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とうとう最終回になったビッグコミックの「天智と天武」、原案監修 園村昌弘、画 中村真理子、第93話堂々の完結だ。学校でならった「大化の改新」の話はよく覚えているだろうが、その通説とはまったく異なった観点からの説もあるのだが…。この「天智と天武」も通説ではなく、新しい切り口の作品として大変興味深かったのだ。
飛鳥浄御原宮(あすかきよみはらみや) 現在の奈良県明日香村伝飛鳥板蓋宮跡(でんあすかいたぶきみやあと)と考えられているが、第40代天武天皇が崩御したのが、西暦686年10月1日・朱鳥(しゅちょう・すちょう・あかみとり)元年9月9日だ。
妻は鵜野讃良(うののさらら、うののささら)、後の第41代持統天皇で、軽皇子は天武天皇の第2皇子草壁皇子の長男である。軽皇子から見ると父方の祖父が天武で、祖母が持統天皇なのだ。父の草壁皇子が689年に死去したため、軽皇子は持統天皇の次の天皇に即位した、数えで15才。(西暦683年生まれ、即位697年、崩御707年)
第36代孝徳天皇も軽皇子と呼ばれていたが、全くの別人なのだ。
天武天皇には草壁皇子以外に大津皇子、大伯(おおく)皇女ともに母は太田(おおた)皇女、高市皇子は母は胸形尼子娘(むなかたのあまこのいらつめ)だ。太田王女は父天智天皇、母は越智娘(おちのいらつめ)で持統天皇と同父母姉妹だったが、すでに太田王女が死去しており、我が子草壁皇子を次の天皇にと考えたとも推測される、大津皇子は天武天皇崩御後の10月3日(西暦10月25日)に謀反の疑いをかけられ?自殺している。持統天皇のなんらかの力が働いたというのは邪推か?草壁皇子より1歳下で、享年24才であった。
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天智と天武
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