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こだわり力
これはY子さんのブログからの引越しです

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何より大事な儀式妨害

 二度目の集団行動療法プログラムから家に帰ったその日から、私は親や会社の人や相棒に、確認を代わりにしてもらうのをキッパリ辞めました。それと同時に、親や相棒に「怖い」「苦しい」「出来ない」「辛い」と訴えるのを、いっさい辞めました。そして、それでもまだ足りないと思いました。不安そうな、苦しげな、落ち込んだ顔や態度をするのも、いっさい辞めました。岡嶋先生と、携帯電話が怖くて使えない事に対する訓練として、毎日メールのやりとりをする課題にしても、私はもう岡嶋先生に病気の事を訴えたり、どうしたらいいか?と質問するのをキッパリ辞めました。岡嶋先生へのメールには、病気とは全く関係のない、自分の好きな物や楽しかった事、とにかく明るい話題を書く事に徹しました。
 そして家に帰った直後から、私は今まで母に全部やってもらっていた事を、自分でやりました。怖くて出来なくなっていた事に、どんなに怖くても、逃げずに向かって行きました。そしてその時不安が込み上げて苦しくて死にそうな気持ちになっても、確認をせず、そのままその場を立ち去りました。それらを実行するのは、ハンパなく怖くて不安で、気が狂いそうな気持ちになりました。その度に、何度もくじけそうになりましたが、と言うより、ほとんどの場合がくじけてしまいそうでしたが、
 「この苦しさは、自分が不安に対して強くなるための、味わう事が必要な苦しさなんだ!」と自分に言い聞かせ、必死で我慢しました。頑張って頑張って頑張りまくりました。
 そうは言っても、今まで自分にとって、この世の何よりも怖い事をやるわけなので、やろうとしても出来ない時や、確認をしないで去ろうとしても、不確かでたまらなくて怖さに負けて、何度も確認してしまう日も沢山ありました。
でも、私は上手く出来なかったからと言って、それを悲観的に考えるのを辞め、落ち込むのを辞めました。ああ、出来なかった、確認してしまった、次は頑張ってやってみよう!と、無理矢理にでも次へ次へと積極的に気持ちを次へ向けました。
 落ち込みそうになったら、わざとおどけて自分を茶化したり、明るい歌を歌ったりしました。「我慢するようではいけない」と岡嶋先生に言われましたが、それでも私は我慢しなければ出来なかったので、最初先生にそう言われた時はとまどいましたが、とにかくどんな状態になろうとも、怖い事に直面し、確認をしない事が先決と思い、ひたすら我慢に我慢を重ねて耐え続けました。

 私は自分で自宅で行動療法をやる毎日において、前にも増して、恐怖感が胸に込み上げ、胸をしめつけられ、
絶えずバクバクと動悸がし、呼吸がしづらくなって、ぶっ倒れそうになりましたが、岡嶋先生に習った緊張や筋肉をゆるめる体操を何度もやって、身体をリラックスさせるよう努め、どうしてもどうしても込み上げる恐怖に耐えられない時は、鼻歌を歌い続けて、鼻歌に意識を向けて、気をまぎらわせました。鼻歌を歌いながらも恐怖で胸がバクバクしましたが、そしたらますます熱心に、感情を込めて鼻歌を歌いました。また、私の場合は、日常のありとあらゆる事が強迫の対象だったため、一度に全てを完璧にこなすのはハードルが高すぎると、やってみて思いました。なので、自分の中で基準を決めました。まず、怖くて出来ない事に関しては、とりあえず全て挑戦する、避けてやらないと言うのはいっさい辞めて、どんなに怖くても避けずに自分の力でやる、ただし、最初は何でもかんでも手当たり次第にやるのではなく、やる必要が生じた時にやるようにする、確認をしない事については、基本的には確認ゼロを目指す、ただしどうしても怖くて確認してしまう場合は、どんなに多くても最高で10回〜15回までとする、決めた回数確認しても不確かな場合は、きっとそれ以上確認を続けても不確かなままな事は経験済みだから、やっても時間の無駄、なのでそれ以上の確認は辞めて、どんなに怖くても振り切る、と言う感じでやりました。

