ずっとフィリピンで暮らすとは?

長らくぶりのブログ再開。このままここで続けようかどうか?

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今日、ひさびさに日本に戻ったフィリピン人の上司と会った。この人は常に直前になって(しかも多忙なときに限って)用事を持ち込むので、こちらは毎度バタバタさせられてしまう。それはさておき、いろいろな食品をお土産に持ってきてくれた。

その中に、Boy Bawangというお菓子が入っていた。Boy Bawang、日本語でさしずめ「ニンニク小僧」といったところか。「お前はまだこのお菓子を知らないだろう」と言われたが、たしかにこのようなお菓子の袋は目にしたおぼえがない。

このお菓子の会社KSKのホームページ(www.kskfoodproducts.com)を見ると、この会社は1990年頃操業を開始し、2003年あたりにこのBoy Bawangというお菓子がヒットしはじめたという。そして、2006年度のスーパーブランド賞に輝いたという証が袋に刻まれている。広くフィリピンの味を宣伝しようと、英語の他に、フランス語、スペイン語、中国語の但し書きが付されている。ガーリック、チリ・チーズ、メキシカン・サルサ、チリ・ガーリック風味のそれぞれが宣伝されているが、今回もらったのはガーリック風味とホームページにはないバーベキュー風味だ。Uni Martで売られている値段は100g入りで、12.75ペソである。

早速、ガーリック風味の方の封を切ってみたが、中身は何てことはない、トウモロコシをニンニクと揚げて味付けしただけで、現地のサリサリ・ストアで似た駄菓子を買ったような気がする。

上司によるとこのお菓子はお酒に合うという(そうだ、思い出した!以前このお菓子を食べたのは、日本でフィリピン人が経営するフィリピン人向けの小料理店だった。サンミゲル・ビールのおつまみとして出された)。ぼくのまわりには酒飲みが多いので、みんなで食べるようにと買ってきたという。ガーリック風味の方はすでにぼくの腹の中に納まってしまったが。

以前、このブログで、フィリピンで一般に売られているお菓子はおいしくないと書いたが(「Oishi」の記事)、このお菓子も例に漏れない。また、揚げた際に残ったニンニクのかけらや皮も目立ち、粗雑な製法である。でも、この残されたニンニクのかけらと皮に、ぼくが現地の路上で好んで買うニンニクといっしょに揚げた落花生が重ね合わさり、ひいては(単純にも)フィリピンへの郷愁に誘われてしまった。

以下は、ある知り合いのフィリピン人女性とのチャットの記録である(英語から日本語に訳し、読み易いように若干修正してある)。日付は今日である。彼女はルソン島南部のレガスピ出身で、仕事を求めてマニラに出てきている。年齢は29歳で、レガスピの大学で教育学を修めたという。ぼくが彼女と知り合ったのは、昨年、マニラのクバオの長距離バスターミナルであった(そのときも、マニラに仕事を探しにきていると言っていた)。そこの食堂で席を一緒した際に、メールアドレスを交換した。彼女にはあまり良い印象を持たなかった。初めて会ったのに、交通費を貸してくれないかとか、チャットで話す機会があるごとに金の無心をされたからだ。このところは黙りを決め込んでいたが、今日少しばかり話を聞いてみようという気になった(以下の会話に対して、ぼく自身内省するところがあるが、ここでは敢えて放っておくことにする)。

