ずっとフィリピンで暮らすとは?

長らくぶりのブログ再開。このままここで続けようかどうか?

雑感

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ショック?

 SkypeやYahooなどのメッセンジャーで、ネット上のフィリピン人とチャットをよくする。相手がある程度分かれば、webcamを使った会話もする。時折、可愛い女の子とも知り合う機会が持てるので、どうでもいい会話に時間を浪費することに馬鹿馬鹿しいと感じることもあるが、なかなかやめられない。
 最近、ダバオ近くにいるという女の子とチャット友達になった。27歳ということで、webcamを通した彼女はかなり可愛い。「今度、時間があったら会おうよ」などど、こちらもつい好い気になって気が弾む。
 夜も更け、お互い「また今度ね」と会話を終え、webcamを付けたまましばらく席を外した。席に戻ってくると、webcamには彼女の股の部分が映っている。そして、短パンの横からパンティーを見せたかと思うと、局部に手をやり、それを見せつけた。また、胸にもカメラを向け、乳房を露出した。彼女は、おそらくインターネットカフェの個室から、それを誰かに対して見せている。もちろん、私にその光景が見えているとは気付かずに。
 「良い子だなあ」と余韻に浸っていた後だけに、ショックだった。でも、よくよく考えてみれば、確かに私にとっては初めての事件だったが、特定のネット上では少なからずこうしたことが行われているのではないか。例えば、代金を払ってフィリピーナとネット上でwebcamチャットできるというようなツールでは、よくあることなのかもしれない。自己紹介的な画像の中にも、ほぼそうしたサービスを目的に、個室のベッドに肌着姿で横になっているようなものを見かけることも少なくない。どの程度の稼ぎになるのかは見当がつかないが、そう言えば彼女は「お金がない」「仕事がない」ことをしきりに口にしていた。
 彼女の変貌ぶりを見て夢から覚めたような気になったが、現実もまた夢のようだ。こうした夢と現実に振り回される中毒作用のようなものがあるからか、フィリピンの現実と自身との将来的な関わりに不安を覚えつつもなかなか抜け出せないでいる。

 先日、久方ぶりに友人のフィリピン人神父から電話があった。彼がカトリック教会の神父として来日して、すでに5年以上が経っているはずだ。
 彼によると、自身の日本での神父としての任期が来年の10月で切れるそうだ。その後は、フィリピンに戻らなくてはならないという。
 「今度は、日本にいるフィリピン人や日本人キリスト教徒のためではなく、フィリピンにいる貧しい、チャンスに全く恵まれないような人々に奉仕しないといけないね」と、私は電話越しに彼にエールを送った。
 すると、彼は「いいや、フィリピンには戻りたくないんだ。できれば日本で働きたい。だから、何か日本で働ける仕事を紹介してくれないだろうか。もし、それが駄目でも、フィリピンの日系企業で働けるようにサポートしてくれないだろうか。もう神父の仕事は終わりにしたい」と、思いを打ち明けた。
 この彼の告白を、私はいささか残念に感じる一方、まあ当然なのかなと受け入れた。
 まず、残念というか疑問に感じたのは、彼が神父として聖職に一生涯身を捧げると思っていたからだ。たまたま私は、フィリピン滞在中に彼の司祭任命式に立ち会った。その式は、地元の知事を始め地域の人々が大勢集い、日本からもキリスト教会関係者らが列席する盛大なものだった。多くの人々が彼を祝福し、期待を込めたはずだ。彼もまた大勢の前で献身を誓ったはずだ。
 一方で、彼の告白を当然と感じたのには理由がある。彼と同じようなフィリピン人牧師を知っていたからだ。その牧師もまた、任期付きで日本の教会に勤めたという。彼は、その機会を利用して、アルバイトに精を出し、日本人がやりたがらないような高層ビルの窓ふきの仕事もやったという。そして、お金を貯めて、日本で知り合ったフィリピン人ダンサーと結婚し、フィリピンに帰って土地を購入して、不動産業のようなことをしている。土地の人は、みな彼のことを「牧師さん」と呼び、日本での成功者のようにもてはやしている。
 神父や牧師である当の本人たち、そして社会もまた「こうあるべきだ」と私が思い込んでいることに対して、全く厳格ではないようだ。フィリピン人、そしてキリスト教徒でない私には、こうした寛容さ、あるいは曖昧さが理解困難で、特に仕事の場面や利害が絡むとしばしば拍子抜けしたり、どっと疲労感に襲われる。しかし、それが彼らの生き方であり、考え方でもあり、信仰の形の側面でもあるのだろうと思っている。私自身、そういう生き方ができれば楽なのだが、実際そう簡単ではない。
 些細なことを言い出せば自分のいやしさのようなものが浮き上がってくるので、そうしたことに捉われず、できる限り友人の職探しに協力しようとは考えている。