 そうやって、上手く出来ずに失敗した時も多々ありましたが、とにかく1個1個の出来た出来ないに一喜一憂せず、淡々と、粛々と、ただし積極的に攻めの姿勢でやり続けていくうちに、最初の1ヶ月くらいは、無理矢理我慢して、死にそうな恐怖を覚えて、吐きそうになりながらやっていましたが、少しずつ少しずつ、あまり気合いを入れなくても、出来る事が増えて来ました。また同時に私は「ヒマは強迫の敵」と岡嶋先生が言われた事を肝に命じ、休んでいた会社に復帰し、無理するなと心配する上司に頼み込んで、逆に仕事を増やしてもらいました。またプライベートでも、それまで人を殺したらどうしようと思って外出出来ないでいましたが、仕事が休みの日は、あえて一人で出掛けて、今まで入れなくなっていた喫茶店に入り、またページの間に燃えてる物を無意識に挟んだのでは?と思って本を読むことが出来なくなっていましたが、喫茶店に本を持って行って、コーヒーを飲みながら読書するようにし、文字を読むのも、本当に読んだ気がしなくて不確かで、確かに私は正しい文字の読み方をしたかどうか不安になって、何度も何度も同じ文を読み直さないと次の行に行けなくなっていましたが、読み間違えても正しく頭に入らなくてもいいと自分に言 い聞かせて、本を読む訓練を続けました。

 また、家事に対しても、燃えるんじゃないかと言う非現実な観念が浮かんで怖くて出来なくなっていましたが、
積極的に家事をやる事にしました。テレビや新聞を見るのも怖くて出来ませんでしたが、毎日見るようにしました。買い物が怖くて出来ませんでしたが、洋服を買いに出向いたり、会社で使う文房具をかわいいのに買いそろえたりして、怖かった事にも楽しさもプラスされる形で、自分の身の回りを楽しくリニューアルするような感じで、
夢を持ってやりました。新しく、自分の好みのデザインの下着や靴下を買ったり、好きな匂いの香水を買ってみたり、自分に対してちょっとしたごほうびをあげるような感じで、心がウキウキするような事も心がけました。とにかく自分でいろいろ計画を立てて、病気の治療だけじゃなく、いろんな事をやるようにしました。

 病気の症状は相変わらず怖いままだし、強迫観念はバンバン浮かびまくるのも変わらぬままですが、自分で能動的に決めて、自分で行動する日々を送るうちに、私は病気が治る云々よりも、「私は自分の力で生きている!積極的に生きている!怖い事に包まれまくっているけど、そんな中で私は自分の意志で前に進んで生きている!」と、生きる事に対しての充実感に心が満たされ、生きる事は何て楽しいんだ!と、喜びを感じるようになりました。そしてさらには強迫症状は相変わらずあるけど、私の周りにあるのは強迫の病気だけじゃない、他にもとても沢山の事があふれている、楽しい事も実は沢山存在する、と言う事に改めて気づき、症状はありつつも、日々自分がやりたい事、やらねばならない身の回りの事に目を向けるようになりました。

 岡嶋先生に、初めて病気の事以外の内容のメールを送った時、「やっと病気以外の内容のメールが来ました」
と返事をもらいました。岡嶋先生は、私が自分でどうすべきか気づく事を、ずっとずっと見守って待っていてくれたんだ!と思い、本当に感激しました。岡嶋先生は、毅然と厳しい態度で治療を行い、同情をするそぶりは微塵も見せませんでしたが、深く患者の気持ちを理解しており、なおかつ感情に流される事なく、患者にとって何をすべきかと言う事を的確に判断し、実行する先生でした。

 良くなって来るにつれ、岡嶋先生が私に教えてくれていた事は、その時はそれが何を意味するのか、どういう効果があるのか、どうしてそんな事を言うのかわからない時もあったけど、実際に後々になって振り返ると、岡嶋先生の言われた事は何もかも、全てその通りだった事がわかり、「岡嶋先生の言われた通りだった!」と驚きもし、正しい判断を下して、グジグシと悩む私を見放す事なく、的確な治療をずっと施してくれていたんだ!と思い、とても感動しました。

