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コミケの創始者で手塚治虫研究の第一人者の米沢嘉博が長井勝一青林堂社長の死去に寄せている文の中で傾聴に値するのは「青林堂の活動は64年から始まる。(中略)借りて読むから、マンガを所有する時代へと変わり始めた時である」「『ガロ』は確かに「カムイ伝」のための雑誌だったのかもしれない。だが、こうした社会的な意識を反映させることで時代のメヂィアと変わっていったのである」。たしかに、このころから単行本が出回りだし、たくさん所持することが漫画好きの真骨頂のようなところがあったのだ。そして、電車など通学、通勤時でも大人が読むようになっていった。「長井さんともうひとつのマンガ史」 ガロ第373号1996年3月1日 「追悼長井勝一ガロ初代編集長」
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1964年7月に青林堂からガロが創刊された。記念すべき第1号の9月号。ガロの題名は白土三平の「大摩のガロ」から名付けられたのだが、「我路」という意味合いも込められていた。そして、50年の月日が流れたのだ。
私は中学1年生で、創刊時は全く知らない。少年マガジンの「ハリスの旋風(かぜ)」や少年キングの「サイボーグ009」に夢中になっていた時だ。貸本は訳あって母が読むことを許してくれず、貸本屋さえ厳禁だった。とにかく他人の呼んだ本をダメで、それゆえ、貧乏にもかかわらず、新刊は買ってくれたので、サン・マガ・キンは創刊時から読んでいた記憶がある。だから、白土三平の「甲賀武芸帖」や「忍者武芸帳・影丸伝」は知らないのだ。
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