのー?あなたのお母さん、あなたのためを思ってるんだか思っていないんだか…」とため息をつかれました。
 「うーん!しょうがない!」原井先生は伏せていた顔を上げると、自分のクレジットカードを取り出しました。そして、私の店のポイントカード類を貸してと言いました。それらを名前が書いてある方を表にしてコピーを取り、カード型に切り取ると、「これをあちこちにバラ巻いて!」と言われました。そんなわけで、それは本物のカードでは無く、カードのコピーではあったのですが、「カードの形をした四角いモノは、例えそれがカードじゃなくても、自分のキャッシュカードなんじゃないか?」と思ってしまって怖い私にとっては、それをバラ巻いて置き去りにするという行為は、やっぱりとても恐怖な事でした。

 「コピーを置いたと自分では思っているけど、本当は本物のキャッシュカードを家から持って来ていて、自分でも気づかない間に本物を置き去りにしてしまっているのでは無いか?拾われたらどうしよう?」
 何度も何度も強迫観念が浮かび、その度に、ガクガク手足が震え、怖くて怖くてたまりませんでした。
 「やりたくないっ!怖い!すごく怖い!どうしよう!」と何度も思いました。ちょっとだけ泣きそうになりました。
 でも、泣いてみてもどうにもならない、もうやるしか無いんだから、と、何だか前回よりは腹がくくれていたので、
 「よし。この怖さは治るための怖さだ。治るために味わわねばならない怖さだ。必要な怖さなんだ。良薬、口に苦し、だ!」と思って、どんどんやり続けました。

 コピーとは言え、店に置きっぱなしにするわけにも行かないし、まして自分の名前や電話番号なども書かれていたカードのコピーもあったので、置き去りにした後は、回収しました。でも1枚だけ、どこに置いたか忘れてしまって見つかりませんでした。ちょうどその前後に、病院のM先生に出くわし、M先生と一緒に回って探したのですが見つからず、「まあ、いっかー」と思わず私がつぶやいた言葉を聞いたM先生が、「あっ!今、まあいいかって言いましたね!言えましたね!」と笑顔で言いました。

 そういや、私、そう言ったなぁ、何だか面倒くさくなっちゃって、探すの無理!って思ったなぁ、と唐突に起きた心の変化に少し驚いたりしました。でも、しつこい私は、やっぱり探し続け、無事に発見して回収したのですが、ほんの少しでも「まあ、いっかー」と思えたのは収穫だと思いました。そんな感じで、とてもガクガク震えながら、恐怖におののきながら、吐きそうな気持ちでやったのですが、やり終えた後も怖くて怖くて不確かで、「ほんとは本物のカードを置き去りにしてるのでは?」と何度も思い、その度に、言いようのない恐怖に襲われて、息がハアハア荒くなって過呼吸っぽくなったりしましたが、「とにかく、恐怖は去らないけど、やる事はやった!」と、ちょっとだけ達成感が生まれました。

 自分の意志で、自分の力で、自分の決心で物事をやったのは、本当に何年ぶりかだったので、それまで死にたい、死にたいと思っていたけれど、何だか自分の力で生きている、という、生きる事に対しての充実感が生まれました。そうは言っても、あれだけ怖くて悩んでいた事だから、そうそう簡単には慣れてはくれませんでした。名古屋の街中での行動療法が終わった後、原井先生から、病院の入っているビルの喫煙所に、自分のカバンの中身やサイフの中身をブチまけて、それをいちいち確認せずにカバンにしまい、振り返らずに病院に戻って来るように、と、課題を出されました。忘れ物や落とし物が怖い私にとっては、それは清水の舞台から飛び降りる程の恐怖でしたが、もうやるしかないし、ほんとに治りたいと思っていたので、みんなが先にエレベーターで病院に戻った時、私はビルの喫煙所に行って、カバンやサイフの中身をブチまけました。ゾーッとしました。そして、確認せず、いちいち「これは何、あれは何」と確認せず、手に取ったら自動的にカバンの中に放り込みました。

 「どうしよう!入れたと思っているのは勘違いで、本当は携帯電話が落ちてるんじゃないか?」と思ってしまいました。携帯電話が誰かに拾われて、勝手に使われたらすごく怖い!と思いました。どうしよう?それで私は、怖さに負けて、カバンを開けて、携帯電話が確かに入っているか、何度も何度も確認をしてしまいました。私の戻ってくるのが遅いので、患者さんの一人が原井先生に言われて、私を喫煙所まで迎えに来ました。私はそれでも踏ん切りが付かなくて、その後も何度か確認して、やっとの思いで病院に戻りました。
 「遅かったね。確認しちゃったでしょ?」原井先生は言いました。
 「はい。ちゃんと本当に全部カバンの中にしまったか不安で確認してしまいました」すると原井先生は、自分のサイフからクレジットカードを取り出し、「これを喫煙所に置いて来て。確認しないで戻って来てよ」と言いました。
 「ええっ!そんな自分のカードにも責任持てないのに、先生のカードが無くなったら、私、責任持てません!」私は言いましたが、
 「いいから、今すぐ置いて来て!」と原井先生は言いました。
 部屋を出ようとすると、背後から「絶対確認しちゃダメだよ」と原井先生の声がしました。