 仕事時間(診察時間)が終わったプライベートな時間でも、休日祝日問わず、朝昼晩問わず、メールのやりとりを患者の治療のために無料でしてくれている岡嶋先生の事を改めて考えてみて、並大抵の覚悟では出来ない事だと思いました。いくら親しい人が相手だったとしても、毎日毎日、何度もしつこく悩み相談されたら、私だったら、こっちがマイってしまう!とウンザリしてしまうと思います。いくら自分が選んで就いた職業で、いくら熱心な人でも、ここまでの事はなかなか出来ないと改めて思うと同時に、岡嶋先生の誠実で熱心で情熱的な姿勢を力強く、頼もしく思い、その生き方に憧れ、尊敬の念を抱きました。

 私は、自分で気づき、決心して、イバラの道を血を吐く思いで歩きましたし、その結果、少しずつ少しずつ改善の兆しが見えて来ましたが、しかし、私一人の力だけだったら、ここまで覚悟を決めて頑張れただろうか?と思います。私にとっては、2回の集団治療を受けた事、それによって、2度目の初日に新たに参加する患者さん達の恐怖と不安でいっぱいの態度を見る機会を得た事、さらに医師としての原井先生と岡嶋先生に偶然出会えた事も大きかったですが、それよりも自分のプライベートを犠牲にしてまで熱意と誠意を持って患者のために生きる、その情熱と覚悟を持ち揺るぐ事なくご自身の道を力強く生きる、「人間」としての原井先生と岡嶋先生の生きざまに心を打たれて、二人の先生のまっすぐで純粋な誠意に対して恥ずかしくないよう、私も力の限り、正々堂々と自分の道を歩きたい!と思えた事が、私に腹をくくらせ、怖くてたまらない事に挑戦し続ける事が出来た大きなきっかけであり、理由でもあると思います。

 二人の先生に出会えた事は、私にとっては、一生忘れる事が出来ない、大きな影響力を持つ出来事です。二人の先生には、「病気の治し方」のみならず、「生きざま」を教えてもらった気がします。私もそんな風に、カッコよく熱く生きてみたい。だから頑張る!二人の先生には、本当に感謝の気持ちでいっぱいです。まだまだ私は、怖さに負けて何度も確認してしまう物が、いくつか残っています。これがかなり根深い恐怖感を伴って、日々襲って来ます。でも、めげずに前を見て、引き続き治療を頑張る覚悟です。

 「行動療法を体験して」おわり ※すべてY子の個人的な感想です!

 私は2度目に受ける事にした集団治療プログラムを、とにかく積極的にこなすように努力しました。また前回の時の大型ショップにも行って、カードのバラまき置き去り体験もやりました。ただ一つ、何とも情けない、今にして思えば、とても言い訳じみた事をしてしまったのですが、私が集団治療に出向く際に、自分で持つのが怖くなってしまって母に預けたカード類、 「持って行かなきゃならないから出して」と母に頼んだら、「キャッシュカードや免許証は、万が一、本当に無くなったらダメやで、持って行くな!これ持って行け!」と、お店のポイントカードや、美容院のメンバーカードのようなモノだけを渡されました。本当ならば「それじゃダメ!ちゃんとキャッシュカードをちょうだい!」と言わなければならなかったのでしょうが、その時の私は、キャッシュカードでは無い、無くしたってどうって事のないお店のカードを見ても、「これは本当はキャッシュカードなんじゃないか?」と思ってしまい、お店のカードなども強度な確認行為の対象となっていたので、「そうやな。こういうカードも無くすのが怖くて確認してしまうで、これ持って行けばいいよな」と言って、本当に現実的に大切な貴重なカードは持って行かなかったのです。

 原井先生に「今日もまたあの店で、カードの行動療法、やってみようね。ちゃんと持って来たよね?」と言われて、「キャッシュカードとかは本当に無くすと大変だから持って行くなと母に言われて持って来ませんでした」と言って、何枚かのお店のポイントカードを見せました。

 「あああ…」原井先生は、アチャーと腰がくだけたようなポーズになり、病院の受付台に突っ伏しました。「なんだー、持って来なかったのー?あなたのお母さん、あなたのためを思ってるんだか思っていないんだか…」とため息をつかれました。
 「うーん!しょうがない!」原井先生は伏せていた顔を上げると、自分のクレジットカードを取り出しました。そして、私の店のポイントカード類を貸してと言いました。それらを名前が書いてある方を表にしてコピーを取り、カード型に切り取ると、「これをあちこちにバラ巻いて!」と言われました。そんなわけで、それは本物のカードでは無く、カードのコピーではあったのですが、「カードの形をした四角いモノは、例えそれがカードじゃなくても、自分のキャッシュカードなんじゃないか?」と思ってしまって怖い私にとっては、それをバラ巻いて置き去りにするという行為は、やっぱりとても恐怖な事でした。