彼女:私、今マニラにいるの。ねえ、私を助けて欲しいの。
ぼく:助けてってどういうこと?
彼女:マニラ、いいえドゥバイか香港とか外国で働きたいの。でも、手続きにたくさんお金が必要な
   の。少しの交通費や食費だけで構わないから助けて欲しいの。
ぼく:そうすれば、君は必ず仕事を見つけることができるの?
彼女:もちろん!だって生活を良い方向に持っていきたいもの。ちゃんと仕事を見つけるって約束する
   わ。
ぼく:このURLを見てごらんよ(フィリピンの日系企業の現地人向け求人に関する情報ページ)。
彼女:でも、私、日本語話せない。
ぼく:英語で大丈夫だから。けっこう色々な求人があるよ。
彼女:ドゥバイか香港の情報はないの?
ぼく:持ってない。
彼女:私には、どんな仕事ができるかしら。
ぼく:それは君次第だよ。
彼女:たぶん、ホテル管理か販売補助くらいならできると思う。販売コーディネーターでもいいわ。
ぼく:なら、このURLに君にふさわしいものがあるかどうか探してごらんよ。
彼女:わかった。でも、仕事を探すのに少々の交通費と食費が必要なの。
ぼく:インターネットで仕事を探すなら、君の故郷のレガスピからだってできるよ。
彼女:でも、私はもうマニラにいるの。ここの生活は苦しいの。
ぼく:自分でどうにかしないと道は拓けないよ。
彼女:私、お金がないの。
ぼく:レガスピに戻った方が君のためだと思うよ。
彼女:どうして?レガスピに戻った方がビジネスをしやすいけど、またすぐにお金が必要になるの。小
   さいビジネスでいいの。でも資本金がないの。
ぼく:去年会ったとき、君は今と同じことを言ってたじゃないか。でも、何ら進歩も努力の痕がないの
   はどうして?お金があるかないかの問題じゃないと思う。レガスピに戻って、静かな生活を送っ
   た方が良いと思うよ。飢えることはないだろうし、皆で助け合うことができるだろうから。それ
   がぼくは良いことだと思う。
彼女:私、泣きたい。どうしたら良いかわからないの。希望がないのよ。
ぼく:でも、十分な時間はあるし、インターネットをするお小遣いだってあるじゃない!レガスピに
   戻って、身の丈に合った生活を送った方が良いと思うよ。
彼女:インターネットをすれば、1分で20ペソかかるの(10分あるいは1時間あたり20ペソの誤り
   か)。でも、インターネットは必要なの。
ぼく:もし、20分間インターネットをしなければ、400ペソを稼げるよ。
彼女:私、そんなにいつもインターネットばかりしてるわけじゃない。
ぼく:でも、お金を貯めたいなら、そうした努力も必要なんじゃないの?
彼女:インターネットをするにも、充分お金があるわけじゃないの。でも、仕事を探すのに100ドル必
   要なの。香港で家政婦でも良いの。
ぼく:君はここでお金と時間を無駄にしているだけだと思うよ。レガスピに戻ることを心から勧めた
   い。
彼女:いやっ!無駄よそんなこと。
ぼく:じゃあ、どうしたら君はお金を貯めて、生活を向上させることができると思う?
彼女:レガスピに戻れですって?そこで何するのよ?雇用もないし、自分のビジネスだってないのよ!
ぼく:マニラにいたって仕事がないだろ?だから、レガスピに戻れって!
彼女:私、ビジネスを始めるためのお金がないの。
ぼく:お金の問題じゃないよ。
彼女:お金は仕事を探すうえで一番大切なの!だから、私はあなたなら貸してくれると思ったのに。お
   金なしには何も始まらないの!