 原井先生に言われて、私は原井先生のクレジットカードを持ってビルの喫煙所に行きました。置き去りと言っても、どこに置けばいいんだろう?まさか床に放り投げるわけにも行きません。なので、そこにあった自販機の上に置きました。人のカードとは言え、私のせいでカードが取られて使われて、原井先生に莫大な損害を与えたらどうしよう?と思い、とても怖くなりました。でも、確認しないでねと念を押されたし、そもそも私は、この恐怖を味わうために、今回参加したのではないか、と思い、そのまま振り返らずに病院に戻りました。
 「置いてきた?」原井先生に言われて、
 「はい。確認なしで置いたまま出て来ました」と私は答えました。
 それから2時間くらい、今日行った行動療法の反省や復習、原井先生の講義がありました。私は極力それに集中しましたが、ひょっとした間に、「原井先生のクレジットカード、大丈夫かな?」と思ってしまって、その度にゾッとしました。
 言い様もなく不安が込み上げて、身体がワナワナして来て、今すぐにでも確認しに行かないと、頭がおかしくなってしまいそうに思いました。だけど、頭の中で繰り返し、大丈夫か考える事も、目には見えないけど強迫行為、確認行為なので、原井先生やみんなの発表に気持ちを集中させるように努めました。諸々が終わった2時間くらい後、
 「じゃ、カード、取って来て!」と原井先生が言われたので、ホッとした気持ちになり、急いで喫煙所まで降りていって、原井先生のクレジットカードを取り戻しました。取り戻した時に「これは本当に原井先生のカードだろうか?誰かがすげ替えてたらどうしよう?」と思い、とても怖くてたまらなくなり、何度も原井先生のカードかどうか確認したくてたまりませんでしたが、こんなクレジットカードみたいな大事なカードを、いくら患者とは言え、他人の私に貸してくれて、自分のカードを犠牲にしてまでも、私の治療をやってくれた原井先生に申し訳が立たない、と思い、確認せずに病院に戻りました。

 「先生、ありがとうございました」私が原井先生にカードを渡そうとすると、
 「あ、それ、今度診察がある時まで持ってて!」と言うので、とてもびっくりしました。
 「えっ?先生、だって、無かったら困るんじゃないですか?」
 「いいからあなたが持ってて。人のカードを無くしたらどう責任取ろうって不安に思うでしょ?だからこれ、持ってて」
 「でも…」
 「これをサイフに入れて、いろんな所で出したり入れたりしてやってみてね。ちなみにこのカード、限度額無いから。無制限に使えるカードだから」
 そんな…無制限なんて…もし私がこのカードを無くしたら、先生は無制限にお金を使われてしまうかも知れない…
 「そんな大切なカード、責任持てないです」
 「このカードよりも、あなたが将来どうなっていたいかの方が大切です」
 私は感動のあまり、絶句してしまいました。いくら仕事とは言え、こんなプライベートな大切な物を、ただの患者の一人に過ぎないアカの他人の私に貸してくれるなんて…原井先生は本気なんだなと思いました。本気でこの病気で苦しむ患者を、助けようとしているんだ…原井先生が治療熱心なのは、これまで接して来てわかっていたけど、まさかここまで情熱があって、真剣だとは思ってもみませんでした。医者としてどう、と言うより、人間の生きざまとしてスゴいと思い、感激し、カッコいい!と感動してしまいました。損得を度外視して私の治療のために、いわば全財産を賭けた先生の事を思うと、先生のとてつもない大きな善意に恥じぬよう、私は何が何でもやり遂げなくてはならない!本気で腹をくくらねばならない!私も真っ直ぐに情熱的に生きてみたい!そういう気持ちがあふれて来ました。負けない!自分に負けない!私は心に誓いました。

心は筋肉にある

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 そう言えば…私は思い出した事がありました。
 一番最初に岡嶋先生のカウンセリングを受けた時、
 「あなたが本当に怖がっているのは、『こうなったらどうしよう?』という未来の結果ではありません。不安や恐怖を感じた時に生じるゾワゾワとした感覚、心臓がドキドキする事、手足が震えてくる事、息が苦しくなる事、それに耐えられないという事が、あなたにとっての問題なのです。だから、弱々しくて重いバケツが持てない今のあなたの心が、水がいっぱい入ったバケツを何個も持てるように訓練して行きます。あなたに重いバケツを沢山持ってもらって、重い重いと言いながらも持ってもらう事を治療としてやって行きます」
 と岡嶋先生に言われていたのです。その時は、あまりピンと来ませんでした。重いバケツ…つまり私にとっては大きな恐怖感なわけですが、それを持ちたくないし、取り去りたいから病院にやって来たのに、それを沢山持つ訓練とは何事か?と思ったりもしました。

 また岡嶋先生は、「心は筋肉にある」といつも言っていました。そして恐怖や不安を感じている時は交感神経が優位に働いて、本能的に身体が緊張状態になる事を言われ、筋肉が緊張を持続すると、不安感がより増すという事を言われました。そして不安を感じてガチガチになっている身体の筋肉をほぐす運動だったり、緊張すると奥歯をグッと噛みしめて、アゴに力が入り、それがまた緊張を呼ぶ、という事で、口まわりを緩める体操などを教えてもらいました。

 そもそも動物には、みな備わっている能力で、敵に出会った時、身体を緊張させ、動悸を早くして血を身体に巡らせ、いつでもすぐに逃げられるようなしくみが備わっています。筋肉が弛緩していては、すぐに行動出来ないですから、筋肉をギュッと硬直させて、戦闘モード、逃亡モードに自動的になるのです。そしてそのモードを発動させるのは「不安感」であり「恐怖感」です。このアンテナがピピピッと警告を発する事で、身体の筋肉に自動的に戦闘態勢に入る指示が行くわけです。だから身体の筋肉が緊張状態にあればあるほど、不安を感じる事になるって寸法です。 