 「コピーを置いたと自分では思っているけど、本当は本物のキャッシュカードを家から持って来ていて、自分でも気づかない間に本物を置き去りにしてしまっているのでは無いか?拾われたらどうしよう?」
 何度も何度も強迫観念が浮かび、その度に、ガクガク手足が震え、怖くて怖くてたまりませんでした。
 「やりたくないっ!怖い!すごく怖い!どうしよう!」と何度も思いました。ちょっとだけ泣きそうになりました。
 でも、泣いてみてもどうにもならない、もうやるしか無いんだから、と、何だか前回よりは腹がくくれていたので、
 「よし。この怖さは治るための怖さだ。治るために味わわねばならない怖さだ。必要な怖さなんだ。良薬、口に苦し、だ!」と思って、どんどんやり続けました。

 コピーとは言え、店に置きっぱなしにするわけにも行かないし、まして自分の名前や電話番号なども書かれていたカードのコピーもあったので、置き去りにした後は、回収しました。でも1枚だけ、どこに置いたか忘れてしまって見つかりませんでした。ちょうどその前後に、病院のM先生に出くわし、M先生と一緒に回って探したのですが見つからず、「まあ、いっかー」と思わず私がつぶやいた言葉を聞いたM先生が、「あっ!今、まあいいかって言いましたね!言えましたね!」と笑顔で言いました。

 そういや、私、そう言ったなぁ、何だか面倒くさくなっちゃって、探すの無理!って思ったなぁ、と唐突に起きた心の変化に少し驚いたりしました。でも、しつこい私は、やっぱり探し続け、無事に発見して回収したのですが、ほんの少しでも「まあ、いっかー」と思えたのは収穫だと思いました。そんな感じで、とてもガクガク震えながら、恐怖におののきながら、吐きそうな気持ちでやったのですが、やり終えた後も怖くて怖くて不確かで、「ほんとは本物のカードを置き去りにしてるのでは?」と何度も思い、その度に、言いようのない恐怖に襲われて、息がハアハア荒くなって過呼吸っぽくなったりしましたが、「とにかく、恐怖は去らないけど、やる事はやった!」と、ちょっとだけ達成感が生まれました。

 自分の意志で、自分の力で、自分の決心で物事をやったのは、本当に何年ぶりかだったので、それまで死にたい、死にたいと思っていたけれど、何だか自分の力で生きている、という、生きる事に対しての充実感が生まれました。そうは言っても、あれだけ怖くて悩んでいた事だから、そうそう簡単には慣れてはくれませんでした。名古屋の街中での行動療法が終わった後、原井先生から、病院の入っているビルの喫煙所に、自分のカバンの中身やサイフの中身をブチまけて、それをいちいち確認せずにカバンにしまい、振り返らずに病院に戻って来るように、と、課題を出されました。忘れ物や落とし物が怖い私にとっては、それは清水の舞台から飛び降りる程の恐怖でしたが、もうやるしかないし、ほんとに治りたいと思っていたので、みんなが先にエレベーターで病院に戻った時、私はビルの喫煙所に行って、カバンやサイフの中身をブチまけました。ゾーッとしました。そして、確認せず、いちいち「これは何、あれは何」と確認せず、手に取ったら自動的にカバンの中に放り込みました。

 「どうしよう!入れたと思っているのは勘違いで、本当は携帯電話が落ちてるんじゃないか?」と思ってしまいました。携帯電話が誰かに拾われて、勝手に使われたらすごく怖い!と思いました。どうしよう?それで私は、怖さに負けて、カバンを開けて、携帯電話が確かに入っているか、何度も何度も確認をしてしまいました。私の戻ってくるのが遅いので、患者さんの一人が原井先生に言われて、私を喫煙所まで迎えに来ました。私はそれでも踏ん切りが付かなくて、その後も何度か確認して、やっとの思いで病院に戻りました。
 「遅かったね。確認しちゃったでしょ?」原井先生は言いました。
 「はい。ちゃんと本当に全部カバンの中にしまったか不安で確認してしまいました」すると原井先生は、自分のサイフからクレジットカードを取り出し、「これを喫煙所に置いて来て。確認しないで戻って来てよ」と言いました。
 「ええっ!そんな自分のカードにも責任持てないのに、先生のカードが無くなったら、私、責任持てません!」私は言いましたが、
 「いいから、今すぐ置いて来て!」と原井先生は言いました。
 部屋を出ようとすると、背後から「絶対確認しちゃダメだよ」と原井先生の声がしました。