DMIA

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 DMIAとは、ディオスダド・マカパガル国際空港の略称である。あるいは、クラーク国際空港ともいう。アメリカ軍が駐留していたクラーク空軍基地跡地の滑走路を利用した国際空港である(クラークという名前は、エアアジアのホームページによると、米軍の暗号部隊に所属し、ハワイで飛行を行った初のアメリカ人Harold M. Clarkにちなむという)。今回(2008年8月)、マレーシアへの出張のため、この空港を利用した。
 DMIAからは、エアアジアがマレーシアのクアラルンプールとコタキナバルに就航している(他の便や航空会社のスケジュールについては知らない)。
 マニラのパサイからビクトリーライナーに乗り、マバラカットのダウに向かった。パサイから約1時間半で運賃は145ペソだったと記憶している(マラテからパサイに送り届けてくれたタクシーの運転手によると、アンへレスまで2000ペソで行ってくれるという。高速料金は含まれていないだろう)。そこから、「チェックポイント」行きのジープニーに乗るよう地元の人に言われたのでそうする。ジープニー運賃は8.5ペソだったか。チェックポイント周辺には、インターネットカフェやレストランなどのほか、シューマートのような大型商業施設もある。
 ある旅行ガイドブックの地図では、空港へは歩いて行ける距離に思えたが、タクシーに乗るかジープニーを貸し切りにして行く必要があるという。トライシクルは認められていないという。ジープニーの運賃は250ペソを基本に、旅行会社やホテルが手配するものだとそれよりやや安いようだ。しかし、それらしいジープニーが見つからないので、タクシーに乗ることにした。タクシーの運賃は300ペソ。
 空港に向かうには、空軍基地内の敷地を通る。軍用施設の様子が見える。空港への進行方向左手には、ホテルが並ぶ通りが見える。十数年前にここにあるホテルに数度泊まったことがあるので、懐かしく思うとともに、時の変化を感じる。空港へは10分ほどの所要時間だった。復路分のガソリン代も含んでいるのだろうが、運賃300ペソはいささか高い。
 空港に入ると、目立つのは出稼ぎ者風のフィリピン人たちだが、人でごったがえしている感じはしない。チェックインやセキュリティーチェックで特に変わったことはないが、一つ失敗をしてしまった。手荷物の中に折り畳み傘を入れていたところ、それは機内への持ち込みが禁止されているので没収されてしまった。知らなかった(お気に入りの大型の傘だったので、雨の多い時期のフィリピンとマレーシアではなくて不便をした)。あとで、他の空港で白人客が傘だけチェックイン時に預けていたのを見たので、これでもはや同じ失敗は繰り返さないだろう。空港使用料は750ペソだったか。OFWなどはより安いようだが、いくらだったか記憶にない。
 以上が、DMIAの往路の行程である。
 マレーシア出張から再びDMIAに着くと(1時間遅れ)、入国審査の際、また失態を犯してしまった。審査の最中、いけないこととは知りながら、携帯電話に応答してしまった。職員から注意されてしまう。面目ない。
 入国審査を終えると空港建物の出口付近で、タクシーとバスの受付をしている。バスは、クバオとパサイ行きが出ている。もう一便の到着を待ってから、どちらも同じ時刻に出発するという。運賃は350ペソであり、往路の手間と経費を考えるとずいぶんお得感がある。バス会社は、パルタスとフィルトランコの2社を確認した。パルタスに乗車する。バスにはビジネスクラスというサインボードが掛けられている。今度、マニラからの便があるか調べてみる必要がある。
 バスは夕方6時に空港を経つ。途中、旧空軍基地内の戦闘機の格納庫だった空洞がいくつも見受けられた(日本でこうした旧跡を保存しようとする運動があるのをテレビで見たことがある)。7時半頃クバオのオーロラ通りのターミナルを経由して、8時頃にパサイのエドサ通りのターミナルに到着。快適であった。
 ターミナルに着くと、タクシーが客を待っていて、それに乗りこむ。運転手は、バスターミナル専用タクシーなので、マラテまで300ペソという値段をふっかけてきた。毛頭そんなに払うつもりはないので、ハリソンまで80ペソほどを支払い、そこからジープニーでマラテに向かった。
 以上、安いエアアジア航空でマレーシアに行くためにDMIAを利用したが、マニラからの移動の手間、コスト、アンへレスという土地柄、これまで何度かエアアジアで便の遅延・キャンセルを経験したことを考えると、私にとってはあまり利便性が感じられるものではない。今後、利用するうえでもう少し検討と工夫の余地がある。