 そういうしくみだとちゃんと知ったのは、随分と後になってからの事で、先生から筋肉を緩める体操を習うたびに、これって本当に効果があるのかなぁ〜?それよりも、この恐怖感を早く取ってくれないかなぁ〜?などと思っていたのですが、
 「すぐに効果があるという物ではありません。私の治療体験で言うと、平均3ヶ月くらいで効果が出ます」と先生が言われたので、とりあえず信じて日々続けていたら、確かに、本当に、恐怖を感じている時は身体がガチガチに緊張していて、肩こりもひどく、また口元にかなり力が入ってしまっている事に気づきました。そして不安になるたびに筋肉を緩める体操を続けて、普段から身体の力をダラーンと抜くようにしていたら、しばらくしたら、前よりも極度な緊張に襲われる事は少なくなって来ました。「心の病気」と言っても、心も「脳」という「肉体」なわけなので、身体は全て、いろいろ連動して、いろいろ作用しあっているんだ、肉体改善から始める心のケアというのもあるんだ、と改めて実感しました。

 「リラックス」という言葉がまことしやかに巷に溢れていますが、病気になってしまうと、それは単なるおまじないみたいな、とっても頼りないものに思えてしまい、とにかく速効で悩みや苦しみを取り除いて欲しいと思ってしまいますし、そう思ってしまうのも仕方の無い事ですが、やはり「リラックス」なモードを発動しないと、不安はますます増幅し、継続されてしまう、と、体験を通して思います。どんなに悩み苦しんでいても、例えばお風呂の湯に浸かった瞬間は、たとえ一瞬でも、 「ふわぁ〜、いいお湯〜」と自動的に思ってゆるんでいる自分がいると思います。
あまりにも悩み苦しんでいると、それには気づかないでいますが、よくよく観察してみると、悩み苦しむ自分の片隅で、感覚してそう思い、ほんの一瞬だけゆるんでいる自分を見つける事が出来ると思います。そんな感じです。身体がゆるんでいる時は、気持ちも快適を感じているんです。

 だから私は岡嶋先生から、アロマや、自分の気に入った香水をつけてみたら?という事も教えてもらいました。
私は病院の帰りに高島屋デパートにあるアロマグッズを置いてある店に行き、購入していろいろなアロマエッセンスを試してみて、ローズマリーの香りが好きだなぁ、と思い、今でも時々、夜寝る前などに、ローズマリーのオイルをアロマの電気ポットで温めて、 良い香りを嗅いで、落ち着いた気分になったりしています。考えても考えても答えが出なくて不安な時は、内面から何とかするのではなく、時には外側からアプローチしてみる事も大切なんだという事を知りました。

 病気を治す…しかしその前に、私は不安や恐怖を支えきれない心を鍛えなくてはならない!と思いました。人によって何が良いのかはわかりませんが、私にとって、行動療法をちゃんと本気で心の底からやろう、って思えるには、先生や良くなった患者さんのアドバイスや、本から得た知識だけではダメで、自分で自分の弱点に「気づく」、そして「自覚する」という事が必要だったのでした。 
 人から指摘されても、必ずしも心の底から身にしみて自覚出来るかと言うと、そうでは無いと思います。指摘されて「そうか、そうなのか」と思ったとしても、それは自分が受け手な立場で得た情報にしか過ぎないから、「理解」はしても、「自覚」した事にはならず、やっぱりどこか他力本願、責任転嫁になってしまいがちで、自分で自分の奥底から、能動的に「ハッ!」と思わないと、なかなか全身全霊を持って、自覚出来るものでは無いとも思ったりもします。

 病気だから自覚出来ないのでは無く、そもそもの性格やら性質として、自覚能力が欠如しているのか、自己愛が強すぎて自分に酔っているのか、自己保身が強いあまりに自分に自分で言い訳をしてしまうせいなのか、臭いモノにはフタをしてしまう習慣で生きて来てしまったからなのか、それはその人その人によって違うと思うし、「どうして?」「どうしたら?」という答えは、自分を自分で観察して、目をそむける事なく現実を直視するしか方法は無いたぐいのモノで、自覚出来るかどうかというのは、自分次第な問題なんだと思います。

 ともかくも、私は私のダメだった所に全く気づかず、「病気のせいで」「病気で怖くなり」「病気で出来ない」と、ひたすら「病気」を水戸黄門の印籠みたいに自分に対しても周りに対しても先生に対しても振りかざしていて、自分としてはそんなつもりは全く無かったのですが、結果的にはそういう事をしてしまっており、「自分の弱さがもともとあったからなせい」と言う事に気づかず、あるいは潜在的に気づいていたのかもしれませんが、そこに着目する事なく、ひたすら「治して欲しい」「楽な気分にさせて欲しい」とばかり思っており、「病気を何とかして欲しい」と言う事に囚われ過ぎて、他力本願で、受け身で、自分から殴り込んでやる!という気持ちに欠けていた事に、2度目の集中行動療法プログラムを受け直し、前回の私と同じように、怖い怖いと病状を怯えて訴える、新しい患者さんを見て、そこに自分の姿が重ねて見えて、どこを治せば良いのかに気づきました。

 だから、私にとっては、この集中プログラムにもう一度参加して、本当に本当に良かったと思います。参加しなければ、今でも気づかず、治らない、出来ないと嘆きながら、原井先生や岡嶋先生に訴えてみたり、掲示板にクドクド同じ質問を書き連ねてみたり、 親や相棒に「助けて!私は病気なんだから!」と頼ってばかりいたかも知れません…私はそもそも、とても臆病で保守的で、変化が苦手な人間なのです…どうやったら、不安に弱い心を鍛えられるか…それは岡嶋先生が最初のカウンセリングで言われたように、重いバケツを沢山持てるように訓練しなければならない、と思いました。