ぼく:能力や適性だって大事だと思うよ。君はしっかりした計画や目的もなしにお金を失ったり浪費す
   るだけなんじゃないの?
彼女:もし私にレガスピに戻って欲しかったら、少しでもお金をちょうだい!そうすれば、小さなビジ
   ネスを始めて、私の頭も働くと思う。そして、退屈もしないと思う。
ぼく:だったら、手始めに、小さいサリサリストアを始めてごらんよ。もし、君に商才があるなら、す
   ぐにでも商売を大きくできるはずだよ。
彼女:私はすぐビジネスを始めたいの!でも、あなたは私を信用していない。私に賭けてみてよ!
ぼく:どうすれば君を信用できるか、ぼくにはわからない。
彼女:あなたは少しばかりのお金を失うだけよ。でも、あなたならそれができる!
ぼく:それは無駄なことだと思う。そして君のためにも良くない。
彼女:私を信用してみて!少し程度のお金を失うことって、あなたにはどうってことないでしょ!
ぼく:だから無駄だと言ってるんだ。君の今の考え方ではビジネスなんてできっこない。お願いだから
   ぼくを信じて、これまでぼくが言ったことをもう一度確認してみて!
彼女:いつか私がお金持ちになったら、貧しい人たちにお金を分け与えて助けてあげるの。
ぼく:それは良い考えだね。
彼女:以前お金を貸してくれと頼んだとき、あなたは非情にも断ったわよね。私がどれだけ傷ついた
   か!あなたの悪い考え方って大嫌い!わがままよ!去年、マニラで交通費を貸してくれないか
   頼んだときだって、貸してくれなかったじゃない!あなたって、すごく利己的!
ぼく:馬鹿げてるよ!「悪銭身につかず」だよ。
彼女:私を馬鹿扱いするつもり?
ぼく:君にお金をくれる人はみんな良い人なの?
彼女:だって、そうでしょ?
ぼく:それって、売春婦と同じ論理だよ。
彼女:自分自身の利益のためだけにやるならそれ(売春)は悪いこと。あなたがそんな考えならそれで
   良いわよ!そして助けてくれなくて結構!でも、誰もあなたの考え方を理解してくれないでしょ
   う。
ぼく:だったら、君の考え方を理解する人を見つけてきたら?誰かいる?
彼女:いるわよ!
ぼく:なら、その人たちにお金を借りればいいんじゃない?そして、レガスピに戻ったら?
彼女:あなたのような考え方でない人はたくさんいるわよ!いいえ、私はマニラにいたいの!そして売
   春婦になるの!それって良いことかも知れないわね。だって、あなたそう言ったでしょ?
ぼく:「売春婦になれ」でなく、「売春婦の論理」と言ったんだ。
彼女:私の生活は良くないの。お金は人の孤独を簡単に慰めてくれるの。私はお金が欲しいの!だか
   ら、今から私は罪を犯すことを始めるでしょう。
ぼく:その考えは麻薬と一緒だよ。お願いだから、レガスピに戻って、簡素な生活に落ち着いて欲し
   い。
彼女:わかったわよ。あなたの勝ちよ。でも私には手段がないの。希望もないの。
ぼく:希望だったら、ここにではなく、君の故郷にあるんじゃない?希望って、ささやかなものだと
   思うよ。
彼女:交通費だけでも良いからお願い!私、お金を持ってないの。わかった、もう行くわ。私のような
   良くない人間のことは忘れて!私はこれから悪い人間になるの。私の人生は悪い方向に向かい始
   めているわ。とにかく、時間を割いてくれてありがとう。私はあなたに近づきたい。でも、そ
   れって難しいこと。あなたの助言を聞けなくて、ごめんなさい。あなたの人生の中に私を刻んで
   くれてありがとう。とても感謝している。神のご加護がありますように。

