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いろいろな作品を読むと事実とはちがう、時系列がおかしいと思いますが、あくまで創作・
フイクションですから、気を付けて読めばいいだけです。問題は真実かのように信じ込むことです。
特に藤子不二雄の「まんが道」は事実とはかなり違いますので、まちがって事実のようにブログに
書いているケースガ目立ちます。
今回は作品ではなく、コメントに関するものです。
昨年12月に小学館から「漫画少年版ジャングル大帝」復刻版が出版されとても喜んでいますが、その
付録として4人の方のコメントや記事がのって「読本」があります。そのなかで、藤子不二雄Aの
手塚治虫のジャングル大帝の最終回を手伝った話の中に、「確か、宝塚の先生のお宅を藤本くんと
訪ねたときに、先生が描いていたのが『ジャングル大帝』第1回だったと思います」のくだりです。
結論から申し上げますと、安孫子先生の記憶間違いです。以下、記録にもとづいて事実を明らかに
します。
「まんが道」(中央公論社版第1巻1988年10月)の9頁では「昭和26年8月」に富山から
大阪に行ったことになっていますが、これは創作上で、事実は「1952年3月、ぼくたちは宝塚の
駅におりた。」と「愛…しりそめし頃に…」(小学館第2巻98年4月191頁)に藤本弘の逝去の
話を「さらば友よ」<特別編>で描き下ろしています。
また、「手塚治虫物語オサムシ登場」(朝日新聞社92年8月340頁)では「東京へ居を移す前の
昭和27年3月21日…」と安孫子・藤本が宝塚の手塚宅を訪れたと記述しています。二人は高校を
卒業し、就職までの期間を利用して、手塚に会いにきたのです。
ご存知のとおり、「ジャングル大帝」は1955年11月号の「漫画少年」から連載されたものです
から、手塚と安孫子・藤本の会う1年半前のことです。この点、この「読本」を信じて読んだ読者が
ブログに書かないことをただただ祈るでけです。
余談ですが、1952年3月に初めて会った3人ですが、手塚と安孫子では記憶が異なります。
手塚の記憶では二人が持ってきた作品は「ベン・ハー」(まだ映画化されていない)、一方、安孫子は
「ぼくたちは持っていった『パグ博士と黄金』8ページは恥ずかしくて手塚先生に見せることが
できずに手塚邸を辞した」と描かれています。(前出「愛…しりそめし頃に…」第2巻)
なお、、「手塚治虫物語オサムシ登場」は「手塚治虫自伝」にもとづいて作られています。
これはあくまで推測ですが、二人が持参した作品は『パグ博士と黄金』ではなかったかと思うのです。
「ベン・ハー」は後日、手塚が見たと思われます。というのも「Fノート」に未発表の作品で
「べン・ハー」の原稿が藤本の手で保管されていたのです。「Fノート」は昨年7月から12回に渡る
配本予定の藤子・F・不二雄大全集を予約した人に特典として配布された藤子Fの私的な作品作りの
ためのノートです。「べン・ハー」の原稿の一部もこのブログに掲載されていますのでご参考までに
見ていただければ嬉しいです。
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