 身体の筋トレは、辛くても痛くても何度も腹筋したり、重いバーベルを持ち上げたりして、筋肉にわざと負荷(ストレス)をかける事で鍛えていきます。マラソンを完走出来るように鍛えるには、同じ距離を何度も走って、身体を慣らすしかありません。でも負荷をかけて訓練するうちに、だんだん鍛えられていって、かかる負荷に耐えられるようになって行きます。そう言えば、怪我や病気で歩けなくなった人は、リハビリ訓練をします。
あれは、とても痛そうで、辛そうです。でも、歯を食いしばりながら訓練した結果、再び歩けるようになって行きます。

「心は筋肉にある」それならば、心も同じだな、と思いました。ストレスは忌み嫌われていますが、かと言って、全くストレスをかけない状態では、それに対する抵抗力が無いままとなってしまいます。過度のストレスをかけ続ければ、潰れてしまいますが、ある程度のストレスは、むしろかけて行かないと、抵抗力や耐久力はつかないんだ、と思いました。要は私は、たぶん、自分ではそうは思っていなかったけど、何か不安や怖い事があった時、小さい頃からの人生の中で、本当に自分一人の力で耐えたという経験が少なかったような気が今ではしています。自分なりに悩み、考え、こらえてはいましたが、必ず親がなんだかんだで助けてくれるか、友達に悩み相談して答えを出してもらうか、 彼氏に代わりに助けてもらうか、みたいな道を選択しがちだったような気がしています。 

 よし!わざと怖い事をやって、怖さに直面して、それを続ける事で、怖さに慣れて行こう!そう思いました。
怖さに対抗する力を付けるには、怖さを体験する事でしか身に付かない!何もしないである日突然、パワーアップしてるワケが無い。出来ないから出来ないのでは無い。やらなかったから、出来なかったのだ。出来る出来ないではなく、やるかやらないかなのだ!そう強く思いました。そうは言っても、怖いものは怖い。また前にやったような事をわざわざ体験するのかと思うとゾッとしました。イヤだなぁ〜、と思いました。心臓もバクバクしています。でも!この怖さ、辛さは、私が強くなるための、ひいては病気の症状で怖くなってもそれに耐えられる力をつけるための、避けては通れない関門なんだ!治るために、必ず通らなければならない関所なのだ!と思いました。この怖さを経験して、たとえ当たって砕けろ的になったとしても怖さに直面しなければ、 私は一生このまま、怖さに怯えて暮らす人生になってしまう。なるべく怖くないように、極力心に負担が掛からないように、あらゆるツテを駆使して生きようと思えば、不自由かも知れないけど、全く不可能という事は無い。自分が情けなく思うだろうけど、怖いよりはマシ、辛いよりは全然我慢出来る、そういう考えも考えられましたが、年を取っておばあちゃんになるまで生き延びたとして、親もいなくなり、弟もいなくなり、弟の子供に頼る訳には行かず、彼氏も先にいなくなり、年金のみが収入で、友達もみんなヨボヨボで他人の世話どころじゃなくなった時、私、このままじゃ、一人じゃ生きていけないじゃん!と、とても恐ろしく思いました。

 そうなってしまってからでは遅い!心臓が動いている限り、イヤでも生きなきゃならないから、今後の事を長い目で見た時に、今、こうやって病院の先生もいる恵まれた環境の中で実行しないと、私、一生何も怖くて出来ないまま、野垂れ死ぬしか無いわ!と思いました。病気が良くなって来たという多くの患者さん達も、怖い事をやり続けて鍛え続けて慣れて行った結果、それを克服出来たと口々に言っている。克服するには、それ相当の怖さと苦しみに耐えるしか無い。でもその数ヶ月の苦しみに耐えたら、そこには何かしらの光が見えている可能性は高い。 可能性に賭けるべきだ!全部が出来なくても仕方ない、だって怖い事だから。一度に多くを望み、多くに期待するのは辞めよう。もしかしたら1個とか2個とかしか上手くやれないかも知れない。でも、パーフェクトじゃなくても、やるだけの事はやってみよう!わざと積極的に、怖い事をやってやろう。怖い時こそ、実は治すためのチャンスなのかも知れない!一度、ボロボロになりながらでもゼイゼイになりながらでも越えられたら、それはまぎれもない「やれた」という事実、実績になる。そこにどんな恐怖感を伴ったとしても、やったのだったら、やれたという事になる。一度やれば、自分次第で次につなげられる。とにかく何がどうなろうとも、始めの一歩を踏み出さなければ、何も始まらない。どんどんぶつかって、どんどん怖がって、どんどん我慢して、そしてさらにどんどんやってやろう!私は強く心に誓いました。そう自らの自主的な気持ちで行動療法に望もうと決意出来た時、やっと出発の帆を上げられた気がしました。
 「いいかっ!今度逃げて帰って来たら、名古屋にはもう絶対行かせないからなっ!家にいても、お母さんがもう精神的に限界だから、今回の治療でダメだったら、お前をどこか病院に、強制入院させる!これは脅しじゃ無いぞ!ボクがやると言ったら絶対やる事を、お前も知ってるだろう! いいか、わかったか!これが最後だぞ!」
 集団行動療法の日の朝、父は私に言いました。前日、やってはいけない確認ばかりを繰り返す私に激怒し、そんなお前は行動療法をやっても無駄だ、やるなと言われた事をやって勝手に苦しめばいい、本気で治す気が無いお前はもう名古屋に行く資格が無い、病院の先生に行きませんと断れ、と怒鳴った父に、私は必死で頭を下げて、もう一回だけチャンスを下さいとお願いしました。