LA Cafe

 予定していたマニラでのアポイントの1つが急にキャンセルになったため、時間がぽっかりと空いてしまった。さて、何をしようかと思ってぶらぶらしているとLA Cafeの前を通り過ぎた。
 LA Cafeというと有名で、特に金銭的なサポートを目的とした交際の場として人気が高いということは周知のことだろう。ネット上で、当局の手入れがあり、閉鎖になったというような情報も確認していた。
 実は、長年フィリピンに来ていて、このカフェに一度も入ったことがなかった。今回、そこがどんなところだろうかと入ってみたくなったのは、その入口のところで、ごく普通っぽい女の子たちがガードマンにIDを見せて中に入っていった光景にひかれたからだ。
 午後3時頃だった。道を引き返し、カフェの入口に立つとノーチェックで中に通された。中はごく普通のバー風のカフェで、ユニフォームを着た女の子たちが注文をとっている。メニューにドリンクは記載されていないので、どんなドリンクがあるのかと確認すると何でもあるというので、ジントニックを注文する。1杯75ペソ。
 客は、西洋人、東洋人さまざまだが、みな男性で、そのまわりを店員でない女の子たちが囲んでいる。男性より、女の子の数の方が多いようだ。
 女の子たちは、やたらとこちらにちらちらと視線を送ってくる。中には、こうした場所にいるべきではないような清楚そうに見える子も確認できる。
 ジントニックを飲んでいると、3人組の女の子が近付いてきた。そして日本語で話しかけてきた。日本に働きに行ったという子も含まれている。彼女たちはここで働いているという。働いているというよりは、ここで連れ出してくれる男を探しているのだろう。ここに来るのが初めてだと伝えると、彼女らは自分たちの中から好きなのを1人選べという。理性が十分に打ち勝つほど、彼女たちはこちらを惑わすような魅力を持ち備えていなかったが、とりあえず「じゃあ、あなた」というとそのうちの1人がテーブルの隣に座る。そして、「1回2000ペソで遊ばない?」と誘ってくる。
 十分目的は果たしたので、ジントニックを飲み終え退散した。人間の望むもの、求めるものは所詮欲なのか、上っ面をはぎ取ってみるとそうなのかもしれない。彼女たちにとっては生活の手段の1つなのかもしれないが、そうした衝動がストレートに現れた空間がLA Cafeなのか、あるいは単なる頽廃なのか、何だか分からない。

マラテの印象

 久々にマニラに足を運んだ。ずいぶん久しぶりのような気がしてならない。前回いつ訪れたのかはっきり思い出せなくなっているのでパスポートを繰ってみると、2007年4月だったようだ。1年半ぶりにすぎないのだが、4、5年は訪れていないような錯覚に陥っている。
 以上のようなおぼろげな感覚なので、マニラ、なかでも常宿のあるマラテ地区を久々に訪れて感じたそこの変化はあくまでも印象にすぎない。
 まず、路上に流れ込んできたような貧しい人たちの姿が以前に増して目につくようになった。Mall of Asiaや、今回初めて訪れたManila Ocean Parkなどマニラ湾沿いの再開発計画によって、行き場を失った人たちがマラテに流れ込んできたのではないかと何の根拠もなしに憶測しているのだがどうなのだろう。
 次に、韓国人向けの場所が増えたし、韓国人がいっそう目立つようになった。私の知り合いのフィリピン人が、「マニラは日本人に次いで、韓国人による侵略が始まった」と形容したが、韓国人がこれからどういう影響をフィリピンに与えていくのだろうか。
 カラオケパブの数もまた増加した。逆に、安いマッサージ店の数が減ったようだ。
 その他、細かなことを挙げればきりがないが、とにかく急激ではないにしろ時は刻々と動いている。久々にマニラを訪れて、当然のことを再認識した。


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