デング熱

デング熱がフィリピン各地で猛威をふるっているようだ。今日の毎日新聞によると、今年1月からのデング熱による死者は188人に上ったという(現地のフィリピン人の知り合いたちはさほど気にも留めてないように思えるが)。

ぼくもデング熱に罹って、フィリピンで入院したことがある。それは2001年7月のことだった。7月7日(土)七夕の日、ぼくはバギオにいた。ちょうど台風時で、7月5日の日記には「バギオでは台風で20人以上が死亡。野菜の値段が2倍に跳ね上がる」と書き付けてあるなど、そのほかにも洪水や倒木による道路封鎖といった台風による被害が甚大だったと記憶している。また、デング熱に関する注意喚起もテレビ・ニュースなどでよく行われていたと思う。ちなみに、ぼくはフィリピンにいる間はどういうわけか毎日日記を付けている(億劫な日でも、少なくとも日付と場所程度の情報は記してある。日本では、1ヶ月も続いた試しがないのだが)。以下、おもに当時の日記からの抜粋である。

7月7日の夜、体の異変に気づく。寒気がして何もする気が起きない。インフルエンザだと思い、友人に薬を買ってくるよう頼んだ。体が夕食を受けつけない。

7月8日(日)、いよいよ体調がおかしい。寒気と頭痛がひどい。Harrison RoadのRose Bowlという中華レストランで無理して昼食をとる。でも、ほとんど手を付けず。
 14時20分発マニラのパサイ行きのビクトリーライナー(長距離バス)に乗る(285ペソ)。小雨が降り、辺りには霧が立ちこめたのでバスは山道を徐行。山道のコンクリート壁には、選挙の応援か'Gringo'(Gringo Honasan)、'Lacson'(Ping Lacson)という政治家の名前があちらこちらに落書きされている。バスはパンガシナンを過ぎ、ターラックでトイレ休憩のために停車する。マバラカットあたりで、気分は最悪になる。嘔吐したが、胃液以外の内容物はなかった。
 22時半、パサイのバスターミナルに到着。この日は、マニラでは滅多に乗らないタクシーに仕方なく乗る。運転手は深夜料金を払えというが、料金交渉の末150ペソで親友宅があるカヴィテに向かう。23時前に友人宅に到着(帰宅ラッシュ時だと2〜3時間かかることもあるのだが、夜遅くなら30分もかからない)。
 その日は、ひどい寒気と吐き気に襲われ、一睡もできず。寒気と吐き気が周期的にやってくるので、この時点でインフルエンザではなくデング熱と確信。翌日、病院に行くことにする。

7月9日(月)、友人夫婦に付き添ってもらい彼らがかかりつけのSt. Dominique Hospitalへ。病院に着くなり、血液検査と検尿を行う。その結果、デング熱かインフルエンザだと診断される。診察費は、検査費が200ペソ、診断料が260ペソだった。その後、病院でもらった処方箋を持って薬局(マーキュリードラッグ)に行く。薬代は1,000ペソを超えた。
 友人宅に戻るが、食事はまったくのどを通らない。夜はほぼ1時間毎に寒気と吐き気に襲われる。苦しい。間違いなくデング熱だ。熱は39.8度。入院治療することにする。

7月10日(火)午後、St. Dominique Hospitalに入院。大部屋(4人)はすべて塞がっていて、個室のみだという。1泊900ペソ。部屋には、冷房、テレビ、家具が備えられている。入院するにあたり、デポジットとして2,000ペソを前納する。患者の支払い能力を判断するためだという。要するに、支払い能力が証明されなければ入院できないのだ。検温、検尿、点滴をした後、病室に入る。
 主治医の先生は、明日の午後来院するという。ある分野で、フィリピンで2番目の地位にいる権威ある医者だという。
 看護士がひんぱんに検温、血圧、脈拍測定にやってくる。みな20代前半の若い女性である。ほとんどの医者や看護士は海外に職を求めるので、国内医療は人手不足だという。主治医の先生も、3つの病院をかけもちしているという。
 友人夫婦が見舞いにきて、世話をしてくれる。また、退院の日まで彼らのメイドの1人が病室にいてくれた。抗生物質の点滴が手の甲の血管に針を刺して行われる。血管が破裂しそうなほど痛い。また、看護士は勢いよく血管注射するので、怯えるとともにいささか腹が立つ。相手の機嫌を損ねて面倒を見てもらえなくなってはいけないので、ここはぐっと我慢し、ゆっくり注射するようひらに頼む。その日は明け方まで、入れ替わり立ち替わり看護士が検査をしに来るので一睡もできず。

7月11日(水)、入院2日目。血液検査の結果、血液の成分(血糖値か?)のうち最低100ないといけないものが、60しかないという。食欲が回復すれば、この数値も上昇するという。病院の食事はフィリピンでもまずいことを知る。主治医の診察を受けたところ、病状はデング熱か腸チフス(Typhoit fever)だという。両者とも症状が似ているが、デング熱では治りかけの頃体中に赤い斑点があらわれ、これが両者を大まかに区別する特徴だという。

7月12日(木)入院3日目、朝5時半に主治医の診察がある。熱も下がり、今日こそは退院できると思ったが、その夕方ひどい寒気に襲われる。ベッドがきしむほど体のふるえが止まらない。ふるえは30分ほど続く。吐き気がし、嘔吐する。熱は38度を超えている。看護士が解熱剤と抗生物質を投与。友人が買ってきてくれたアイスクリームとブコ(ココヤシの実の中のジュースと胚乳部)はのどを通るが、ビスケットは受けつけない。テレビでフィリピンの喜劇俳優Dorphyの映画'Home Along'(Home Aloneのもじり)が流れている。