 父は頑として譲らなかったのですが、何度も泣いて土下座する私に、これが最後と、チャンスをくれました。別に父の許しを得なくても、行きたければ自分で行けばいいじゃん、と思うかも知れませんが、その時の私は一人で外出する事が出来ず、情けない話ではあるのですが、どうしても父に車で連れて行ってもらわねばならなかったのでした。

 名古屋に着き、午前中、私は岡嶋先生のカウンセリングを予約していたので、それを受けました。
 「どうです?寝たきりをやりましたか?」
 「はい」
 「どうでしたか?」
 「最初のうちは良かったんですけど、だんだん新しい強迫観念が浮かぶようになって、止まらなくなって、確認行為を何度も何度もしてしまいました。寝たきりだから何もしなくても良くて楽になるハズなのに、何だか余計に具合が悪くなって、怖くて怖くて一日中、恐怖感と動悸が止まりません」 
 「そうなんです。わざとそういう風になるようにしたのです。それを「どん底体験」と言います。」
 「えっ?わざとですか?」
 「そうです。寝てばかりで何もしないでいると、どんどんと頭の中では余計な事を考えるようになるでしょう。『ヒマは強迫の大敵』なのです。何もしないでいると、他に考える事が無いから、ますます頭は一番気になっている強迫観念の事を考えてしまいます。それを体験してもらいました」
 「………」
 「さて、あなたはどん底に落ちてしまいました。あとはもう、はい上がるしかありません。今度こそ、しっかりやって下さい。あなたが本気で治療をするなら、私は後ろから、ちゃんとフォローします」

 岡嶋先生のキッパリした言葉を聞いて、私は「やるしかないな」と思いました。今の私の状態が、本当にどん底なのかはわからない、さらなるどん底が実は存在するのかも知れない、と思ったけど、でもとてもとても苦しい状態だったので、このままでは身が持たないと思いました。はい上がるしか無い…でも、本当に私にはい上がる事が出来るのだろうか?心は不安でいっぱいでした。自分に全く自信がありませんでした。また出来ないかも知れない…だって、こんなにも怖いのだから…こんなに頑固に頭に染みついてしまった恐怖に、私は立ち向かえるのだろうか?

 集団治療の初日は、午後からの講義と患者達の自己紹介なので、私はいったん病院を出て、両親と一緒に昼食を食べました。食べながら、とてもドキドキしていました。元来、私は、とても食いしん坊なのですが、この時は、あまり食事がノドを通りませんでした。
 「何、あんた、暗ーい顔してー!ほんっとビビリな子やな。私の子とは思えんわ。陰気な顔してると余計に暗闇に取り憑かれるぞ!どうせ行くなら、胸張って行かんかーい!」
 母にハッパをかけられて、私は気付けにタバコを2本、立て続けにバスバス吸った後、 病院に向かって歩き出しました。

 下手に「よし!」とか「頑張るぞ!」とか思うと、出来なかった時のショックが大きいので、それは今の私には耐えられないと思い、なるべく心をフラットに、何も感じないように、ただひたすら足を動かして「病院についたら、もう一本タバコを吸っちゃおう」とか思いながら、わざとフンフン鼻歌まじりに、今の自分を茶化す感じで、早鐘のように鳴る心臓の動悸は「鳴りたきゃ鳴れ!」とわざと強がって、あっけらかんとした心境になるように努めて行きました。前回治療を受けた患者と、今回新しく受ける患者が部屋に集いました。

 前回一緒に治療を受けたみんなは、とても元気そうでした。みんなまだ怖い気持ちや強迫観念はあって、闘い中ではあるけれど、日常生活で積極的に出来なかった事に挑戦していると言っていました。そしてまだ完全には良くなっていないけど、いくつかはわりと平気で出来るようになって来たと言っていました。みんなの症状を知って、みんながどれだけ苦しんで来たかを知っているので、治療前の自信の無い、口ごもったような小さい声とは違って、強い声でハキハキと自分の治療後の結果を報告するみんなを見て、みんな、がんばったんだなぁ、よかったなぁ、と思いました。やっぱり努力した人にだけ、この喜びは与えられるんだろうな、と思ったりしました。 みんなも、それぞれにとって、死にたくなるくらい怖い事をやって克服して行ったんだと思うと、私もしっかり頑張らなくては、と、何だか励まされました。でも一方で、私に本当に出来るのだろうか?私はやり遂げる事が出来るんだろうか?と、ドス黒い不安が胸の内でグルグルグルグルしてもいました。

 原井先生による病気に対する解説と、治療の講義があった後、今度は今回新しく治療を受ける患者の自己紹介がありました。みんなそれぞれの、理不尽だとはわかっていても、次々に沸いて来てしまう強迫観念に怯えていて、症状の事を口にするのもはばかられると言った感じで、自信のない、弱り切った小さい声で、言いよどみながら自己紹介をしていました。みんな症状の説明をする以外に、「怖くてたまりません」「怖くて出来ません」「こうなったらどうしよう?」と、言っていました。それぞれの恐怖の対象の事が怖くて怖くてたまらなくて、どうしてもやれない…と言っていました。

 それを聞いていて、私は、「避け続けるから余計に怖いんだよ!怖いという気持ちの言う事を聞いちゃうから怖いんだよ!やらなきゃ出来るようにならないよ!頑張ってみなよ!やってみなよ!やらなきゃダメだよ!」と、何故か自分の事は棚に上げて、思っていました。そしてそう思った瞬間、ハッ!と思いました。

 これって、今の私の事じゃん!