 原井先生に言われて、私は原井先生のクレジットカードを持ってビルの喫煙所に行きました。置き去りと言っても、どこに置けばいいんだろう?まさか床に放り投げるわけにも行きません。なので、そこにあった自販機の上に置きました。人のカードとは言え、私のせいでカードが取られて使われて、原井先生に莫大な損害を与えたらどうしよう?と思い、とても怖くなりました。でも、確認しないでねと念を押されたし、そもそも私は、この恐怖を味わうために、今回参加したのではないか、と思い、そのまま振り返らずに病院に戻りました。
 「置いてきた?」原井先生に言われて、
 「はい。確認なしで置いたまま出て来ました」と私は答えました。
 それから2時間くらい、今日行った行動療法の反省や復習、原井先生の講義がありました。私は極力それに集中しましたが、ひょっとした間に、「原井先生のクレジットカード、大丈夫かな?」と思ってしまって、その度にゾッとしました。
 言い様もなく不安が込み上げて、身体がワナワナして来て、今すぐにでも確認しに行かないと、頭がおかしくなってしまいそうに思いました。だけど、頭の中で繰り返し、大丈夫か考える事も、目には見えないけど強迫行為、確認行為なので、原井先生やみんなの発表に気持ちを集中させるように努めました。諸々が終わった2時間くらい後、
 「じゃ、カード、取って来て!」と原井先生が言われたので、ホッとした気持ちになり、急いで喫煙所まで降りていって、原井先生のクレジットカードを取り戻しました。取り戻した時に「これは本当に原井先生のカードだろうか?誰かがすげ替えてたらどうしよう?」と思い、とても怖くてたまらなくなり、何度も原井先生のカードかどうか確認したくてたまりませんでしたが、こんなクレジットカードみたいな大事なカードを、いくら患者とは言え、他人の私に貸してくれて、自分のカードを犠牲にしてまでも、私の治療をやってくれた原井先生に申し訳が立たない、と思い、確認せずに病院に戻りました。

 「先生、ありがとうございました」私が原井先生にカードを渡そうとすると、
 「あ、それ、今度診察がある時まで持ってて!」と言うので、とてもびっくりしました。
 「えっ?先生、だって、無かったら困るんじゃないですか?」
 「いいからあなたが持ってて。人のカードを無くしたらどう責任取ろうって不安に思うでしょ?だからこれ、持ってて」
 「でも…」
 「これをサイフに入れて、いろんな所で出したり入れたりしてやってみてね。ちなみにこのカード、限度額無いから。無制限に使えるカードだから」
 そんな…無制限なんて…もし私がこのカードを無くしたら、先生は無制限にお金を使われてしまうかも知れない…
 「そんな大切なカード、責任持てないです」
 「このカードよりも、あなたが将来どうなっていたいかの方が大切です」
 私は感動のあまり、絶句してしまいました。いくら仕事とは言え、こんなプライベートな大切な物を、ただの患者の一人に過ぎないアカの他人の私に貸してくれるなんて…原井先生は本気なんだなと思いました。本気でこの病気で苦しむ患者を、助けようとしているんだ…原井先生が治療熱心なのは、これまで接して来てわかっていたけど、まさかここまで情熱があって、真剣だとは思ってもみませんでした。医者としてどう、と言うより、人間の生きざまとしてスゴいと思い、感激し、カッコいい!と感動してしまいました。損得を度外視して私の治療のために、いわば全財産を賭けた先生の事を思うと、先生のとてつもない大きな善意に恥じぬよう、私は何が何でもやり遂げなくてはならない!本気で腹をくくらねばならない!私も真っ直ぐに情熱的に生きてみたい!そういう気持ちがあふれて来ました。負けない!自分に負けない!私は心に誓いました。

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