7月13日(金)、入院4日目。主治医は来院せず。点滴の針が血管を圧迫するので、左手から右手に刺し代える。食欲は回復したようには思えないが、水分はやや容易に吸収できるようになる。ここまで、点滴(1リットル分)9本、抗生物質点滴1本、太い注射約10本、その他投薬を受ける。昨日に続き、Dorphyの映画'Tatay Nick'(Titanicのもじり)をみる。友人が差し入れてくれたJolibeeのフライドポテトはのどを通るが、ハンバーガーはまだ重く感じる。

7月14日(土)、入院5日目。主治医は、食欲が戻れば退院しても良いという。結局、この日の午後退院する。やっと点滴針から解放される。デング熱特有という赤い斑点はあらわれなかったようだが、最終的な診断結果はデング熱であった。入院費は約11,000ペソ、主治医への報酬が2,300ペソ。そして、投薬代が日本円で約50,000円。体調は依然すぐれず。

7月15日(日)、リサール州の友人宅に移動。この日買ったタブロイド紙で、フィリピンで活躍するハーピスト、ハヤシ・タダオ氏が彼の知り合いに殺害されたことを知る。7月17日まで静養に努める。そして、翌日から仕事に戻る。でも、少し歩いただけでも息切れが激しく、しばらくは体力の回復が必要。また、点滴した箇所がじゅくじゅくして腫れ上がる(点滴の痕は、両手に今も残る)。

以上、煩雑ながら、ぼくがデング熱に罹ってから入院、そして退院するまでの経緯である。近くフィリピンを旅行する知り合いには、はじめての楽しみな旅行に関わらず、デング熱のたいへんさについて死亡例などを交えてしつこく注意してしまった。水を差すようで申し訳ないが、くれぐれも気をつけたうえで旅行を楽しんできてもらいたい。

みなさんも気をつけてください。

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 このところどうも仕事のプレッシャーに押され気味で、仕事は進まないのに、気分的な疲れがたまりきっている。いろいろと趣味はあるのだが、いずれもストレス発散にはすぐに結びつかない。趣味に手間ひまをかける時間も金銭的余裕も今はない。野暮で下戸なので、ほとんど飲み歩くこともない。
 そんななか、今月末に知り合いが旅行でフィリピンに行くという。初めてのフィリピン旅行で、4、5名でマニラに3泊程度するらしい。いいな、うらやましいな、と思っていたら、一緒に行かないかと誘ってくれる。ぜひ行きたいし、行こうと思えば行けないわけではない。でも、状況がそうさせてくれない。
 そんな様子を感じてか、知り合いはお土産は何がいい、と聞いてくれる。ぼくはすぐに「Omega」がいい、と返答してしまった。Omegaといっても高級腕時計なんぞではなく、肩こりや体の痛みを和らげる塗り薬である。しかも、できればOmegaより強力なものが欲しい、と付け加えてしまった。もっとましなお土産があるはずなのだが、こんなものが真っ先に挙るのは病んでいる証拠か。
 今、思いつくストレスの解消法は、ぼく自身がフィリピンに行くことだ。それも来年に迫っている。もう少しの辛抱なのだが、なかなかしんどいこの頃である。

先の記事で、フィリピン人の知り合いからもらった食材のなかにバナナの葉も含まれていた。葉は乾燥したもので、短冊状に切りそろえられている。A4ノートパソコンが入るほどの袋にぎっしり入っている。これはどう料理に利用するのかとたずねると、ご飯を炊くときにいっしょに入れるという。さっそくそのようにしてみた。すると、炊きあがったご飯がこの葉っぱの香りに包まれた。炊飯器の中の葉はやや油っぽい手触りである。この感覚はフィリピンで経験したような。そう、スマンや@(名前が出てこない。細長い形)といったバナナの葉で餅米やココナッツミルクなどを包んだお菓子を食べたときの感覚だ。作り方さえわかれば、日本にいる今、手元のバナナの葉を使ってスマンや@を作ることも可能かも知れない。たかがバナナの葉、されどバナナの葉。これがあるなしで料理に幅がでてくる。また、バナナの葉をわざわざフィリピンから持ってくる(あるいは日本で手に入るのかな?)という食へのこだわりもたいしたものだと思う。


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