 他人の事は客観的に判断出来ても、自分の事となると恐怖という感覚に耐えきれないあまり、本当の事が見えなくなって、自分がどうしたら良いのか全くわかっていなかった、と気づきました。ちょっとこれは、かなり目からウロコな体験でした。それまで私は、病院の先生から「こうしなさい」と指導されて「なるほど!」と思い、 本なども読みあさって「こうしなければならないな」と思い、さらに原井先生がやってる患者同士のやりとりが出来る掲示板で
治療を受けて良くなった人が書いてる「辛くても耐えてやり続けること」というアドバイスを読んで、「そうだよなぁ、やっぱりそうなんだよなぁ、やるしかないんだよなぁ」と思い、自分がやらねばならない事、この病気の治療は何をすれば良いのか、という事をわかっていました。

 だけど、やろうとすると、それは他の人にとっては何でもない事ばかりだけど、私にとっては究極に怖い事ばかりで、怖くて怖くてたまらなくて、やれ!やるんだ!よし!やるぞー!と気合いを入れてみても、どうしてもやる事が出来ず、何で他の人は怖くてもやれたのに、私はやれないのかなぁ?と不思議に思い、かつ、焦っていました。出来なくて、焦って、そうこうするうちにも怖い気持ちはバンバン沸いて来て、「どうしても怖くて出来ないのですが、どうやったら出来るようになりましたか?」とか、「怖くても、やっぱりやるしか無いんですよね?」など、その掲示板に質問を書いたり、岡嶋先生にメールで質問していました。「身を捨ててこそ、浮かぶ瀬もあり」と書いてくれた人もいました。

 身を捨てるつもりで思い切ってやれば、その先には良い結果が待っている、自分も怖くて怖くてたまらなかった、でも必死でこらえてやり続けた、そしたら、だんだん怖がらずに出来るようになって行った、と、その人は、私の「どうしたら?」の質問の答えとして書いてくれました。そうだよな、やっぱりみんな、怖いんだよな、でもやったんだよな、やるしかないんだよな、そう思って再び自分でチャレンジするのですが、どうしても怖い気持ちに逆らえなくて、出来ないでいました。

 何で自分は出来ないんだろう?どうすれば出来るようになるんだろう?ずっとずっとずーっと、そう思って月日が経ちました。やらなきゃならないのはわかってるし、やろう!とも思う。そして実際にやろうとする。だけど、やっぱり出来ない。

 どうして?
 何かコツはあるのか?
 ずっとそう思って来たけど、今、まさに、コツをつかんだと思いました。
私はこれまで、人から情報を与えてもらって、なるほど!と確かに思いました。それをやれば良くなって行く、という事も、患者さん達の体験談を読んで理解していました。そして、私もそれをやれば良くなれる、とも思いました。そこで、やろうと思ってやってみていました。でも、とても良く理解していて、やろうとも思っているのに何故出来なかったか?その答えがわかりました。表面的には、確かに私はとても良く理解をしていました。とても知識を得ていました。各国の精神医療において長年行われていた患者の治療実績の統計からも、それはベストでは無くても最もベターな方法だと数値的にも実証されていました。なので、それはとても信頼のおける治療法だと確信しました。是非やってみよう、とも思いました。なのに、何故出来なかったのか…つまりは私は、頭でそう理解していただけだったのです。「出来なかった」のではなく、「やらなかった」から出来なかったのだと気づきました。 本当にまっさらな目で、自分自身をちゃんと見ていなかったのです。

 私は病院の先生や患者さんの体験から、やるべき情報は得ていました。それはとっても良いものだと思いましたが、この時点では、私の態度はまだ「受け身」です。「やろう」「やれ」「がんばれ」と思いましたが、それは情報を受けてそのまま生じた気持ち、っていうだけでした。その情報を実行するにあたり、私は自分の事を、自分の欠点を、心底観察して気づいていなかったのです。受け身な状態のままやろうとしていたから、本気な自分の意志でやる、と言うよりは、 その時は全くそういう自覚は無かったけれど、実は無意識に、「良いと言われて、やらされている」的な、どこか自己責任を放棄した、責任転嫁な気持ちがあったのではないか?と思ったわけです。自分では自分からやってるつもりでいたけれど、実はほんとはとっても受け身な、他者からの指示待ちな、「先生がこう言ったからやる」「患者の誰それさんがこう言ったからそうする」みたいな、非常に自己決定の責任をまぬがれた、他人に決めてもらったままやろうとしてたから、 結局、自分で決心がつかなくてやれなかったのでは、と。

 本気で心底自分の意志と責任でやろうとしていたのではなく、「自分で」という自覚をしないままやろうとしていたから、結局「怖い」という気持ちが起きた時に、怖い気持ちを味わう事に耐えられない、耐える努力が出来ない自分、病気とは全く関係が無く、そもそも自分が「怖い」とか「不安」に対する耐性が弱いという本質、現実から目をそむけて、「病気になったせいで怖いから出来ない」「不安のせいで出来ない」「あれが怖いから出来ない」と、自分の耐性の弱さを自覚せず、「病気」「不安」「怖いと思う対象物」という自分以外の第三者のせいにしてばかりいたから、私は出来なかったんだ、と自覚しました。

 確かにこの病気は辛い。とてもじゃないが苦しくてたまらない。世の中の人の全てが怖いと思う事ではなくて、自分でもバカみたいと思う事が怖くなるから余計に辛い。そういう状態になってしまうのは病気のせい。病気の症状。だけど、病気によって生じる「怖い」「不安」という物を、どう受け止めるか、どう処理するかは自分次第なのだ、病気だから出来ないのでは無く、私自身が持っている何か起きた時の対応能力が弱いから出来ないんだ、と気づきました。そして「出来ない出来ない」と訴え続けていたけれど、その自分の弱い部分を「病気だから」と自分に言い訳して、自分の本当の問題点をちゃんと見ようとしなかったから出来なかったんだ、と思いました。

 私はたとえ、まぐれでこの病気が治っても、また全然別な事で壁にぶつかった時、それに対処出来ずに人に相談しまくって、自分では何も出来ない人間になってしまう!と危機感を覚えました。そういう生き方じゃ、もう子供じゃないからやって行けないし、周りが見守って手助けしてくれる子供に戻りたいと言っても、悲しいかな、それは不可能だし、何よりも、自分の弱い部分に目をそむけて、何か他のせいにして、結局自分の足で生きて行けないような、そんな生き方はダサくてカッコ悪いと思いました。よくよく考えてみれば、この強迫性障害という病気も、私が怖いと思ってしまう物たちも、周りの人間も、先生のアドバイスも、患者さん達の体験談も、それ自体には本当は何も意味は無く、ただ目の前に「それ」として転がっているという現象にしか過ぎず、言ってみればそれは、道ばたに転がっている石と同じなわけで、それにどう意味を持たせるか、それをどう感じてどう捉えるかは、自分次第なのだ、と思いました。

 そう思った時に、私がそれらに対してどうするかは、自分で決めるしかないのだ、と確信しました。いくら周りが「これは良いよ」と勧めてくれても、結局本当に自分にその気が無ければ、それはただの机上の空論になり果てて、何の役にも立ちはしない、と思いました。私がつかんだコツとは、「どう行動療法をやるか」「どうしたら行動出来るようになるか」では無く、まずは「不安な気持ちや不安な感覚に耐える力が弱い自分を鍛える」という事でした。 
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岡嶋先生から、2週間ずっと寝たきりになりなさいと言われた私は、上司に事情を話して、再び会社を休職する事になりました。そして2週間、トイレ、食事、風呂の時間以外は、ずっとずっと布団の中で過ごしました。何もやる必要のない生活は、最初は安心で安全だと思いました。私は怖い洗濯物たたみをする必要も無いし、怖い会社のトイレに入らなくてもいいし、 止まらない確認行為と仕事の締め切りの狭間で焦らなくてもいいし、ご飯は黙っていても自動的に出てくるし、掃除も洗濯も何もしなくて良いし、とにかく、日常生活のありとあらゆる事で強迫観念が沸いて苦しんでいた私は、それらに触れる事なく過ごせる寝たきり生活に、安堵を覚えたりしていました。

しかも先生からのお墨付きで、何もやらなくてもいいわけですから、何の罪悪感も情けない感も無く、最初の二日ほどはグーグー寝て過ごしました。しかしそのうちに、ふと、新たな強迫観念が沸くようになったのです。寝ながら天井をふと見た時に、換気扇カバーの網が目に入った途端、何だかゾクリと胸に恐怖を覚えました。この感覚は何だろう?どうして換気扇カバーを見て怖くなったのだろう?と、一瞬頭によぎった途端に、「あれは換気扇カバーではなく、何か発火するものだったらどうしよう?」と、何故か突然思ってしまったのです。

そんなハズはない、あれはずっと前からあそこにあったじゃないか、しかも天井なんて手の届かない所に、私が何か燃えてる物を置けるハズもない…自分を納得させようと、自分に理屈を言い聞かせるのですが、意に反して、恐怖感はゾクゾクゾクゾクと胸の中にせり上がって来るのです。
「怖い!」
やみくもに沸いてくる恐怖の感覚に耐えかねて、私は換気扇カバーに対して確認行為を試みます。あれは換気扇カバー、換気扇カバー、換気扇カバー、換気扇カバー…頭にしっかり刻み込まれるように、何度も何度も心の中で唱えます。
「ヨコ」
すると今度は、カバーの網目が怖くなって来ました。本当にあれは換気扇カバー?換気扇カバーに網目があれば、それは確かに換気扇カバーなのだ!そう思うと、網目がある、網目がある、網目がある、網目がある…
と、延々と網目の存在を確認しだしてしまいました。そのうちに、パッと見た目で網目と捉えていた物が、何だかよくわからなくなって行き、 網という物はこういう物だったっけ?などと不確かな気持ちが沸いてしまい、網目のタテとヨコの線を、一本一本なぞりながら、タテ、タテ、タテ、タテ、タテ、タテ、タテ、タテ………よし、タテの線がある、ヨコ、ヨコ、ヨコ、ヨコ、ヨコ、ヨコ、ヨコ、ヨコ………よし、ヨコの線もちゃんとある、だから網…と、延々と何百回も確認しなければ、不確かでわからなくて、自分の不安を鎮める事が出来なくなってしまいました。

そうやって、一つの事で引っ掛かってしまうと、目に見える全ての物が、不確かで恐怖の対象になって行きました。カーテンの模様は本当に模様という物なのか?頭の下にある枕は本当に枕という物なのか?タンスの上の置物は本当は置物では無いのではないか?自分の認知力や記憶力という物に対して、すっかり自信を失っていた私は、自分が知覚した事に対して、何もかもが疑問に思え、よくわからなくなって行きました。 その不確か感から来る漠然とした不安感に対して、漠然で理由がない不安という事がこれまた不安で、この不安の正体は一体何なのだろう?と、意識的には自覚は無かったのですが、無意識の部分で答えを出したがっていたのであろう、私はその訳もなく溢れてくる恐怖感の正体に、「あれは実は、自分が認識しているような物では無く、本当は発火する何かでは無いか?」という、突拍子もない理由を、本気で付けてしまい、それから目に見えるありとあらゆる物が、実は自然発火するか、現在燃えている物なのでは無いか、と思ってしまうようになり、燃えていないかどうか、本当にそれは自分が知覚した通りの物なのかと言う事を、果てしない回数、確認しなくてはならなくなってしまいました。そのうちに、目に見えない物、例えばタンスの中に入れてある洋服とか、引き出しにしまってある文房具とか、本棚に挟んだ書類とか、そういった物が、私の知らない所で燃えてしまうのでは無いか?と思うようになり、それらに対しても、布団から抜け出して、何度も確認せざるを得なくなって行きました。 

そうこうするうちに、トイレなどに行って再び布団に入った時、実は私、気づかなかっただけで、何か燃えている物を布団の中に持って入ってしまったんじゃないか?とまで思うようになり、布団という物が怖くなってしまい、何度も掛け布団をはぐっては、何も無いかを確認し続け、浮かぶ強迫観念もとても恐ろしいのに加え、何度見ても見た気がしなくてヘトヘトになるまで確認し続けなければならなくなるので、 確認行為自体も怖く思え、もうどうしたら良いのかわからなくなり、何も見ないよう見ないよう、極力目をつむり、でも見なくても沸き上がってしまう強迫観念に襲われ続けて、朝起きた瞬間から夜眠ってしまうまで、一日中激しい動悸にさいなまれ、身体はガチガチの緊張状態になり、意識がある間は絶えず、大きな恐怖感に襲われて、恐怖で一日中、胸がゾワゾワ、ギューッと締め付けられて、そのうち頭がギンギンにさえ渡り、一睡も出来ない日が続くようになってしまいました。 

寝たきりにも関わらず、心身共にヘトヘトに疲れており、なす術もなく、怖くて怖くていられなくて、ずっと布団の中で泣いていました。そうこうするうちにも、強迫観念は、確認しろ、確認しろと頭の中で鳴り響き、布団から抜け出しては、泣きながら延々と確認行為を続ける…そんな2週間を過ごしました。

寝たきりになる事で、何か良い改善策になるのだろうか?と思ってやってみた結果、余計に苦しくて、にっちもさっちも行かない気持ちになり、岡嶋先生は何で、こんな課題を出したのだろう?と思いました。
さらに具合が悪くなってしまった私は、親の前でも執拗に確認行為を繰り返していました。例えばご飯を食べて、何気なく茶碗を机に置いた瞬間、「はっ!もしかして、茶碗の下に燃えてるタバコを置いてしまっていたらどうしよう? 誰も気づかずに、そのままタバコが原因で、火事になったらどうしよう?私の責任で、家族全員が家を失うか、最悪は焼け死んだらどうしよう?」と思ってしまい、何度も茶碗を持ち上げては、確認を繰り返してしまったりしました。 

確認をすればするほど、症状が悪化する事を先生から言われて知った両親は、激しく私を叱責しました。「いい加減にしないかっ!」「確認したらダメだろう!お前は何を名古屋で習って来たんだ!今すぐ茶碗を置け!」 怒鳴る父に、
「ごめん!茶碗の下が燃えたらどうしようと思って…」と私は茶碗の下の机から目を離さず、何度も確認をし続け、「辞めろ!お前は手から火が出せるのかっ!お前はイリュージョニストかっ!」と母に茶碗を取り上げられて、ビンタをされたりしていました。何度注意されても全く確認行為を止めない私に、そして再びしつこく私の代わりに確認をしてくれと母に追いすがる私に、父はとうとうブチ切れてしまい、私の胸ぐらをつかんで、グーで私のほっぺたを殴り付けると、「もうお前はダメだ!何をやっても無駄だ!先生からやるなと言われている事も守れない!何のための行動療法だったんだ!お前は何も気づいてないっ!
自分の弱さに負けて治る努力もしないっ!お前には何をやっても無駄だっ!お前は本気で治す気が無いっ!もう名古屋に行くのは辞めろ!無駄だっ!明日の集中治療プログラムは断れっ!いいなっ!今すぐ岡嶋先生にメールして断れっ!私にはやれませんと断れっ!」と、怒鳴りました。

私は泣いて、そんな事は言わないで!と言いました。「ダメだっ!名古屋には絶対連れて行かないからなっ!そんな態度で何回治療を受けても無駄だっ!やるなと言われた事をやって、勝手に苦しめばいいだろうっ!お前がここまで弱いヤツだとは思わなかった。情けないっ!今すぐ岡嶋先生に断れっ!」

私は、再び集中治療プログラムをやるのは死ぬ程怖くてイヤでしたが、でも、いざそれが出来ないとなると、もう病気が治る可能性がゼロになると思い、是が非でも治療を受けなければならない気分になりました。このまま名古屋の通院を辞めてしまったら、もう頼る所も無く、なす術もなく、私のこれからの人生の事を思うと、暗澹たる暗闇しか見えませんでした。怖いけど、それがかすかな光になるなら、それを辞めてしまったら、もう私はどうしたら良いのかわからないと思いました。
「ごめんなさい、そんな事は言わないで下さい、明日の集中治療を受けさせて下さい、 名古屋に連れて行って下さい、お願いします、お願いします!」
「ダメだっ!絶対に許さんっ!早く岡嶋先生にメールしろっ!」
「お願いします、今度こそちゃんと頑張ります、連れて行って下さい、お願いします」 私は完全に怒り狂ってしまった父に、泣きながら土下座して、何度も何度も頭を下げ、頼み続けました。
つづく
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